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藤原真理のバッハ無伴奏チェロ組曲 [音楽]

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 藤原真理によるバッハ「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会に足を運ぶ。会場は武蔵野文化会館小ホール。彼女の演奏を生で聴くのは初めてだ。テレビで二度ほど聴いたことがある程度。改装して間もない小ホール。それほど通ったわけではないが、音響のよさは変わらず。チェロがとても豊かに存在感をもって響いていた。ホールの壁や天井の設計はもちろん、ステージの材質や構造にも音響の秘密がありそうだ。

 余分なものはなにもない、ステージには一人の人間が演奏する行為そのものだけが存在する。それがすべて。そんな印象をいだいた演奏会。円熟した技量で原木を削りだし、美しい木肌をそのままに見せる彫刻のようだった。私が好きな質感の音だ。難度が非常に高いと思われるが、およそ2時間半、黙々と6曲を弾きこなした。職人的な厳しさを備え、気負いや誇張のない、本質だけを見据えた見事な演奏だったと思う。

 彼女の手元に、年季の入ったチェロに、ステージ上の空間を見上げればそこに、バッハがあった。時代を超越した音楽とはこのようなものを指すのだろう。ふと、先日亡くなった人のことを思う。音楽はこの世界と天上を結ぶものではなく、人々が旅立ったあとに残されたわれわれに向けられたものなのか。あるいは、音楽家という選ばれた者が天空に向けて何事もなく響かせる光なのか。いずれにせよ、音は人間がつくる物語を超えた場所に在る。擦弦によるボディーの豊潤な響きは厳かに会場に広がり、ほかの楽器とは異なるチェロ特有の音の幅、そして暖かみと深みを感じた。

 演奏は、第1番から、2、3、6、4、5番の順。この6曲はそれぞれ曲想が異なり、順番を変えることで受け止め方が変わってくる。私は特に最後の5番に感銘を受けた。終曲にふさわしい気がした。6曲の旋律には、明るさ、陰鬱さ、軽やかさ、重み、悲しみ、愉しみ、緊張、緩和、孤独など、人間にとってのさまざまな感情を含む心持ちがする。しかし聴くべきは自分の内面ではなく、ステージ上で紡ぎ出される演奏そのものだ。音楽はそこにしか存在しない。生の演奏に接する大切さをあらためて感じさせるリサイタルだった。

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