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神代植物公園のバラ [街]

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 天気がいいのでぶらりと植物公園に行った。春のバラを見る。秋の最盛期よりは少なかったが、けっこうな人出。デジタル一眼レフカメラに望遠レンズを組み合わせて熱心に撮る人が目につく。コンパクトデジカメにマクロのコンバージョンレンズを付けて、思いきり近接撮影をしている若い女性などもいて、興味深い。コンクールの花壇にはひかえめに咲く原生種やつるバラが咲いていた。本園のほうは大ぶりな花が多い。その中では「シーパール」という名のバラが美しかった。神代植物公園のバラは、昔のほうが咲き方や枝振りがよかった気がする。手入れは、以前は植物公園が自ら行っていたが、次に京成バラ園が出向して担当し、最近は入札で入った業者に委託しているという。いまのバラ園は、全体に粗い印象を受ける。深大寺北町6丁目のとある住宅に咲くバラのほうが、撮影してみたいと思う花が多い。
 今日は初夏の気候。木立で涼み、売店でヤキソバを買って食べる。以前、子連れで来たときは、よくこのヤキソバを一緒に食べた。「カルミア」という、変わった花弁の白い小さな花を撮って帰る。

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木村伊兵衛 [街]

 昨日は所用を済ませてラウル・デュフィ展に行った後、夕方、ギャラリー由芽で三鷹市在住の作家によるグループ展を見た。三鷹にはいま、在住美術家の組織ができていると画廊の人が言っていた。それから上々堂に寄って、画集と木村伊兵衛の写真集を買い、その先にあるそば屋「まつや」でたぬきそばを食べる。あげ玉のほかに、大根や山菜、こんにゃくも入っていて、細麺でうまかった。
 帰宅して木村伊兵衛の写真集を見る。「昭和の女たち」というタイトルで四六判。絶版らしい。木村伊兵衛の写真は、つい気軽に流して見てしまうが、いずれのカットも確実に印象に残る。スナップの達人と言われるその力量と眼はやはり確かなものだ。土門拳のような真に迫る描写ではない。しかしその時代に生きた女性の潔い存在感を見事にとらえている。それにソフトフォーカスがよく合う。この本で、「おばこ、大曲市」に別カットがあったことを初めて知った。
 私は、ときどきRollei35を使うが、木村伊兵衛の写真を見ていると、そろそろライカにしようかなどと思ってしまう。しかしそれは無駄な想像だ。なにしろ本当の写真家は、自分で現像・プリントを行う。そこまでして初めて写真なのだ。カメラだけ使ってフィルムを街のDPEに出しても、思うような写真など出来るはずもない。そうなると、次の選択肢はデジカメになる。これならパソコンを使い自分でレタッチをして、プリンターで印刷できる。しかしデジカメは、いまひとつ腰を据えて使う気になれない。一眼レフデジカメではきれいに写りすぎてどうも気が乗らず、コンパクトタイプはマニュアル操作がしにくい。もっとも、いまいちばん足りないのは、対象への興味だろう。撮りたい対象のところへ行く気持ち。これが年々しぼんでいる。

美術鑑賞 [街]

 三鷹センターにある画材店に寄ったあと、三鷹市美術ギャラリーで「ラウル・デュフィ展」を見る。まとまったかたちでデュフィを見るのは初めて。1900年前後のフランスを生きたこの画家が、どのような制作の変遷を経たかに興味があった。
 会場に入り初期の油彩を見ていると、警備員が近づいてきて、線の内側に入るなという。足下を見ると、グレーのラインを踏み越えていた。テニスでいえば、フットフォルトである。これで3割がた鑑賞する気持ちが萎えた。さらに、いつものように監視員の女性たちの突き刺さる視線で5割がた興がそがれる(つまり、気が散る)。彼女らは連携して移動しながら、来場者の挙動を逐一監視している。作品を見に来たにもかかわらず、私は彼女らから自分に向けられる視線がかなり気になってしまう。こちらはさながら犯罪者の気分だ。いつものように、残りの2割の気力?で作品に目を向けた。そして、長い時間をかけることで作品に集中した(これはこれで、さらに監視員の注意を引く行為になる……)。
 周知のとおり、この状況は三鷹市美術ギャラリーに限らず、国内ではあたりまえのこと。子供が館内でちょっとでも大きな声を出そうものなら、「お静かに」と言われ、ガムをかんでいると、足音もたてずにすっと近寄ってきて、ガムはご遠慮くださいと注意される(中には、ちり紙を差し出す美術館もある)。
 借り物展示の宿命か、国内の美術館はいらぬ気を使わなければならず、集中して作品を見ることがむずかしい。「客」は来場者ではなく、あきらかに作品のほうだ。大型の企画展を別にして、これでは、来場者は増えないだろう。以前、ニューヨークのメトロポリタン美術館に行ったことがあったが、そこではまったく気兼ねなく名画を身近に見ることができた。場所によっては写真撮影もOKだったのには驚いた。じっくり絵画を見るなら、外国に限る。
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あそび [街]

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 以前、息子と一緒に中央線の跨線橋に散歩に出かけたことがある。その昔の太宰治の写真はどの辺で撮ったのだろうなどと思いながらあたりを見回していると、息子が下り電車に向かって大きく手を振っている。理由を尋ねると、時々手を動かして応えてくれる運転手がいるのだという。「それはすごいね」と私は言った。子どもというのは面白い発見をする。こんな話をすると、「勤務中の危険行為だ!」などと声高に叫ぶ人物が現れ、運転手の応答全面禁止などとなるのが近年の日本の常だ。人間をがちがちに縛ることで、世の中がうまく運ぶと思っている。その考えが、関西の脱線事故の大きな要因だったのではないだろうか。時間的、精神的にゆとりがない社会で、さらに人間を規律・効率で締め上げる。実はそのほうがよほど危ない。物事が複雑になりすぎて、規律や効率だけではやっていけないのがいまの時代だ。中央線を例にとってみても、信号機故障などのトラブルは20年前に比べていまのほうが圧倒的に多い。
 われわれの生活には、いたるところに緩衝材ともいえるあそびが存在する。木造建築はあそびがあるから、地震でも折れず、倒れない。また、昔の住宅には縁側というほどよい空間があった。日本人はあそびをうまく使い、それによって社会をうまく回してきた。あそびはゆとりとなり、心の余裕が生まれる。その余裕が事故を未然に防ぐことにもなるだろう。「電車の運転士になりたい」と思う子供も育つ。気持ちの余裕を取り戻したいものだ。

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水車経営農家 [街]

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 大沢にある古民家「水車経営農家」を見学した。武蔵野地域には、江戸から明治、大正時代にかけて、数多くの水車があったという。ここには、野川の川岸に残された実際の農家の敷地に、水車をはじめ、母屋や土蔵などの建物、農具などが保存・展示されている。直径4.6mの水車(現在は動いていない)とそれに付随する木製の歯車や駆動装置がたいへん興味深い。臼やふるいを動かす駆動機構の仕組みはかなり高度で、思わず見入ってしまう。日本人は、水車においても優れた技術を持っていた。
 土蔵や物置にはその昔使われていた農具や民具が当時の状態のまま保存されており、古い日本の農家の仕事と生活を彷彿させる。数十年前の農家で経験した朝夕の炊事の匂いも思い起こされた。資料の調査や整理、解説パネルの展示などは、武蔵野美術大学の神野研究室が協力しているという。各種の道具を見るにつけ、昔の日本人が、建築に限らず、木を非常にうまく利用していたことがわかる。私はそれらが並ぶ物置や土蔵の空間から、単なる郷愁以上のものを強く感じた。われわれの血には、木に通じる独自の遺伝子が組み込まれているらしい。水車経営農家は三鷹市の文化財に指定されている。ボランティアによる解説も聞くことができ、入館は無料。今年10月からは、野川の水を引き、新設の水車を回すための工事も始まるとのこと。古い水車の姿を見ておくならいまのうちかもしれない。

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野川 [街]

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 白鷺が川面をついばむ。その横を鴨の家族らが進み、川べりを歩く。水中で鯉がゆらゆらと泳ぎ、ゆったりとした時間が過ぎる。三鷹を横断する野川には昔ながらの武蔵野の自然が息づいており、このような光景を間近で見ることができる。東京でも、野鳥が生きていけるだけの環境がまだ残っているらしい。ただし残念ながら生活排水が流れ込んでいるため、水質はよくない。それでも、数年前よりはましになったようだ。以前は水が淀んでいることが多かったが、最近はいちおうの流れがある。
 野川沿いは、散策するたびになにかしら発見がある。私は、人見街道を下った地点から二枚橋方向へ歩くことが多い。東八道路の北側付近では国分寺崖線からの湧き水に出会える。自然観察園や野川公園を歩くのもいい。また現在もあるかは不明だが、大沢(人見街道の東側)のほうにはわさび田があり、5月になると、横に連ねた鯉のぼりを見ることができた。その近くの出山横穴墓は子供の自由研究のいい題材だ。野川の水は一時枯渇したが、このところ水量はどうにか保たれている。私は時々、野川に行って息抜きをする。空気がきれいなわけではないが、この小さな川と土手の道、木立は、市民にとって希少な自然だ。ここに護岸工事が施されたり、崖線上の建物によって湧水が失われるようなことがあるなら、武蔵野とは名ばかりの住みづらい土地なるだろう。
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「開」ボタン [街]

 駅前ビルの地下駐輪場に降りるエレベーター。ここを利用し始めた当初から気になっていた出来事がある。ときどき高校生か大学生くらいの青年と乗り合わせることがあるのだが、駐輪場階に到着した際彼らの多くは、こちらが降りるまで「開」ボタンを押して待っているのだ。この経験は二度や三度ではない。先日は、駅のホームにあるエレベーターでも同じ経験をした。これは、年上の人間に先を譲るマナーとしての行為なのだろうが(ちなみに私は40代)、こちらはいつも少々驚く。いまどきの日本で、金儲けがすべてを優先するこの国で、いまだ礼儀が生きていることに。
 彼らは、この姿勢をどこで学んだのだろう。当然ながら、自分を含め、彼らより年上の世代にこういった公共の礼節を持ち合わせている者はいない。せいぜい、会社の上司や客、知人に対して行うのみだ。見ず知らずの他者、それも年上の男に対して実践している彼らは偉いと思う。私は、内省もこめて「すいません」などと言いながら、その気持ちを受けている。近年の殺人事件報道や、学年崩壊を起こしたわが息子の中学校を見て暗澹たる気分になっていたが、日本の将来にも陽が差す地平があるようだ。こういう青年たちを生かす社会であってほしいと願うばかりである。
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DAILIES [街]

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 欧州の香り漂うモダンな雰囲気の店「DAILIES(デイリーズ)」。ここではたまに食器のセールを行っており、私はモチーフ用の白い大皿などを買うことがある。そのほか、柳 宗理や白山陶器の食器、台所用品、テーブル、イス、ステーショナリー、雑貨など、優れたデザインの品物(主に輸入品)を展示・販売し、品揃えには見かけだけでなく実用的できちんと使えるものが多い。
 DAILIESは店内を見て回るだけでも楽しく、私はアールトのグラスや縦罫のツバメノート、BONOXのテープディスペンサーなどもこの店で購入し愛用している。欧州の香りの元は、ボディーケア用品や入浴剤、ロウソクなどだろう。外国旅行の際に感じる独特の匂いだ。メインの客層は、子供連れの若夫婦といったところ。店内には外国の家具もけっこう並んでおり、デザインや味のある木の質感が魅力だ(ただし価格は少々高め)。同じフロアにある「DAILIES Cafe」も落ち着いた雰囲気。暗めの照明が心地よい。DAILIESの場所は、南口中央通りを駅から徒歩9分ほど南下した、三鷹プラーザの2階。

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古書上々堂 [街]

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 また昔話になるが、三鷹駅南口の中央通りを南下し、スーパー丸正がある交差点を右に入ったところに、「げんせん館」という古書店があった。典型的な古本屋のたたずまいの店で、店頭にはマイルス・デイビスのポスターが貼られ、70年代のマンガやアダルト、雑誌バックナンバー、実用書、思想書が充実していた。さらにこの店の斜め向かいにも古書店があり、こちらは少々堅い本や希少な文庫本が多かった記憶がある。いずれの店も数年前に閉店(したか、あるいは他所に移転)してしまった。
 そんな中で現在、同じく中央通りに面する「古書上々堂(しゃんしゃんどう)」はがんばっている。この書店は、店構えや雰囲気づくりがうまく、棚を含めた全体の質感や色合いも好印象。画集、写真集、文芸、絵本、趣味、思想系が、背の高い棚に見やすく並んでいて、つい長居してしまう。児童書が充実しているほか、ときおり芹沢けい介のカレンダーや関連本なども並んでいる点が要チェックだ。今日は、作品社・日本の名随筆「石」を購入。自転車操業的な状況が続く出版・書店業界を見るにつけ、こういう落ち着いた佇まいの店こそ大事にしたいと思う。

追記:
その後、同店は商いを店頭よりもAmazonでの販売にシフトした。そのため、店頭の書籍の半数近くがビニールで包まれ、内容や価格を確認できなくなった。また分類も雑多になり、ジャンルなどで書籍を探すのは厳しい。店内の雰囲気も変わってしまった。やむを得ないことだろう。近年は北口の古書店「水中書店」を利用することが多い。

三鷹の現代美術画廊 [街]

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 画廊に行く機会がめっきり減った。近年は、案内状をもらった知人の個展やグループ展を時折訪れる程度だ。学生のころはよく銀座の画廊を巡り歩いた。それもほとんど現代美術系。たまに驚くようなオブジェや面白いインスタレーションに出くわすことがあった。最近はどうなのだろう。そのうち、時間をつくって行ってみようかと思う。銀座の画廊の地図も大きく塗りかわっているはずだ。
 実は三鷹にも、コンテンポラリー系の画廊がある。南口中央通りの丸正の角を左に入り、そのすぐ先を右に曲がった白いマンションの1階にある「ぎゃらりー由芽(ゆめ)」。ここは、草間彌生や靉嘔から若手まで、幅広い作家の作品を扱っている。商店街通りから一歩入って出会う現代美術というのは、ちょっとしたハプニングだ。いちばん最初にこの画廊を訪れたとき草間彌生展が開かれていて、驚いた記憶がある。買い物帰りや散歩の途中で立ち寄ることができる希有な現代美術画廊。ちなみに私は、土曜日の午後や病院の帰りに行くことが多い。夕方、外から見ると、白い建物に映える白い室内と作品がいい雰囲気を醸し出している。ゆっくり鑑賞でき、作品は購入することが可能。分割払いもできるらしい。
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