SSブログ

皇居のアライグマ [街]

 皇居でアライグマが発見・捕獲されていたという夕刊の記事を読む。昨年度の都内での捕獲数は139匹だが(ほとんどは多摩地区)、都心での捕獲は初めてだったとのこと。皇居の森には、国内にいる昆虫の全種類の約10%に当たる種類が生息していると聞いたことがある。さすがはアライグマである。野生の勘で、その豊かな自然環境にたどり着いたのだろう。
 実は、都心にいたアライグマはこれが最初ではない。6年ほど前になるだろうか、私は信濃町の駅でアライグマを見かけたことがあった。ある夜、線路横を通るケーブルのコンクリート製カバーの上をとぼとぼと新宿方向から歩いてくる動物をホームから見つけた。最初はタヌキかと思ったのだが、目の前を通り過ぎるその動物の尻尾には縞があり、明らかにアライグマだった。時折立ち止まりながら四谷方向に向かう不安げなその顔と後ろ姿が忘れられない。とぼとぼと歩いて行った小動物を見送りながら電車に乗り、この先どうやって生きていくのかと心配になった。三鷹駅で駅員にこの事実を報告したことを思い出す。果たして駅員はそのとき、なにかアクションを起こしたろうか。アライグマの捜索依頼をどこかの部署に連絡したか。たぶん、真に受けなかったに違いない。なにしろ私が家族や同僚に話しても、皆、話半分といった顔をしていたのだから。私はその予期せぬ遭遇について、誰かがペットとして飼っていたものを新宿御苑に放置したのが忍び込んだのだろうと結論づけた。
 皇居のアライグマは昨年9月に目撃報告があった後、今年3月に捕獲し、「鳥獣保護法に基づき安楽死」させたという。どうにかして故郷に帰すことはできなかったのだろうか。あるいは、どこかの動物園で引き取れなかったものか。もし、そのアライグマが以前信濃町で見たアライグマだったとしたら、どうにもやるせない。

猫で204万円 [街]

 猫にエサをやったとのことで、立川の裁判所は棋士の加藤一二三さんに204万円の罰金を科した。加藤さんは控訴するという。いまどきには珍しく筋を通す人だ。私はこの人の考えに賛同する。

 猫は人と一緒に暮らす動物であり、それはたとえ野良であっても例外ではない。糞が迷惑とか、クルマにキズがつくだとか、鳴き声がうるさいとかは、人間の尊大な言い分だ。地面に勝手に線を引いて、ここはオレ様の土地だと主張するが、それは猫には関係がない話。彼らは人間と同じく進化し、人間に連れてこられて、いまここに生きているのだから。

 本来、猫が用を足していた森や林、草地を建物とコンクリートですみずみまで埋めてしまったのは人間だ。その事実を棚に上げてもらっては困る。猫が用を足したり、昼寝ができる緑地を確保するのが道理だろう。猫を箱につめて役所で殺すなどもってのほか。飼い猫を捨てる人間には刑罰を与えるべきだ。

 テレビの紀行番組を見ていると、ヨーロッパの街で猫が自由に暮らしている場面を目にする。彼の地の人々は心得ている。人がいるなら、猫がいてあたりまえ。それがまっとうな風景だ。猫以外の動物もしかり。ほかの動物と共存するのが人の道。

 今回の裁判の焦点は、集合住宅における居住者の「人格権」。判決は加藤さんのエサやりがこれを侵害したとして、野良猫を増やすなというところに落ち着いた。いまでは飼い猫は部屋から出さずにおく人が多い。部屋猫は去勢・不妊手術をされて交尾もせずに一生を終え、必然、子孫は絶える。いずれにせよ、猫に未来はなさそうだ。そして、猫を否定するような国ならば、芸術も文化もいつか消え去る。

 われわれは野良犬を絶滅させた。次は、虫であり、鳥であり、そして猫だろう。彼らは思っているに違いない。「最後は人間も消えるのに」と。
タグ: 野良猫
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

デジタルサイネージ [街]

 夕方の原宿・表参道と明治通りを歩く。最近、街中や駅を歩いていて気がつくことがある。それは、液晶ディスプレイ型のサイン(看板)が増えたことだ。電光掲示板や単にビデオを流すだけのディスプレイなら昔からあったが、このところ街で使われているものは、それらとは異なる内容を表示する。JRの山手線や中央線の車内にあるものに代表されるように、時刻や状況に応じてコンテンツが変化するのだ。これらを「デジタルサイネージ」と呼ぶ(あるいは単に「サイネージ」)。

 原宿はデジタルサイネージの利用が顕著な街だった。表参道ヒルズでは、ポスターの代わりとなる映像を流す壁面サイネージのほか、案内やユニセフのPRを流す自立型サイネージなどがあり、屋上にもひんぱんに変化するディスプレイが設置されていた。表参道のブルガリジャパンの前だったか、テナント店舗の案内を動的な映像で表示する9つのディスプレイもあった。明治通りでもショウウインドウのディスプレイが目立つ。特に、ユニクロ「UT」原宿店の店頭にあるLED表示や商品棚のLED、ディスプレイは先進的なデジタルサイネージと呼んでいいだろう。

 三鷹駅の改札右手にも最近、黒いボックス型のサイネージが設置された。いまのところは鉄道の写真や風景などを表示しているが(これを「デジタルポスター」ともいうらしい)、そのほかにさまざまな情報を流すことが可能だろう。また三鷹通りにあるスーパーのサミットでは、商品の値札がすべて液晶ディスプレイになっており、商品名や価格表示などが一括管理されている。5月からは、ローソンなどのコンビニの店頭・店内などにも設置されるとの発表があった。

 店舗ならまだしも、街中いたる所にディスプレイがあったら、うるさくてどうも落ち着かないかもしれない。気がついたらそこにあって役立つ——その程度の存在感がいい。サイネージは、看板や広告という枠には収まらないメディアだという。地域情報や緊急放送を流したり、場合によってはパブリックアートにもなるとのこと。これが有用なものになるかどうかは、内容も大事だが、まずは街中での立ち位置、存在感がどうなるかにかかっている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

砂漠化 [街]

 川や湖が枯渇して砂漠化が進んでいるのは、チベットやアフリカばかりではない。多くの人々が暮らす東京という都市の砂漠化も年々進行の度合いを速めている。いまはまだ皆、都市が乾き始めていることに気づいていない。
 三鷹駅前の状況は以前も書いたとおりだが、最近はさらに深刻だ。昨年は、南口駅前のパチンコ店「NEW YORK」とその上階にあった麻沼音楽スタジオが閉店した。私はパチンコはやらないが、NEW YORKは楽しげな演出のうまい、粋なパチンコ店に思えた。店頭では常に、アニメキャラクターのディスプレー(人間大のモビルスーツなど)や着ぐるみ、オブジェ、心和む話やねぎらいの言葉を手書きした掲示板などを展示して道行く人の目を引きつけ、ビル壁面を利用した巨大な看板には、アニメやパチンコの宣伝広告を掲示した。感心するのはそれらの出来栄えだ。ディスプレーやオブジェはFRPなどを使ってすいぶんと凝って作られていた。壁面の広告は、アニメ(エヴァンゲリオンなど)やウルトラマン、漫画が中心でグラフィック的に優れ、なかなか見応えがあり、ジブリ美術館を訪れる外国人客もその迫力に見入っていたことを覚えている。クリスマスシーズンになると、屋上に巨大な猫のサンタクロースを出現させて子供を喜ばせる、遊び心のある経営者だったのだろう。あんなパチンコ店はそうない。
 浅沼音楽スタジオは、ピアノの練習室とホールがあり、スタインウェイのフルコンサートピアノがあったとのこと。人づてで聞いた話では、NEW YORKと浅沼音楽スタジオのオーナーは同じ人で、そのオーナーが亡くなった後、姉と弟(だったか兄と妹だったか)が遺産相続でもめた末の閉店だという。砂漠化には、遺産相続も一枚かんでいるらしい。
 三鷹の隣町吉祥寺でも、伊勢丹の閉店など変化が起きている。私は自分の子供が小さいころはときどき伊勢丹を利用した。同じように、公私とも付き合いがあった近鉄百貨店はとうの昔に消えている。吉祥寺にユザワヤが進出した際、その近所にあった画材屋が2軒消えた。1軒は東急イン横にあった小さな店(すでに店名を忘れてしまった)。もう1軒はパルコ地下のTooだ。そのユザワヤもビルの改築に伴い、先月移転した。
 吉祥寺駅付近の新星堂は昨年秋に撤退したらしい。吉祥寺の各新星堂には優秀な店員がいた。クラシックに詳しい穏やかな佇まいの店員は、こちらが伝える少ない情報(鼻歌など)で目当てのCDを見事に探し出した。アニメのLDやDVD作品に詳しい店員は、隠れ名作アニメを勧めてくれた。ロックインではシンセサイザーや機材の最新知識が豊富な人がいて、システム構築の際に役立った。彼らが一人ずついなくなり、ついには店自体も消えてしまった。砂漠化の第一段階は文化の蒸発、第二段階は人材の喪失か。「消費者のニーズに合わなくなったのが原因」というかもしれないが、消費者などという定義ほど怪しいものはない。それは企業と役所が作り出した虚像であり、格差を生む根源だ。とはいえ、CDや書物はWebで購入することが増えた。インターネットは街の砂漠化に一役買っている。ついでにいうと、吉祥寺駅ビル内の老舗、弘栄堂書店も一昨年に店を閉めた(同書店は、NHKのテキストが日本で一番売れる店だった)。結局その跡に別の書店が入ったがどうなるか。吉祥寺の枯渇化も要注意だ。
 今では想像できないだろうが、25年ほど前の吉祥寺駅前にはまだ、豆や地鶏の卵を売る店などが連なっていた。それらの店が再開発で消え、駅ビルができた。これだけ店や街が変わるのなら、豆と卵を売る店のままでよかったのではないだろうか。それは冗談として、最近感じるのは、街のウリは結局なんでもいいということだ。人がたくさん来ればいいというのが本音か。吉祥寺をただの観光地にするのであれば話は別だが、街としての体をなしたいのであれば、魅力的な店、あるいは店員を増やすべきだろう。それこそ砂漠の泉である。

満員電車 [街]

 新聞の読者投稿欄に掲載された、40代の男性の体験談を読む。彼は最近、駅のホームで若い女に蹴られ、車中では男に絡まれたという。いずれも、他人を押しのけて乗り降りする混雑した状況での出来事とのこと。落ち度がないにもかかわらず被害に遭った、気の毒な話だ。私は混雑した電車には極力乗らないことにしている。満員電車などもってのほかだ。毎日中央線で新宿まで通っているが、満員電車にはまず乗り込まない(その時間帯に乗らないということもあるが)。あれは、人間の利用する乗り物ではないと思うのだ。

 満員電車は人格を壊す。人間は本来、他人と共存するための適正な距離感覚を持っている。満員電車は、磁石のSとS、NとNを無理矢理くっつけるように、人間性の否定を公共の場として実行する。見えない暴力で人間を「物」にする装置だ。戦場に送られる前に行われる新人兵士の訓練に近い。

 私も20〜30代のころに、10年間ほど中央線や京王線の朝の満員電車を利用した経験がある。満員の車内をようやく抜け出ると、タイピンがなくなっていたり鞄や靴に傷が付いていたことなどを思い出す。若いころはその異常さになんとか耐えられたものの、体は受け入れられず、腹の具合が悪くなってよく駅のトイレに行ったりした。

 生活環境の変化によってよりどころがなくなり殺伐とした現代。皆、相当なストレスをためているのは確かだ。この状況で人は、なにかしらのはずみで抑制がきかなくなる。満員の電車は、車輪のついた箱の中にライオンと虎とワニがぎゅうぎゅう詰めにされているようなものだ。前述の彼もそのことを危惧している。朝夕の電車は当然、妊婦や赤ん坊、子供、老人が乗れるような乗り物ではない。たまにそういう世代が乗車するのを見ると、心配になる。年をとったら、便利な東京で生活するのがいいという人がいるが、よくよく考えてみてほしい。80歳になって、朝夕の電車に乗れるだろうか。一極集中の弊害ともいえる満員電車や混雑は解消すべき問題だ。まずは、時差通勤をおすすめしたい。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

西洋美術館とコルビュジェ [街]

090624_kokuritu_h.jpg

 上野の東京国立博物館に虎の絵を調べに行く。芸大に面した西側の門から入ると資料館があり、図書館のような閲覧室で端末の画面に向かう。応挙など、虎が描かれた日本の古典絵画を2時間ほど検索した。
 仕事を終え、国立西洋美術館で「ル・コルビュジェと国立西洋美術館」展を見た。コルビュジェが設計した建物の中で、同氏の建築(国立西洋美術館)を知る展覧会。展示は、西洋美術館建設に至る経緯から現在までの写真と模型、スケッチや設計図が中心。コルビュジェによる最初の全体計画案は、美術館を中心とした複合文化施設としての構想だった。1956年に描かれた基本設計と実施設計のオリジナル原画が展示されていたほか、東京文化会館などを含めた周辺環境や3人の日本人の弟子についても触れている。カタログはいい資料になるだろう。同館は、コルビュジェの建築を体験できる貴重な建物だ。特にピロティー。以前は、ガラス張りのロビーはなく、ピロティーがもっと深かったことを知る。また、「19世紀ホール」は特徴的な空間。最初にここに来たとき、強い印象を受けた。と言いつつ、私はこの建物のよさを半分も理解していない。いつも、絵画作品に見入ってしまい、建築の存在を忘れてしまうからだ。
 途中、新館から中庭を眺める。許可をもらって、中庭の写真を撮った。西洋美術館の新館は長期間工事をしていたため、常設の絵画の一部が2年近く見られなかった。ある画家の水彩を久しぶりに見に行ったが、残念ながら展示されていない。代わりに、油彩を見る。西洋美術館といえば、多数のロダン作品が有名だが、モネの作品もいいものが揃っている。新規の収蔵品として、ハンマースホイの「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」が加わっていた。
 夕方、国立博物館前の噴水横のベンチでおにぎりを食べていると、鳩が数羽寄ってきた。それらに米つぶをあげていたら、いつのまにかたくさんの雀に囲まれる。かわいいチュンチュンたちに、分けてやる。その中の1羽がこちらの顔の前で空中静止しながらねだるので、米をつまんで差し出すと、それをつついて食べた。上野の雀は面白い。

090624_kokuritu_s2.jpg
090624_kokuritu_s3.jpg
090624_kokuritu_s1.jpg

二俣川 [街]

 横浜駅から相鉄本線に乗って、二俣川へ行く。とあるイラストレーターのアトリエ訪問。その人の年齢は88歳だが、いまだに若いころと変わらぬ画風と絵の出来を保つ。すでに50年、貼り絵技法による仕事を続けているという。自負に満ちた口調。北海道や日本各地で開催される個展にも出向くとのこと。そのパワーと色彩感覚、斬新さに、いまどきのイラストレーターやデザイナーはとても太刀打ちできないだろう。アトリエにあるたくさんの作品は、ジャンルごとにきちんと棚に整理されていた。
 二俣川駅の南側は起伏に富んだ土地だ。山や竹林もある。さちが丘の長昌寺付近や駅周辺は鉄道と道などが入り組んでいる。道路横の水路の上が歩道になっている個所もあり、人々はザラザラしたコンクリートのフタの上を行き来する。久しぶりに質感のある場所を歩き、一種の心地よさを感じた。ひるがえって、東京を考える。ここも確かに坂が多い土地だが、すでにそこが山だったのか、あるいは丘だったのか、川が流れる谷だったのかの痕跡は皆無で、元の風景は想像できない。すべてがなにかで覆われている。横浜あたりには、地形の痕跡ばかりか、自然そのものがまだ残っている。しっかりと、山や丘陵とわかる場所が多い。街の一部を切り取っても、そこになにがあるかを口に出して言えるのだ。つまり、地形に沿って街がある。どうせ住むのなら、そういう特徴のあるところに住みたい。家の近所にある目印が、コンビニやマンションだけではあまりに味気ない。

紫陽花 [街]

 紫陽花を撮りに行く。曇り空。雨が上がって5時間ほど経っていたため、花も葉もすでに乾いていた。白や青、紫、そしてそれらが混じった色の花のかたまり。紫陽花のちょっとした群生地。背後を頻繁にクルマが通る。ひととおり撮ったころ、男性が話しかけてきた。「デジカメですか?」と聞く。そうです、と答えた。彼は銀塩カメラを使うが、いまは体の具合が悪く、撮影を控えているという。腰の周りに医療用コルセットのようなものを付けていた。マクロレンズで撮っていたと思っていたらしいが、こちらが使っていたのは単なる50mm。ひとしきり花の撮影について話をした。彼は自ら、精神を病んでいると語った。それでも、気兼ねなく会話が続く。まだしばらく咲いているでしょうから近いうち撮りに来たらどうですかと言うと、品定めをしていた。道沿いに並ぶ色とりどりの紫陽花。つぼみもまだ多い。それではありがとうと、互いにその場を後にする。
 次に、木立のある公園に行き、雨上がりの植物から供給される酸素を肺に入れた。深呼吸しながら歩く。雨の後は樹木の表面の苔が美しい。帰宅して紫陽花の画像をパソコンで見ると、たくさん撮った割にいいカットがまるでない。中途半端な距離感。彼の言うとおり、三脚を立ててマクロで撮るべきだったか、と思う。

090606_ajisai.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

船引町 [街]

banetu-2.jpg

 東北新幹線の郡山駅から磐越東線に乗って、船引(ふねひき)という町に行く。磐越東線は3両編成でローカル列車の趣。福島県のほぼ中央に位置する郡山駅と南東(浜通り)にあるいわき駅を結んでいる。
 船引駅で降り、駅前のロータリーを見渡すと、カタソネという名の大きなカメラ店が目に入った。店頭の古びたシャッターが降りている。撮影スタジオの看板のほか、シャッターには「カラー現像所」と書かれているが、店が営業しているのかどうかはわからなかった。タクシーに乗って取引先に向かう。船引町の南東には山を削って造られた分譲地があり、新築の家が並ぶ。タクシーの運転手に、「土地を見に来たんですか?」と言われる。日差しが柔らかく感じられるのどかな住宅地。分譲地がところどころにあって、他県から購入に来る人もいるという。
 1時間ほどで用事を済ませ、歩いて船引駅に戻る。片曽根山という、なだらかで青々とした山が町を見下ろしていた。駅前通りは、空き店舗が目立つ。新しい店は土地が十分に広い分譲地側のほうにでき、近い将来大型のショッピングセンターもやってくるらしい。よくある話だ。駅には学校帰りの地元の高校生の集団。みな服装が着崩れている。あれなら私服のほうがまだましだろう。ローカル線の車内では、女子高生3人組が内気な男子高校生にわいせつな言葉を投げかけてからかっていた。
 郡山駅で和菓子「くるみゆべし」を買う。東北地方にはさまざまなゆべしがあり、私は「かんのや」のゆべしが好きだ。郡山からしばらくの間、夕暮れの車窓の向こうには田園が続く。日本にはまだまだ田んぼが残っていることを確認するように眺めた。郡山から東京駅までは1時間半ほど。

katasone-san.jpg
funehiki-1.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

三鷹の名建築(1) [街]

lutheran-1.jpg

 たいそうなタイトルを付けたが、実はまださほどいい建築を発見していない。徒然に見つかれば、その都度書いてみたい。さて今回は、大沢にある「ルーテル学院大学」。中近東文化センターに隣接するこの大学の建物は、日本の著名な建築家の一人、村野藤吾氏が設計した。国内の建築において重要なもののひとつだ。同氏の建築でもっとも有名なのは、有楽町にある日生劇場だろう。花崗岩や石膏、アコヤ貝などを使った日生劇場の内観はとても有機的で柔らかい印象。日生劇場内部の花崗岩に施された荒い仕上げ同様、ルーテル学院大学の外壁は毛羽立っていると言ってもいいほどのテクスチャーだ。外壁のマチエールの印象はかなり強い。そして、冠のようなチャペルの形状も独特。
 この建築では、チャペルを始め、面の置き方が素晴らしい。単純に大きな面で構成するだけでなく、面取りや傾斜などが施され、ディテールは多彩だ。低層棟のたたずまいは、中庭の雰囲気と共にいまでも十分モダンな印象を受ける。図書館に備わる円筒形の階段室?や各種の開口部など、見所が多い。また、敷地の奥にある学生寮の窓の傾斜が絶妙だ。ルイス・カーンのソーク研究所に通じるものがある。キャンパスのそのほかの建物や内観もじっくり見学してみたいところだが、残念ながら関係者以外の立ち入りは許可されていない。チャペルや図書館などは道路側から見ることができるので、機会があれば立ち寄ってみてほしい。

lutheran-2.jpg
lutheran-3.jpg
タグ:三鷹

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。