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ドキュメンタリー映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」 [映画]

 ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスのドキュメンタリー映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」の試写を渋谷のアップリンクで観た。 監督は1959年生まれのアンドレス・ファイエル。本作はヨーロッパや米国などで2018年に公開された。

 映像と写真を、テレビの特集番組のように巧みにそしてリズミカルに構成しながら、稀代の芸術家の実像に迫る。ボイスを撮影した映像と写真のアーカイブは膨大にあったとのことで(300時間におよぶ映像、300時間ぶんの発言や彼について語った音声、50人の写真家による2万枚近くの写真)、その中から選んだシーンやカットを編集し、間にボイスと旧知のキュレーターや友人などの関係者インタビューをはさんでいる。

 ヨーゼフ・ボイスはマルセル・デュシャン以降の芸術家の一人として、ヨーロッパの現代芸術の系譜において大きな存在感を放っている。1921年に生まれ、1986年にデュッセルドルフで亡くなった。フェルトや脂肪などさまざまな素材を用いた作品をはじめ、多様なパフォーマンスを発表し続け、各地で対話や議論を行い、アジテーションし、黒板を使ったドローイングなど、従来の表現形式を大きく超える仕事を続けた。パフォーマンスは特異かつ先鋭的で、のちに続く表現者たちの先駆的な役割を果たす。1984年に西武の招聘で来日し、西武美術館での個展や草月ホールでのパイクとのパーフォーマンス、講演会、大学生との対話集会などを行っている。

 ボイスは大戦中に爆撃機に搭乗し、撃墜された経験を持つ。墜落した際に重傷を負い、フェルトと脂肪で身体を包まれ、タタール人に命を救われたというエピソードを後年語った。紹介文の中で坂本龍一氏が指摘しているボイス芸術の根幹にある「傷」については、私も以前から意識していた。彼の一部の作品にはなにかを治癒したり、救助することを暗示するような側面がある。それがタタール人に救われたエピソードからきているのか、その逆なのかは分からない。戦争への従軍経験が大きく関係していることは確かだろう。

 戦争だけでなく、白黒映像の中の芸術家は社会や狭義の芸術、仕組みに対し、常に問いを投げかけ、彼がいうところの「反感や共感を超えた世界」を目指していた。その活動の経歴を映画としてまとめて見ると、古いアーカイブにもかかわらず、アグレッシブで生々しい。そして、独特の挑発の裏に漂う脆さや危うさを感じずにはいられない。

 その脆さや危うさとはなんなのか、本作はボイスの行動や言葉からにじみ出る哲学や思考(彼がいう彫刻)を多くの映像で追っているが、そこに現れているものを容易には言葉にすることができない。存命中は無理解にさらされ、批判も多かったはずだ。反感や共感を超えた彼の立ち位置もその要因だろう。手がかりとなる、映画の中で語られたボイスの言葉の一部を取り上げてみる。

「俺の作品は窓から捨てよう。
あんたの作品もまず捨てろ」

「俺は人々の意識を拡張し、現実の政治状況を語れるようにしたい。
今、民主主義はない。
官僚政治に教育されて、自由な人間になれない。
だから俺は挑発する」

「皆が詩人や画家だとは言っていない。
だれもが社会の芸術家という意味だ。
新しい芸術には全人類が加担すべきだということ」

「撹乱は必要だ。
人目を引くためにね」

 1982年のドクメンタ7では7000本の樫の木を植えるプロジェクトを実現していた。当時、彼のアクションや思想を理解していた人はどれほどいたのか。デュシャン同様の作品の捉えにくさと暗喩、謎めいた行動。大学生だった私はほとんど意味がわからなかった。来日前にスタジオ200で見た映像「私はアメリカが好き。アメリカは私が好き」を私は長い間、頭の中で反すうしていた。訪れたアメリカで誰にも接触せずフェルトに包まれたまま移動し、檻の中でコヨーテと出会うボイス。1984年の西武美術館で見た展示からも強い影響を受けた。フェルトのスーツ、ソリ、干からびたキャベツと譜面台。しかし常に頭の中に湧き出ていたのは、それらの物質の質感と触覚からくる感覚的な印象と「いったいこれはなんだ?」という単純な疑問だった。

 彼は虚構や神話的な人物だったのではない。鋭い観察眼や洞察をもって、対話や議論を行った。'84年の来日時に芸大体育館で開かれた学生との対話集会において、学生の「日本にはどうしてボイスのような人が現れないのか?」との稚拙な質問に対し、「日本人の対話が沈黙に陥っているからだ」[*]と語り、日本人の特性を的確に見抜いていた。

 あれから35年経ったいま、私はようやくボイスの輪郭を捉えることができるようになったように思う。この映画はその大いなる一助になる。あらためて、来日時に西武が撮影した映像を見て言葉を追った(これは本作とは別の作品)。疑問は捨て去らず、持ち続けるべきだ。「だれもが社会の芸術家という意味だ」という彼の活動を語るときに欠かせない概念「社会彫刻」。すべての人が社会変革に参加し、その際に発揮する力、ボイスはその創造力を芸術と呼んだのかもしれないと思い、端緒に触れた気がした。ボイスからすれば、油彩画を悶々として描いている私などは「いまだに古い形式にしがみついて”作品”を捨てられない人間」ということになる。ボイスの思考は、芸術から政治、民主主義、われわれの未来までを一気に貫く長い棒だ。それは人々の自律と対話なしには存在しない棒である。彼の挑発はいまだに有効であり、そればかりか、存在感は強まっている。

 ヨーゼフ・ボイスは現代芸術に際立った足跡を遺した巨人の一人だ。彼のアクションと思想がリアリティをもってスクリーンの向こうから迫ってくる。しかし映画の終盤にさしかかり、緑の党の政治活動に参加するあたりからどんよりとした不安定さを感じるようになる。「作品」制作から離れ、人々の中にまぎれて生身で行動する姿から、ボイスの存在が逆に見えなくなっていく。政治と創造性の接点でなにかをつくる、あるいは人々に転換を促すというのはかくも難しいということか。「だれもが社会の芸術家という意味だ」という言葉に人々は続かなかった。

 入院生活のカットでは、いつも被っていた帽子を脱ぎ、禿げ上がった頭を露出してカメラを見つめる。その顔からは、なにかを成し遂げられなかった虚脱感さえ感じた。それはわれわれが生きているこの世界の現状が、ボイスが描いていた未来とはかけ離れた方角へ向かってしまったせいなのかもしれない。彼が民主主義、経済、政治そして芸術と自律という重要なキーワードに'70年代(あるいはそれ以前)からコミットしていた点は日本でも再考されるべきだろう。そのいずれもが根付いていない国であるにせよ。そして私はあらためて「拡大された芸術概念」について考える。ボイスの挑発は色あせない。



[*]「それは人間同士の対話が沈黙に陥ってしまったからでしょう。本来の深い人間性の問題についての対話が行われなくなったのです。特に日本の驚異的な経済成長の時期には、人間の内的欲求は生活水準向上の欲求に変えられてしまったのです。この誘惑の中でブレヒトの明快な洞察を実行するのは困難です。つまり、いかなる革命にもまさる未来の革命とは、人間が人間同士で徹底的に話し合うことだと彼は言うのです。毎日、毎時、毎分たえず自分の考えや意識を伝え合うことが、人間が集まって考えを述べ合うことが、連帯を生む唯一の道であり、大勢が連帯すれば無批判に受け継がれてきたシステムに打ち勝つことができるのです」

2019年3月2日からアップリンク(渋谷・吉祥寺)ほかにて公開。
20190203_ボイス_チラシ.png
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