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尖閣諸島 [世界]

 中国漁船の不法行為で注目を集めている尖閣諸島。日本政府はいまごろになって、漁船の衝突行動を撮影したビデオを公開する手続きに入ったらしいが、もはや遅きに逸した。
 メディアの記事には話が上らないが、尖閣諸島を形成するうちの4つの島は、日本の領土である前に、埼玉県在住の栗原という人(一族)が所有しているらしい。なんでも、昔からだれも関心を示さなかったこの島を1930年代に国から買い取って開拓した古賀辰四郎さんから、島の自然を破壊しないという条件で栗原一族が1973年ごろに購入したのだという。その一方で、1970年になって突然中国が領有権を主張した。その理由は、豊富な海洋資源があるからということになっている。
 中国という隣国の素性がどんなものかは、日本人ならうすうすは分かっているはずだ。いうまでもなく、共産党による一党独裁の政権であり、支配層となる漢民族と周辺の少数民族で構成される国。漢民族が占有する広大な領土と膨張する人口。日本は'80年代から、多くの企業が現地で合弁会社を作ったりしながら、中国の発展に力を貸してきた。私はこの巨大な体と牙を持つ国が力を付けることに、危惧を覚えていた。相当したたかな国だと思っている。経済発展ばかりが脚光を浴びているが、天安門事件やチベットへの弾圧を忘れるわけにはいかない。この国の人民解放軍は天安門で、学生や市民を戦車でひき殺した。チベットのダライ・ラマ法王を否定し、巡礼へ向かうチベット人を国境警備隊が射殺したのは最近のことだ。弾圧行為を正当化するために、中国共産党は平気で嘘をつく。
 巨大な国であればあるほど、その縫い目にほころびが出ないように、政府はさまざまな画策を行う。前述の弾圧しかり。領土や領海を拡大したり、他国からの情報を遮断するのもその一環だ。少し前までの中国が、旅行者の行動範囲を限定していたこともそれを示している。「抗日」と「援助」もうまい具合に利用して、ナショナリズムのバランスを取る国。
 日本の政府や企業は見通しが甘く、この巨大な独裁国家が動き出したときにどのような波風がたつのかを想像していなかったし、現在もわかっていない。船をぶつけられ、建設社員が拘束されてようやく少し気がついた。中国の本質は天安門事件のころと少しも変わっていないのだ。さらにいえば、国家の根本は北朝鮮と同質だろう。共産党の体面を保つためなら、なりふりかまわない。中国政府が本当に守りたいのは、小さな島々ではなく体面だ。
 日本は中国とロシア、そして米国に対しても、付き合い方を十分に考え、複数の外交シナリオを用意したほうがいい。予測運転ができないドライバーのように不用意な行動では、その場しのぎでしか対応できない。尖閣諸島、北方領土の四島返還、米軍基地——。素人目に見ても、場当たり的な先延ばしによって不利な立場に追い込まれているのは明らかだ。この舵取りを民主党だけに任せるのは無理がある。外交問題については、超党派で動くべきだろう。

沖縄自治州 [世界]

 沖縄の基地問題を考えていったとき、沖縄の独立性と人権に行き当たる。沖縄県民にはほかの県民と同じように、独立を保証され安心安全な生活を営む権利がある。しかし現状では米軍基地の存在によってこの権利は無視され、いうなれば人権を否定されている。日本政府は、戦争中から沖縄に大きな負担を負わせてきた。1952年のサンフランシスコ講和条約では沖縄を米国に引き渡した。現在では、日本が米国による安全保障の恩恵を受ける代わりに、島の豊かな自然を壊し、島民の生活から平穏を奪うことに目をつむっている。

 私は以前、横田基地の滑走路近くに立ったことがある。そのとき聞いた米軍輸送機の離着陸時の騒音はひどいものだった。あれを毎日浴びていたら、とてもじゃないが普通の生活はできない。最近私のアパートの横にある道路が拡張された。すると、クルマの交通量が増え、騒音が増した。それだけでも、ここに住んでいるのが嫌になった。沖縄への負荷はそれどころではない。環境破壊や核兵器の持ち込み、沖縄県民の人権を蹂躙する度重なる米兵の犯罪、墜落の危険など、安全保障以前の問題をはらんでいる。

 政治家が迷走し、結局米国の思惑どおりに落ち着いた普天間基地の移設問題。もはや本土の政府に沖縄の未来を任せることはできない。これだけの大きな負担を強いられて、沖縄が日本の一部を担う必要があるのだろうか。地方分権の方向性とは完全に逆行する。国家にその気がないのならば、沖縄は自立の道を選ぶことを考えたほうがいい。自らが決定する権利を持ち、それを主張することによって米軍を撤収させるのだ。そんなことを漠然と考えていたら、同じ考えを持つ人たちがいることを知った。

 沖縄自治州の意見は、先日の朝日新聞のオピニオン欄に掲載された(琉球大学教授・島袋純氏、龍谷大学・松島泰勝氏の記事)。同欄では知念ウシさんが、「日本が沖縄に依存している」とも語った。今日は、沖縄自治州を主張する「沖縄社会大衆党」という組織があることも知る。同党の平良識子さんによればこの党は、「沖縄が国際人権法に基づき、自己決定権を有することを国内外に明確にしたうえで、国内における沖縄特別自治州の実現に尽力をつくしていく」政党だとのこと。

 沖縄から米軍を撤退させ、自衛隊も駐留させない自治州となった場合、「すぐに中国がこの島を占拠するだろう。そうなったらどうする?」と脅す人がいる。問題の根本はこの脅威論だ。敵国を想定して、米国の軍事力、核の傘で守ってもらう。そのためには多少の犠牲や核の持ち込みはやむを得ないという理屈だ。

 軍隊の存在は領土を守るための威嚇にはなるかもしれない。つまりは必要悪だ。しかし私の認識の底にあるのは、実際に戦争になったら軍隊は市民を守らないということだ。太平洋戦争はまさにその本質が実証された戦争であり、満州や沖縄における多くの犠牲によって明らかになった。戦時下において国と軍隊が守るのは、国家という枠組みと領土のみ。ましてや在日米軍は他国の軍隊。彼らが有事に守るものはなにか。日米地位協定が示している。それを踏まえた上で日米安全保障の空想性を考えたい。この点は沖縄の人々がいちばん痛切に感じているだろう。

 沖縄は止まってはいない。いま、静かに変わろうとしている。既得権にかかわりのない世代が動き始めたようだ。あの美しい島に住む人々は、目先の経済システムに縛られている本土とは異なる、相当なエネルギーと意思を持っているのではないだろうか。その力が現れる日がいつかやって来る。
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さようなら [世界]

さようなら


人間は気がつかない。
たくさんの動物に別れを告げられていることに。

人間は気がつかない。
たくさんの昆虫にさようならと言われていることに。

人間は気がつかない。
海や川や湖が去っていき、
植物が消えていくことに。


動物は悲しげな目をしていた。

昆虫はさびしげな目をしていた。

海や川や湖は色彩を失い、植物はなにも語らなかった。


もう戻ってこない。
二度とこの宇宙に姿を見せることはないだろう。
あれほど美しかったのに。
あれほどの奇跡だったのに。



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どうもおかしい [世界]

 現代は広報活動のうまい者や声の大きな者が得をする時代だ。政治や経済の世界、あるいは組織でも、うまく立ち回る人間が利権をこっそりとさらっていくことがしばしばある。煮ても焼いても食えない縦割りの構造を作っているのも大方その手合いだ。世界を見ると、米国などは政治家から軍隊までがメディアや広告代理店を利用して、あれこれと理由を流布し、自分たちの都合を通している。
 近年しきりに不況だ、景気が悪いと新聞や雑誌が書き立てているが、はたして本当にそうなのだろうか。確かに、現在の社員登用の狭さや失業率は問題だ。産業構造が変わったことや成果主義、商品が売れないことが原因だとは思う。しかしその半面、近郊に建て売り住宅やマンションがどんどん作られて、それらがあっという間に売れてしまうのはどういうことだろう。いまどき長期の住宅ローンを組めるのは、20代後半から30代の人々だ。その世代だけ羽振りがいいのか。あるいは、不況でもそのくらいの需要があってあたりまえなのだろうか。一方で、定年退職した人々が海外旅行に出かけたり、習い事をしたりして活発に生活を楽しんでいる。さらに、50インチ以上の大型の液晶テレビが常時売れ続けている事実。どうやら、とおりいっぺんの不況ではなさそうだ。
 話は横道にそれるが、英国から来た人が、日本は商品があふれていると言っていた。食べ物にしても、これほどの種類が揃っている国はないとのこと。その人は日本に来たらまず秋葉原に行くという。この国では、電化製品やAVなどもよりどりみどりだ。英国に住む日本人女性は、ヨーロッパは財政的にも、商品の数や種類でもけっこう厳しいと話していた。意外なことに保険の関係で、歯医者に通院できない人が結構いるらしい。英国では40代以上の、歯がたくさん抜けたままの人などをよく見かけるという。ヨーロッパの国々の状況は、われわれが思っている以上にシビアなようだ。
 また、ここ10年近く言われ続けている話に、国の借金がある。いまではその総額が900兆円を超え、さらに増えているとのことだ。負担を国民一人当たりに換算すると、数百万円になるなどと脅かされる。しかしよくよく考えると、借金ということは当然貸し手が存在するわけだ。その貸し手はいったいどこにいる? そのうえ国債を発行するのでも、その債権を持っている債権者とはだれなのか。私が見逃しているのかもしれないが、新聞もテレビも報じていない。借金だ借金だ、と騒いでいる。借金900兆円と全市民の資産総額、銀行や企業、宗教法人の内部留保総額など、それらの関係はどのようなものなのだろう。まして900兆円の借金は具体的にだれがどのようなかたちで負っており、増えているのか。いちどじっくり調べてもらいたいものだ。
 私は、物事の一面だけが強調されて、市民の目が本質から遠ざけられてしまうことを危惧する。そのせいで、本来は人並みの生活を送れるはずの人間が、いわれのない損を被っていることだってあり得る。必要以上に企業を萎縮させ、それが雇用の悪化につながっているとしたら不幸だ。世間に広く喧伝されている話を真に受けぬようにじゅうぶん気をつけたい。
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終戦記念日と日本の変化 [世界]

 私だけかもしれないが、今年の夏は、太平洋戦争中に起きた出来事に対する人々の姿勢がこれまでと少し変わったような気がしている。理由ははっきりとはわからない。姿勢というよりも視点というべきだろうか。空襲被害者の全国組織ができるなど、市民レベルの意識に変化がみられた。終戦から65年たち、色あせることがある一方で、わずかだが明瞭になっていることもあるはずだ。今年の広島の平和祈念式に米英の大使・公使が初めて出席した。だいぶ遅い参列だが、これも時代が動いたととらえたい。
 日本人に限っていえば、意識の変化はいまの国内の閉塞的な状況と無縁ではないはずだ。望まずに置かれた「核の傘」の下にいることや米軍の沖縄基地問題もしかり。さらに、これまでなんども目にした、戦争の映像と帰還者や生存者の話。あるいは、戦争体験者がいなくなることへの危惧もあるだろう。そこから見えてきたものを整理し、止まっていた思考を再開する時期にきたのかもしれない。
 戦争末期の米軍による原爆投下、日本全土の街への爆撃や艦上戦闘機による機銃掃射の目的は、明らかに市民の大虐殺だった。また、終戦間際のソビエトの行為も許されないものであり、卑劣だ。戦争終盤の宣戦布告による満州での強奪、北方四島の不法占拠、そして日本人捕虜のシベリア抑留。60万人を超える日本人が4年もの間、極寒のシベリアなど各地で強制労働を強いられ、およそ6万人が死んだ。終戦を迎えたにも関わらず、なぜそのような非人道的なことが許されたのか。米ソの行った行為は犯罪であり、ドイツのホロコーストと変わらない。
 もちろん、日本が中国や東南アジア諸国に対して行った侵略行為も認識したうえでの話である。とはいえ、日本の軍事行為が先にあるから、自国の被害を大きな声では語れないというのは、政治レベルの話だ。市民の声はそれを超える。
 戦争の本質をひとことで表すことはできないが、戦争の芽はすべての人の心に潜んでいる。年間3万人を超える国内の自殺者。解決の手立てがないここにも戦争に似た病巣がある。沖縄にある米軍基地は、いうなれば常に戦争状態である。基地問題は棚上げのまま、現在に至り、米国はいまだに他国で戦闘を繰り返している。われわれは戦争の萌芽を他人や沖縄の人々に押しつけている。この状況において、少なからぬ日本人はその矛盾を声に出して訴えなければならないと感じているはずだ。
 また、これまで日本は自国を「被爆国」といっていたが、その表現では訴求力が弱い。「世界で唯一核攻撃を受けた国」というべきではないのだろうか。最近Webで、世界各国が行った核実験をテーマにした作品が話題になった(http://www.ctbto.org/specials/1945-1998-by-isao-hashimoto/)。世界各地で行われた2000回を超える核実験。1945年夏の広島はその端緒にされたのではないか。米国の、「戦争を終わらせるため」という言葉は口実に過ぎないことは明らかだ。米国は日本の2つの都市で、生身の市民を目標に核実験を行った。それをはっきりと言う時期にきている。
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御巣鷹山の写真 [世界]

 25年前の夏のある日、最初に就職した航空測量の会社で1枚の立体写真を見た。朝、ライトテーブルが置かれた部屋で上司が、立体視のスコープをしばらくのぞいていた後、これを見てみなさいと言う。ライトテーブルにセットされていたのは中判サイズのポジフィルム。いわれるままに両目をやると、それは山を真上から撮影した航空写真だった。急峻な山の尾根とうっすら流れる煙がリアルに浮かび上がってくる。尾根の突端付近にある緑の木々が広い範囲でなにかがぶつかったように削られ、現れた山肌に白い破片や残骸のようなものが散乱しており、上空からの俯瞰撮影にもかかわらず生々しい空気が捉えられていた。
 それは御巣鷹山の上空から撮った日航機墜落現場の発見直後の写真だった。飛行機はまったく原形をとどめておらず、言われなければ航空機事故の現場には見えない。わずかに翼の一部のようなものが分かる程度。なぎ倒された木々と露出した地肌、そして燃え尽きた後のように流れる白い煙がただごとではない状況を表していた。そのときは悲惨さの実感がさほどなかったのだが、その後、事故の詳細を知るにつれ、あのポジフィルムを鮮明に思い出す。そして、多くの人々が奥深い山の尾根に激突し、一瞬にして亡くなったことを想像する。なにが起きているのか分からない、恐怖の連続。制御不能になったジャンボジェット機が最後にたどり着いた場所。毎年この時期、日航機墜落事故の記事を読むたびに、あの尾根と白い煙の画像が蘇ってくる。
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核攻撃を受けた国 [世界]

 私の中で、日本に原子爆弾が投下されたという事実が年を経るごとに重くなっていく。戦争中の行為とはいえ、綿密な計画に基づき市街地に原子爆弾を投下し、多数の市民を虐殺した国を心の底で憎む。あれほど強大な殺戮兵器を使用する権利など、いかなる人間も持ってはいない。そのうえ、広島と長崎だけでなく、新潟や小倉などほかの地域にも続けて投下する計画さえあった。

 人類史上初めて核攻撃を受けた国、日本。この事実をわれわれはあらためて深く考えるべきだろう。米国人の、戦争を早く終わらせるためという口実はあまりにも子供だましだ。すでにひん死の島国に複数の原子爆弾を落とすことを画策していた。日本への核攻撃が、その後に続く膨大な「核実験」の導入だったとすれば、もはや国の根幹が狂っているとしかいいようがない。それは、大量破壊兵器の存在を理由にイラクを誘導ミサイルで攻撃した思考と同じだ。

 米国は謝罪をしない国という印象が強い。今日の広島平和祈念式に米国の駐日大使が初参列したが、駐日大使ならば当然のことだろう。オバマ大統領の口から直接、核攻撃を実行した国としての謝罪の言葉を引き出したい。潘基文国連事務総長は信念をもって「核兵器の全廃しかない」と語ったという。菅直人首相は、それでも「核の傘」の必要性を説いたらしい。この男はやはり真性の愚者だった。8月6日の式典後にそれを言う浅はかさ。核の傘の下にいる限り、日本が独立国になれないのは自明だ。市民が、政治家が、なにをやってもこの国は大樹にすがる根無し草でしかない。

 私は今日、例年のように「死んだ女の子」を聴く。感傷にすぎるだろうか。しかし、私には言葉や祈りよりもイメージが必要だ。あの日の惨劇を映し出す鏡が。原子爆弾によって紙きれのように消えた女の子の叫びを歌う元ちとせの声と坂本龍一の音楽が怒りを甦らせ、そして鎮めてくれる。この曲は、最近発売になった彼女のアルバム「Orient」に収録された。もっと多くの人にこの歌を聴いてもらいたいと思う。
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米国の要求 [世界]

 今日の昼、鳩山首相が辞任した。首相としての資質や政治資金の不透明さが辞任に至る主な理由であったのは周知のとおりだ。そのうえで、沖縄・普天間基地の移設問題が決定打になった。この辞任を国の外側からみたらどうなのだろう。
 米国の駐留軍隊の扱いに失敗したことにより、国の首長が退陣に追い込まれたように見える。駐留地の住民の多くは基地の存続に反対し、首相もそれに手を貸そうとしたにもかかわらず、最終的には米国の主張に屈してしまった。
 客観的にみれば、ずいぶん矛盾した話だ。連立政権の党首が罷免され、首相が辞任までした事態で、当の米国は妥協することもなく、しごく当然のように駐留軍隊を維持している。こうなると、もはや駐留ではなく占領だ。
 辞任した首相は一国の長として、米国にどのような要求をし、どのような折衝を行ったのか、米国の回答はどのようなものだったのか、肝心なところが明らかになっていない。はっきりしているのは、米国が日本の要求をはねのけたということだ。
 この国の市民は、他国の軍隊がなければ安全に暮らせないのだという。他国の軍隊の傘の下に入ることが、国の存続の絶対条件らしい。「らしい」というのも、そこのところがよくわからないのだ。肝心な話が密室で決められ、だれにも明かされない。米軍の核の傘による防衛力と中ソや中近東に対峙する極東の前線基地としての意味合い。この点についての具体的な議論が必要な時期であるにもかかわらず、新聞やテレビ局もブラックボックスを追求せずにいる。こんな不透明な状況では、だれが首相を務めても結果は同じだ。
 どうせ多くの市民の失望を巻き込んで辞任するのなら、自爆覚悟でこの状況を打破するような人物が表れないものか。ブラックボックスのフタを開け、議論のテーブルに乗せる。米国にすれば、これもテロリストの考え方になるのだろう。
タグ:首相 米国 辞任
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戦略爆撃 [世界]

 ここ数日、朝日新聞に太平洋戦争時の東京大空襲の記事が掲載されている。1945年3月10日夜に始まった米軍による大規模空爆で、およそ10万人もの東京市民が亡くなった。私は常々思うのだが、一夜にして数万人の民間人が殺害されたこの事件を日本人は、特に東京に住む人々は忘れてはいけない。東京のおよそ1/3が焦土と化し、長引く戦争で疲弊しきった多数の家族が亡くなった。太平洋戦争では、アジアへの侵略行為と原爆投下が特に取り上げられるが、東京大空襲もまた筆舌に尽くしがたい出来事だ。
 焼夷弾による市街地への「戦略」爆撃は軍事施設ではなく、市民を狙ったものであることに間違いない。戦略爆撃機B29による当夜の「戦略」は、なるべく多くの市民を焼き殺すために組まれた計画であることは、戦後の調査で明らかになった。この米国の思考は、ベトナム戦争における米軍のナパーム弾攻撃に続く。米軍の行為は、毒ガスが炎に変わっただけで、ドイツ軍が強制収容所で行ったことと変わりない。
 原爆投下同様、戦争を終結させるためという大儀は名ばかり。それを思うのは、終戦が近づくにつれ、米軍の民間人への攻撃が激しさを増していた事実に基づく。日本の敗戦が明らかになった時期、度重なる空爆とは別に、米海軍の艦載機による民間人への機銃攻撃も相当な数に上ったと私はみている。戦争当時のことが書かれた古い資料を読むと、米軍艦載機による日本各地への攻撃には、決まったルートがあることが分かる。
 私の小学校時代の担任だったY先生はある日、自らの戦争体験を生徒たちに語った。Y先生は子供のころ、米軍艦載機の機銃掃射で友達を失ったという。田のあぜ道を友人数人と歩いていて突如グラマンの銃撃に遭い、身を伏せた。気がつくと、友達の一人が腹を撃たれ、腸が飛び出て即死状態だったという。Y先生は飛び出た腸を手で押さえて、すでに息絶えた体をリヤカーに乗せ数人で友人の家に運んだ。図画工作が担当で、私がいちばん信頼していたY先生が涙しながら語ったその話は衝撃的だったことを今でも覚えている。
 子供をはじめとする市民への無差別攻撃。終戦間際の米軍艦載機による同様の行為はときどき新聞などにも掲載され、NHKの戦争特集番組でも体験として話されることがある。かなりの日本人が被害に遭ったことだろう。また海上でも漁船が被弾し、たくさんの漁師が亡くなっている。その際の米軍人の行為は戦争終結という一線を越えた、まぎれもない侵略だ。前述の東京大空襲も戦略ではなく、覇権をにぎるための侵略爆撃といっていいだろう。その延長線上に、いまの沖縄や横田、横須賀基地などがある。日本に駐留する米軍には、あの侵略の血が流れている。
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津波 [世界]

 南米チリ沿岸で昨日発生した地震による津波が1時ごろ日本に到達した。いまのところ、数十cm〜1m20cmの高さの波が来ているという。夜になっても警報は解除されておらず、太平洋沿岸の人々は不安な時間を過ごしていることだろう。予報では第1波よりもその後の波のほうが高くなる可能性があるとのこと。実際にはどのくらいの規模になるのかは来てみなければわからない。人間の予想を超える。それが自然の怖さだ。
 不謹慎な話だが、私はいちど津波というものを実際に見てみたいと思っていた。その理由は夢にある。私は子供のころからいまに至るまでよく津波の夢を見る。あらゆるタイプの巨大な津波が押し寄せてきて、逃げおおせることもあるが、呑み込まれてしまうこともある。強く記憶に残っているのは、12歳ごろに見た東西南北から押し寄せる高さ数十mの巨大津波の夢だ。友達二人とタワーのてっぺんに避難したのだが、虹色にきらきらと輝くものすごい高さの津波が四方から迫ってくる——。ハリウッド映画に出てくるような巨大津波のイメージは、ずいぶん昔から見ていた。
 なぜそんな夢を見続けるのか心理学に照らしたことはないが、たぶん幼いころに見ていた太平洋の荒波の印象が関係しているように思う。祖父に連れられて歩く堤防の横をなめるように打ち寄せ続く巨大な波。吸い込まれそうな深い紺色と強大な力による波頭。そこに恐怖と美しさの両方を感じていたのだろう。そのイメージが脳裏に残り、夢に現れるのかもしれない。
 いま思うと馬鹿げた行為だが、中学生のときに発生した宮城県沖地震の際には、津波を見るために自転車で港に向かった。一人岸壁に立ち、津波の到来を待っていたのだ。東北の国際港。沖と海面を交互に観察していたが、じゃっかん潮位が上がったような気がした以外、大した変化は見られなかった。もっとも、大した波が来たら死んでいただろう。
 以前、南洋で甚大な被害を及ぼした津波のビデオ映像をテレビで見た。沖にある帯状のそれは、さほど凶暴なものには見えなかった。しかし陸に上がった津波は強大な水の力を示し、さまざまなものを呑み込んで押し寄せ、巨大な泥水と化した。水というものは美しく、ときに恐ろしい。
タグ:津波
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