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会津 [地域]

 昨夜、会社の同僚と三鷹駅前の喫茶店で会った。彼女は週に一度、その店の近くのカイロプラクティクに通っている。一カ月ほど前に駅でばったり会って、そのときにいちどゆっくり話をしようと約束したのだ。
 話題は主に会社のこと。納得できない社内政治や人事を批判しあった。要するにガス抜きである。ひとしきり互いの部署の現状や考えを語ったあと、話は現在放映中の大河ドラマに移った。「八重の桜」の脚本家・山本むつみさんは、彼女の長年の友人なのだ。
 山本さんはこの脚本を書くにあたって、およそ500冊の資料を読んだという。ドラマは、会津が悲惨な戦場となる戊辰戦争のヤマ場にさしかかっている。その戦闘の終盤、武家の女性たちが自刃するシーンを書く際に山本さんは涙が止まらなかったと聞いた。
 今回の大河ドラマに対して世間では、最初はよかったが途中から話が冗長になったなどという人もあり、あまり評判がよくない。しかし私は決してそのようには思っていない。これまでの幕末や明治維新を描いた映画やドラマは、常に新興勢力の倒幕派あるいは新選組の視点で描かれており、定番のステレオタイプだ。その点で今回の八重の桜は、幕末にあっても武士の精神を受け継いでいた会津人の気質や教育の在り方、武家の女性の姿、京都守護職の任務を果たそうとした若き会津藩主松平容保の話をていねいに紡いでおり、好感をもった。長州藩や薩摩藩と同等に、あるいはそれ以上に掘り下げるべき特異性を持っていたのが会津藩だったのだと私は思う。
 山本さんのエピソードを聞いたとき、私はふと、小学校6年生の修学旅行で行った会津を思い出した。そのときは鶴ヶ城を登り、飯盛山(いいもりやま)で白虎隊の最期を聞き、会津藩士の邸宅である武家屋敷を見学した。武家屋敷は、当時の建物がそのまま保存され、武士とその家族の生活の一面を知ることができた。小学生の私は、邸宅の居室に漂うただならぬ緊張感を感じた。武士の世界には、死と隣り合わせの張り詰めた空気が常にあったのだろうと思った。さらに、武家の女性たちが自害したという部屋に案内された。ガイドの話によれば、会津での戦いの終盤、その部屋で数名の女性が刀で自害あるいは互いを刺して果てたのだという。100年も前の出来事にもかかわらず、説明を聞きながら私には、畳の上で起きたその生々しい様子が映像のように見えた。あれは子供特有の霊感のようなものだったのかもしれない。
 同僚にそのときの気持ちを伝えようとしたとき、私の目には意外にも涙がこみ上げてきた。同じ福島県出身というだけで、会津に縁のない人間にもかかわらず気持ちが高ぶり、心の奥に蓄積したなにかがあふれ出た。山本さんは多くの史料を読んで、単なる感傷ではない彼女なりの新しい知見を得たのだろう。幕末、私の地元のいわきにも官軍はやってきて征圧されたことを最近知った。父の実家の近くにあった名刹はその戦争の際、焼き討ちに遭っている。戊辰戦争における会津は、日本の内戦史上最も苛酷で悲惨な運命を背負わされた。明治維新は無血革命などと言われることもあるが、実は会津で多くの血が流された。とはいえ私は、大昔に起きた戦争に関してそれほど強い思いはもっていない。いったいあの涙はなんだったのか。
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野川 [地域]

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Nogawa

 このところ野川付近で制作を続けている。そこは、平地が続く三鷹において、地形の変化がある数少ない場所だ。特に、野川の北側にある「国分寺崖線」は、なだらかな崖地になっており、斜面の木立は武蔵野の原風景を思わせる。
 野川の水は近年、だいぶきれいになった。十年ほど前になるだろうか、水量の乏しいこの川にも生活排水が流れ込んでいて、いまでは信じられないことだが、コンクリート製の排水口が川岸にあった。三鷹近辺だけでも排水口は数カ所あり、周囲の自然環境との落差に残念な気分になったものだ。私は水質に問題があると思い、散歩に連れ出した子供に水遊びをさせなかった。それが条例でもできたのか、あるときから排水の流れがぴたりと止まった。これにともない、川の水は徐々に透明度を取り戻していった。
 野川には以前から鴨がいた。さらに鯉が泳ぎ、鷺も飛来していた。ほかの地域ではどうかしらないが、水質がよくなったかわりに、鯉は姿を消し、鷺も見なくなった。もっとも、三鷹あたりは水深が浅いせいもあるだろうか。一方で、鴨の数は増えたように思う。夏の間は、川遊びをする人間の親子連れがいて騒がしいが、秋冬になれば、鴨のグループが悠々と泳いだり、川岸を歩いている。
 人間の親子連れといえば、彼らは夏になると野川周辺の自然環境を満喫する。網を手に、川で魚をとり、川岸ではトンボや蝶などの昆虫採集。国分寺崖線からの湧水が出る岩場(上の台地に降った雨水が崖下土地に湧いて出る)にはカニがいるのだが、そういった生物も捕獲してしまう。私はカワトンボなどを見かけると(たぶん自然観察園で羽化したもの)、どうか人間につかまらないように、と祈った。自然と触れ合うことは大切だが、希少な生物を興味本位で捕獲するのはやめてほしいと思う。
 野川公園を西に進むと以前は、調布・府中・小金井にまたがる二枚橋という場所にゴミ焼却場があった。この施設は野川に隣接しており、その無粋な紅白の煙突とそこから立ち上る白い煙は自然環境に恵まれた地域には似つかわしくなかった。野川を散策しながらその煙突が見えると、これまた嫌な気分になったことを思い出す。この焼却場も廃止され昨年から取り壊しが始まり、紅白の煙突はすでに消えた。最近野川に通うようになった理由のひとつでもある。
 そういうわけで、野川およびその周辺の環境は以前よりも改善された。水質が向上し、焼却場がなくなったことは喜ばしい。これに関してはいうことはない。最近私が気になるのは、川岸の管理がゆきとどきすぎている点にある。低木や雑草はすぐに刈られ、湧水が出る川辺の整備も進んだ。よくいえば、きれいになった。しかし、半面つまらなくなったのも事実だ。神代植物公園などもそうだが、低木や下草をすべて刈り、荒れた場所をすべて整えてしまうと、風景がゴルフ場のようにのっぺりする。つまり、味気ない。例えるなら、日本の庭とヨーロッパの庭の違いとでもいえばいいだろうか。野川公園も広々としていいところだが、その昔は国際基督教大学のゴルフコースだったという。風通しがいいにせよ、どこか人工的だ。
 自然本来のかたちをできるだけ残すという精神がなければ、野川といえども、ただの遊歩道になってしまうだろう。本来発見すべき自然の本質が取り除かれるのは好ましいことではない。要するに、計画者の考えが浅い。人が歩きやすいよう、あるいは危険がないようにと、本来の姿を安易に変えてしまう。その風景の中で、いつも私はモチーフを探すのに苦労している。

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国分寺崖線
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