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終戦記念日と日本の変化 [世界]

 私だけかもしれないが、今年の夏は、太平洋戦争中に起きた出来事に対する人々の姿勢がこれまでと少し変わったような気がしている。理由ははっきりとはわからない。姿勢というよりも視点というべきだろうか。空襲被害者の全国組織ができるなど、市民レベルの意識に変化がみられた。終戦から65年たち、色あせることがある一方で、わずかだが明瞭になっていることもあるはずだ。今年の広島の平和祈念式に米英の大使・公使が初めて出席した。だいぶ遅い参列だが、これも時代が動いたととらえたい。
 日本人に限っていえば、意識の変化はいまの国内の閉塞的な状況と無縁ではないはずだ。望まずに置かれた「核の傘」の下にいることや米軍の沖縄基地問題もしかり。さらに、これまでなんども目にした、戦争の映像と帰還者や生存者の話。あるいは、戦争体験者がいなくなることへの危惧もあるだろう。そこから見えてきたものを整理し、止まっていた思考を再開する時期にきたのかもしれない。
 戦争末期の米軍による原爆投下、日本全土の街への爆撃や艦上戦闘機による機銃掃射の目的は、明らかに市民の大虐殺だった。また、終戦間際のソビエトの行為も許されないものであり、卑劣だ。戦争終盤の宣戦布告による満州での強奪、北方四島の不法占拠、そして日本人捕虜のシベリア抑留。60万人を超える日本人が4年もの間、極寒のシベリアなど各地で強制労働を強いられ、およそ6万人が死んだ。終戦を迎えたにも関わらず、なぜそのような非人道的なことが許されたのか。米ソの行った行為は犯罪であり、ドイツのホロコーストと変わらない。
 もちろん、日本が中国や東南アジア諸国に対して行った侵略行為も認識したうえでの話である。とはいえ、日本の軍事行為が先にあるから、自国の被害を大きな声では語れないというのは、政治レベルの話だ。市民の声はそれを超える。
 戦争の本質をひとことで表すことはできないが、戦争の芽はすべての人の心に潜んでいる。年間3万人を超える国内の自殺者。解決の手立てがないここにも戦争に似た病巣がある。沖縄にある米軍基地は、いうなれば常に戦争状態である。基地問題は棚上げのまま、現在に至り、米国はいまだに他国で戦闘を繰り返している。われわれは戦争の萌芽を他人や沖縄の人々に押しつけている。この状況において、少なからぬ日本人はその矛盾を声に出して訴えなければならないと感じているはずだ。
 また、これまで日本は自国を「被爆国」といっていたが、その表現では訴求力が弱い。「世界で唯一核攻撃を受けた国」というべきではないのだろうか。最近Webで、世界各国が行った核実験をテーマにした作品が話題になった(http://www.ctbto.org/specials/1945-1998-by-isao-hashimoto/)。世界各地で行われた2000回を超える核実験。1945年夏の広島はその端緒にされたのではないか。米国の、「戦争を終わらせるため」という言葉は口実に過ぎないことは明らかだ。米国は日本の2つの都市で、生身の市民を目標に核実験を行った。それをはっきりと言う時期にきている。
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