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津波の跡——いわき市豊間 [津波]

 5月3日に、いわき在住の友人のクルマで三崎公園と豊間(とよま)に向かった。私は帰郷するといつも三崎公園に行く。その名のとおり、太平洋を臨む岬の近くに造られた広大な公園だ。公園の中央には、ランドマークの「いわきマリンタワー」が建っている。来る途中に通った小名浜造船所も津波の被害を受け、建物が壊れて道に大きくはみ出していた。自衛隊の大型車が2台、公園のほうへ走っていく。

 なだらかな丘陵に広がる公園は、連休中だというのに人影が少ない。以前の連休であれば、たくさんの家族連れが来て芝生広場で遊んでいたものだ。それが地震の影響か、原発のせいなのかはわからない。駐車場にクルマを停め、海沿いの散策路を歩く。ベンチに腰掛け、地震の際やその後の生活、原発のことなど、友人としばし話をした。彼は地元の消防団に所属し、震災後は小名浜や豊間地区で活動したという。行方不明者の捜索にも加わり、自衛隊と共に仕事をしたとのこと。もし捜索中に遺体が見つかったら、大きなショックを受けるところだったと語った。

 公園から見える太平洋はいつもと変わりがない。以前と違う点といえば、岬の突端にある潮見台が入場禁止になっていたことと、その上にある展望台に漁業関係者らしき男達の姿があったことだろうか。彼らは小名浜港のほうをしばらく眺めていた。展望台の下にある小さな浜辺でボランティアらしき若い人が3人、なにか作業をしている。私は、展望台から太平洋を見て、潮風を吸い込んだ。広大な太平洋の彼方からやってきた津波。その恐るべき姿を想像した。それが小名浜港に到達したときに撮られた映像を思い出す。

 三崎公園から海岸沿いを北上して、永崎を通り、江名(えな)の中之作港と豊間に向かった。私が毎夏によく行く永崎海岸付近の被災状況もひどい。ここは道一本を隔ててすぐに浜辺となる。防波堤はあるのだが、それを超えて津波は道沿いの家屋を襲った。皆、横からたたき壊されたような状態。知り合いの親戚の家が、石造りの門柱2つを残して跡形もなく消えていた。海水浴客が利用するファミリーマートはかろうじて外観をとどめている。川沿いの工場の建物ががっくりと傾く。河口から押し寄せた波にやられたのだろう。

 江名も被害を受けた。港は津波が残した残骸が片付けられていたが、まだいたるところにそれが山となって積まれていた。小名浜港同様、港の再開にはかなり時間がかかるだろう。江名の町は港よりも地盤が2、3mほど高くなっている。そのため、津波の被害は比較的小さかったようだが、港に面した木造家屋などは軒並み倒壊していた。

 豊間は津波の被害が大きかった地区だ。海岸線に近い住宅がだいぶ波にのまれたらしい。クルマを降りると、目の前に工場の屋根が壊れて広がった傘のように倒れ込んでいた。作業用の小型の重機が数台並んで置かれている。ここも撤去作業はかなり進んだようだが、まだ道沿いには材木などの瓦礫が山積みとなり、半壊した住宅がそのままの状態で残されていた。基礎や塀を残して、なにもかもがいっしょくたに波に呑み込まれ、瓦礫になっている。人の姿はほとんどない。

 被害の現場に立つと、思わずぼうっとしてしまう。口から言葉が出てこない。もっとも、何を言えばいいのか。ため息すら空々しい。基礎だけが残った家々の痕跡。茶の間や風呂場がむき出しの家。津波が襲う直前まで続いていた生活の痕跡が目の前に表れる。木材や建材に混じって布団や家電品が転がっている。まだ開けていない贈答品の包みがあった。子供の学用品やオモチャ、靴を見つけ、切なくなる。この子らやその親は無事だったか。いまどこにいるのか。

 一帯は荒涼たる風景となっていたが、道だけはとりあえず確保されていた。ときどきクルマが行き交う。歩く人も数人いた。海のそばに居を構えるということは、常に危険と隣り合わせだ。高波をかぶることがある。そのことは、たいていの人は知っている。しかし現実はさらに容赦なく、人間は想像を超えた力の前になすすべがない。いわき市だけで300人以上の方が亡くなったという。惨状を前に、心に傷が刻まれる。同行してくれた友人が、アスベストの飛散の心配があるから長居しないほうがいいと言った。立ち去る前に津波がやって来たほうに目をやる。曇り空の下、潮をかぶって枯れた草木ごしに灰色の静かな太平洋が見えた。

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三崎公園から見た小名浜港

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門柱を残して消えた永崎海岸沿いの家

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屋根の鉄骨だけが残る工場(以下、豊間)

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折れた電柱

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家屋の残骸

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子供の画帳

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オモチャ

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だれかがカゴに入れた子供の道具箱

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波にはぎ取られた住宅

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整地された道

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基礎や塀以外は原型をとどめず

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残骸となった木造家屋

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被災したクルマ

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むきだしになった風呂場

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枯れ草の向こうに見える太平洋
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小名浜港の津波 [津波]

 5月1日、原発事故や地震被害のただ中にあった実家の様子を確かめるために、郷里のいわき市に行った。同時に、小名浜港などの津波被害の様子も知りたかったので、沿岸沿いを見て回った。
 父のクルマで湯本駅からまっすぐ小名浜港に向かう。地震発生から2カ月近く経った小名浜の町だが、港に近い住宅地では、壊れた建物の残骸や浸水した家電品、家具などがいまだ道沿いに集められていた。実際に見たところ、津波は岸壁から港付近の住宅地や歓楽街のあたりおよそ100〜150mまでで止まったようだ。
 湾岸地帯には、壊れたクルマが数台被災したままの状態で置かれ、フェンスや各種の設備などがなぎ倒されていた。パイロット合同事務所が傾いている。日曜のせいもあってか、人影はほとんどない。臨海鉄道の駅や線路も被害を受け、信号機の鉄柱が根本から折れている。肉厚4mmほどの角柱が切断されているのを見て、あらためて津波の威力を知る。駐車場にある直径10cmほどのステンレス製のパイプも完全に曲がっていた。たぶん、流された船が当たったのだろう。また、岸壁に建つ倉庫の側壁が人の高さほどはぎ取られ、波の圧力と進み具合が想像できる。
 水族館「アクアマリン・ふくしま」周辺は立ち入り禁止になっており、その近くのデッキは8mほどにわたってえぐられていた。打ち寄せる波の高さを見ると、この一帯が数十cm程度沈下していることがわかる。大潮や満潮になれば海面が上がってくるだろう。商業施設「いわき・ら・ら・ミュウ」も1階部分が津波に襲われ、ベニヤ板で補強されていた。同館では亡くなった人もいるというが、定かではない。
 小名浜港にある魚市場やその建物の周囲も、数人の漁師と見物人以外はだれもいなかった。建物周囲には網や浮きに机、椅子、電化製品などいろいろなものが混ざった残骸が積まれ、一方で1階の事務所内には物がなにもなく、がらんとしている。漁港としての機能は完全に停止していた。漁師たちは船の様子を見に来ていたようだった。港の敷地もところどころ沈下して波打っている。港と道一本隔てた区画には鮮魚店や土産物店、レストランが並ぶが、いずれも1階部分が波にのまれ、現在は閉店している。
 市場の前の湾に、大型の漁船が1隻半分沈没していた。その横の岸壁にも同じくらいの大きさの船が打ち上げられている。津波のエネルギーは相当強い。油も浮かんでいない静かな湾の中に放置されたように沈んでいたため、この光景を見てもさほど驚きを感じず、眼前に映る事態が、なぜか遠く感じられた。津波で押し流された船や残骸はだいぶ片付けたのだろうが、この2隻が残った状態だ。ほかにも1隻の小型船が、少し離れた堤防に打ち上げられていた。無事だった漁船も多く、湾の東側にあるいつもの埠頭に停泊している。この漁船の風景をテーマに描いていた私の師を思い出す。
 港の機能が止まるということは、その関連産業も動いていないということだ。父によれば、製氷工場や冷凍工場もいまでは廃業状態だという。各工場には入り口にロープが張られ、閑散としていた。夕月かまぼこの本社も同様だった。津波被害に加え、今後は原発からの放射性物質廃棄による海洋汚染への対処に迫られる小名浜。この先どうなるのか、まったく想像がつかない。貿易港としての機能を回復するなど、震災からの復興は可能に思える。しかし、放射能による海洋汚染の拡大は人類史上前例がない事態だ。小名浜港は沿岸漁業と遠洋漁業が行われている。サンマや名産のメヒカリのほか、暖流と寒流が交わる好条件の漁場でマグロ、カツオが獲れる。いまはただ、その自然が保全され、市民の営みが以前のように続くことを願う。

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被災したクルマと傾いたパイロット事務所

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切断された臨海鉄道の信号機

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臨海鉄道の線路

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折れ曲がったステンレス製のパイプ

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彼方の防波堤を越えて津波はやって来た

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えぐられた岸壁。地盤は沈下している

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津波の進んだ跡

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小名浜魚市場

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小名浜港の湾内に沈む漁船。打ち上がった漁船

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被災した店

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市場周囲の残骸

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削られた岸壁

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打ち上げられた漁船
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