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銀座・資生堂 [生活]

 銀座の資生堂本社ビル内にある「ハウス オブ シセイドウ」で撮影と取材。ここは、創業時から現在までの同社のあゆみと、商品や広告の記録や資料などを閲覧できる一種のアーカイブスペースだ。今回伺って特に感心したのは、「アーカイブテーブル」という、引き出しとインタラクティブな仕掛け、映像を組み合わせた閲覧用の什器(装置)。引き出し上面のガラスに取り付けられたボタンを押すことで、解説文や映像をプロジェクターの投影や液晶ディスプレイで見ることができる。センサーやタグ、ヘッドホンなども利用しており、かなり凝ったつくりだった。コンテンツは、定番商品にまつわるエピソード、資生堂パーラーの歴史、男性化粧品のCM、銀座の地図、雑誌「花椿」のライブラリー、香水の匂いなど。引き出し一つひとつがボックスアートのようだ。余談だがその中に、亡き祖母が愛用していた化粧品を発見。水色の液体が入ったそのガラス瓶とロゴマークの美しさが子どもの記憶に焼き付いていたらしい。同館ではこのほか、銀座の街や化粧に関する文化についての資料や書籍なども閲覧可能。団体見学も受け付けているという。
 資生堂は老舗らしく、化粧品を基盤とした独自の文化を育み、それを時代ごとに提供してきた顧客重視の会社だ。周知のとおり、デザイン戦略やCIもしっかりしている。とはいえ、銀座に出店している他国の高級ブランドが演出する権威的な上流指向とは一線を画す、市民的な目線が魅力だ。同社が大切にしてきたもの、それは美しさ、健やかさ、豊かさだという。資生堂ギャラリーをとおし、現代美術の作家もバックアップしている。こういう筋の通った企業が日本にはある。それを思うと、少々ほっとするのだ。
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税金 [生活]

 ある人が言った。「結局国政とは、限られた予算をどう配分するかなんです」。要するに政治は結局、税金の使い道を決め、分配を行うということだ。その操作を誤ったことが、日本の経済を衰退させた要因のひとつでもある(衰退は必然でもあるけれど)。われわれは毎月、相当な税金を払っている。それにもかかわらず国の借金はふくらむ一方とのこと。国民一人当たりに換算すると、およそ700万円の負債になるらしい。そんなに簡単に膨らんでしまう理由が不明だが、本当であればかなり深刻な数字だ。いずれにせよ政治家は自分の腹が痛まない以上は、自らの才覚のなさに気がつかない。今度こそは、との思いをこめて選挙で市民が投票しても、肝心の政治家に資質がないのは悲劇でしかない。
 私は、政治家にはまず商才が必要だと思うのだ。国民の税金を使って、さらに赤字を増やすなどもってのほか。それを運用して、赤字にならないようにするのが政治家の最低限の仕事だろう。近年人気の坂本龍馬。この人物が優れていたのは、ひらめき、実行力とともに、商売の才にたけていたという点だ。周知のとおり、親の実家は財力がある商人だったという。この幕末の浪人にはその血が受け継がれている。大きな交渉ごとや各藩のリソースを結びつける能力は、当時の日本では画期的だった商社「亀山社中」で花開いたことでも明らかだ。
 ひるがえって、鳩山首相の顔を眺めると、どうも商才があるようには見えない。この人に商売をやらせて儲けを出すことができるか、と考えるとはなはだ心許ない。それ以前に、親から金をもらっているような人物が、貴重な税金をうまく分配・活用できるのかと疑問に思う。
 いまの政治家や公務員というのは、どうにも感覚が鈍いように思える。トキの飼育舎に穴が200カ所あってもまったく気づかない鈍感さに似て。会ったことはないが、たぶん官僚という人種も同様だろう。ルール作りや組織調整、情報処理が得意でも、商才や感覚は持ち合わせていなさそうだ。
タグ:税金 政治

眼精疲労 [生活]

 この数ヶ月、仕事で目と神経を酷使する状態が続く。長時間のパソコン作業とゲラ読みだ。パソコンの仕事においても、実態は管理と使役しかない。私の仕事は管理1割、使役9割といったところか。そのうえ金曜の夜中に帰宅して、すぐに寝ればいいのに映画を見て、ブログを書き、夜更かしをした。そして土曜日の朝。起床すると、立ちくらみがする。貧血のような状態で、頭に血が巡っていない感じだ。くらくらとして立っているのがしんどい。これで手足がしびれたりしたら、脳梗塞の兆候になるだろう。脳とは関係ないが試しに血圧計で測ったら、正常値。朝食を取って様子をみると、1時間ほどで落ち着いた。たぶん眼精疲労だろう。膨大な量の原稿と図版を見続け、自分でも気がつかないうちに、神経が相当疲弊していたのだ。加齢による目の衰えも影響している。無理を通すと、どこかでひずみが出る。
 土曜日は、パソコンとテレビをいっさい見ないことにした。以前も書いた「休眼日」だ。外は雨。音楽やラジオを聴き、水彩を描く。自分の時間を取り戻す。
 私は活字中毒ではないが、視覚情報中毒とでもいえばいいのだろうか。画面を見ないとなにか物足りなさを感じる。それで、先日購入した山岸凉子の選集を読む。潮出版社から昨年発売された「スペシャルセレクション」。I〜IIIまであり、全巻を入手。Iは「私の人形は良い人形」を含めて5編を収録。久しぶりに「鬼来迎」「ハーピー」を読む。鬼来迎は、美しい女の憎しみが生んだ津波が圧巻。「鬼」と津波が重なる発想とその場面が、非常に日本的だ。この巨大な津波に私は強い共感を覚える。ハーピーは高校時代に読んだ。ここでも美しい女が登場する。女との妄想的な関係の中で青年が精神に異常をきたす、印象的な作品。美しさと狂気。日常の裏側。山岸凉子作品特有の奥深い怖さを味わう。

冬の雀 [生活]

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 寒空の下、隣家の屋根に雀が数羽止まっていた。冬毛の雀は体が丸い。群れが入れ替わり立ち替わり、しばらく滞留して、そのうちにいなくなった。三鷹にもまだ彼らの住む余地は残されているらしい。エサはどこにあるのだろう。巣はどこにあるのだろう。三鷹の東側に下連雀、西側には上連雀という地名。このあたりは雀に縁がありそうだ。絆で連なる愛らしい姿に心がなごむ。
タグ:連雀
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新製品はいらない [生活]

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 カシオ計算機の「DQ-500」という目覚まし時計を使っている。この時計を買ったのはおよそ27年前。大学時代、鷹の台駅前の商店街にあった質屋で購入し、当時はまさかこれほど長持ちするとは思っていなかった。一人暮らしを始めて新しい目覚まし時計が必要になったため、ショーウインドウに展示してあったこの品を何気なく買ったのだ。それ以来この時計のおかげで、私もとりあえず人間社会に毎日参加できている。
 この製品を長く使い続けた理由は、やはり故障しなかった点が大きい。私は、壊れなければずっと使い続けるし、気に入った製品であれば修理してできる限り使う。それにしても、現在の製品では成しえない長寿命だ。そしてなにより、この時計のデザインが気に入っている。とは言っても、とりたてて優れたデザインではない。三角形の筐体は適度に扱いやすく、安定しており、三角構造ゆえ、間違って踏みつけても壊れない丈夫さを備えている(床に置いた際、ときどき踏んでしまう)。操作ボタンはシンプルで、時刻とアラームの設定、スヌーズとアラームの切り替え以外に余分な機能はない。このシンプルさも最近の製品にはないポイントだ。
 できることなら、この製品が壊れたとき、同じものを購入したいと思う。しかし、現代ではそんな要望はかなわない。とうの昔に新製品に入れ替わり、いまでは似ても似つかぬ時計が売られている。いまどきの目覚まし時計はどうしたことか、安っぽいアクリル板にシルバーのパネルが張り付いたようなデザインのものばかり。そのうえ操作ボタンが背面にあり、かなり使いにくい。時計が持つ基本的な形はどこへ行ったのか。どうにもセンスがなく、昔の時計のほうがデザインがよかった。
 これは時計に限らない。クルマでもそうだ。90年代以降、新車のデザインがみるみるつまらなくなっていった。なんだかずんぐりむっくりとしてスマートやシャープさが失われ、皆同じようなデザインの方向に向かっている。きっと、デザイナーの描いたレンダリングに営業やマーケティング、役員の面々があれこれ口出しして、デザインをダメにしているのだろう。一見差別化を図っているようでいて、実際には似たようなデザインが市場にあふれている。その点、欧州車はいい。最近のベンツのフロントデザインなどはぐっと低くなり、引き締まった印象だ。新しい古いなど無縁のかっこよさがある。
 新製品でなければ売れない、買わない——、そんな時代はもうすぐ終わる。新しいから買う人ももちろんいるし、新機能や性能が重要な分野も確かにあるだろう。しかしそれとは別に、新旧に関係なく、自分が気に入った色かたちのものを長く使いたいと思う私のような人間も少なからずいるはずだし、きっと今後は増える。次々に登場する、魅力がなく、寿命の短い「新製品」にしらける。古くても息の長い製品のほうが、成熟して完成度が高い事実にも皆気づいているはずだ。なんでもかんでも新しいもののほうがいいなどという発想には、もはや付き合う必要はない。
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椅子の座面張り替え [生活]

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 ダイニングにある椅子のビニールの座面が裂けて破れてきた。張り替えるには、椅子ごと家具屋に引き取ってもらう必要があると思いこみ、面倒なのでしばらくそのままで使っていた。そのうち表面がぼろぼろになってきて、どうにも見苦しい。Googleで「座面 張替え」で検索すると、けっこうな数の業者のページがヒットした。昔なら、買った店に依頼するのだろうが、今はインターネット経由で全国の店を探して注文できてしまう。
 業者のWebページの説明で初めて知ったのだが、椅子の座面は取り外せる。拙宅の椅子をひっくり返してみると、確かに座面は椅子本体と2個所のビスで留まっているだけだった。これなら、座面だけを発送すればよく、思っていたような手間はかからない。
 いずれの業者もWebページにフォームを用意し、見積もり依頼を受け付けている。中には、淡路島の業者で「到着後翌日発送2,000円」(送料別)とPRしているところもあった。デジカメで撮影した座面の画像を送り、3社ほど見積もりを取って比較したところ、いずれの業者も料金はさほど変わらない。検討してWebの案内の出来がいい愛知の業者に依頼することにした。Webでの業者選びの判断基準は、結局はその程度になる。文面や表現などを精査し、あとは個人情報の送信に際して「https」(暗号化通信)で行われているかどうかなど。勘に頼る部分もある。すでに当たり前になってしまったが、店の担当者と直接話をすることはない。発注後はすべてメールでのやり取りとなる。つまりは、メールのレスポンスや受け答えの一字一句が顧客対応そのものになる。ここで不信感や不満を感じたりすれば、取引を中止することもあり得るわけだ。
 座面を外し、段ボールで梱包して発送後、土日をはさんで6日ほどで修理完了品が届いた。かかった費用は、発送費が約1,000円、ウレタン交換を含む修理代が約1万円で、合計約1万1,000円。戻ってきた座面を早速椅子に据え付ける。以前よりもウレタンが固めの感触になったが、縫製を含めまったく同じように復元した。

人間ドック [生活]

 年に一度の人間ドックの日。昨夜9時以降は飲食を控え、朝食はとらず、常用している薬も飲まずに7時半に家を出る。健康を診断するのが人間ドックだが、だいたい、この時点で調子が悪くなる。以前は平気だったのだが、近年は何も腹に入れずに出かけるのがしんどくなった。まず喉が渇いてくる。さらに、血圧が上がらない。途中で、飲んではいけないミネラルウオーターを口に含みながらどうにか三鷹駅までたどり着き、なんとか大久保駅で降りた。
 健診センターは駅の近く。受付で検便容器と問診票を提出して検診着に着替え、検査場に向かう。採血から始まって、肺のレントゲンやらなにやら、名前を呼ばれるままに各部屋に入りそれぞれの検査を受ける。今年は新メニューとして、肺活量の測定が加わった。パイプをくわえて呼吸をすると、吸う量と吐く量がディスプレーに折れ線グラフで表示される。私の肺活量は平均より低い。朝の調子の悪さに加え、やる気のなさも要因だ。医師面接では腹周りのサイズを測られ、看護婦に太ったかと訊かれる。確かにこの1年で3kgほど肉が付いた。そのほとんどは腹に回ったらしい。
 人間ドックのクライマックスは、胃のレントゲン。私はこれがかなり苦手で、もう20年近くも受けているのに、できることならパスしたいと毎回思っている。得意な人もいないだろうが、名前を呼ばれるまでの待ち時間、心の準備を必要とする。
 なにが苦手といって、苦行の連続技である。まず、最初に飲み込む炭酸の発泡剤。これを口に入れて水で流し込み、ひとしきりゲップが出るのを我慢しなければならない。今日の検査技師は、「あごを引いて首を少々曲げるとゲップを我慢できます」とかなんとかアドバイスしてくれた。確かに効果はあったが、それを感心する間もなく、すぐに例の白い液体を胃に流し込まなければならない。あれは一気に飲むに限る。なにも考えずにゴクゴクといく。とにかく、なぜこんな得体のしれないものを飲まなければならない、などと理性に照らすのは御法度だ。そして、検査技師の言われるままに、テーブルの上で右に左に体を回転させる。もはや動物実験に近い。それでも昨年から、アクロバットの時間が短くなったようだ。以前は、逆さまになる時間が長く、ハンドルを握る手に油汗がにじむほどだった。検査方針が変わったのだろうか。
 胃のレントゲンが終われば、ひと安心。今年の苦行も終了だ。来たときとは打って変わって、調子よく健診センターを後にした。検査結果は3週間後に郵送される。苦手な人間ドックを長年受診しているわけだが、大病もせずに生きていることを幸運と思わなければならないのだろう。それでも、いつかは「要精密検査」のときがくるかもしれず、検査結果の封筒を開けるのは気分のいいものではない。
タグ:人間ドック
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グーグル中国 [生活]

 Googleが中国からのサイバー攻撃と中国当局による検索情報の検閲を理由に、同国からの撤退を検討しているというニュースが先週届いた。共産党の一党支配による中国が、世界と無制限につながるインターネットにおける情報規制を行っているであろうことはだれでも察しがつく。確かにかの国にとって検索サービスは、情報規制の対象として重要だ。「天安門事件」「チベット」などでヒットした記事を読まれることを嫌う人物はいまだに多いだろう。その点ではWikipediaなども検閲の対象になっているに違いない。
 中国では、環境汚染が野放図な事態になっていることのほうも気になる。この国の河川やため池、土壌の汚染は相当深刻だと、以前日経BPに掲載されたある研究者の記事で読んだ。特に、浄化装置の普及が進んでおらず、生活排水などで汚れたため池の水を野菜の栽培に用いている点は、この国の農作物を輸入している日本にとって人ごとではない。急激な発展途上であるうえは経済が優先され、以前あった日本の公害問題と同様のことが起きるだろう。水俣病でさえ、原因が工場排水であると認定されるまでにはかなりの時間と犠牲を要した。私は報道規制の強い中国では、公害問題が表面化するのはかなり難しいと見ている。もっとも、あれだけの広さをもつ国土だ。国家が農薬や環境汚染、あるいは賄賂にまで目を光らせたとしても、全土をカバーするのはどだい無理なのかもしれない。これからの中国の進路は、そういった、国家の手の届かない部分がよかれあしかれポイントになってくるはずだ。
 なんでも中国のせいにするつもりはない。しかし最近「体調不良」の人が増えているのは、食品と無縁ではないように思える。社会的なストレスが要因であることは確かだが、下痢が続くときなどは、食べ物に問題があるのではないかと推測してしまう。国内で販売されている食品や弁当、外食の食材には相当な数の中国産品が含まれているのは明らかだ。空から降ってくる黄砂は防げないにしても、食品はある程度自分で選択できる。値段が多少高くても、国産を選ぶ方がまだリスクは少ないのではないだろうか。できることなら、こちらこそ「検閲」したいくらいだ。
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食料危機 [生活]

 深大寺の門前で売られているそば饅頭が小さくなったと妻が言った。箱詰めを見ると、饅頭と箱の間にすき間があるという。しかし値段は変わらず。些末だが、これは暗示的な話だ。同じことは最近、多くの食料品で起きている。
 2年ほど前だったか、バターやチーズなどの乳製品が品不足になり、値上がりしたことがあった。その騒動が収まりかけたある日、雪印の6Pチーズ1個のサイズが小さくなっていることに気がつく。具体的にいえば、25gが20gになった。このときも値段は据え置きであり、実質的な値上げだった。それから現在まで、ほかの食品に目を向けてみると、かなりの割合で商品の内容量が減ってきていることがわかる。食品メーカーは増量のときは大きく宣伝するが、減量はこっそりと行う。
 東京に来て、初めて一人でデパートに行ったとき、パン屋の品揃えと量の多さに驚いた。いかにたくさんの人がいるとはいえ、あれだけのパンがすべて売れるはずはない。売れ残ったらどうするのか、といぶかしく思ったものだ。あれから二十数年がたち、パン屋の店頭の品揃えも少しは現実的になった。それでも、三鷹駅の駅ビルのケーキ屋や総菜屋、弁当屋などを見ると、夜10時を過ぎて相当な数の商品が並んでいる。いずれも作りすぎだ。コンビニでは相変わらず期限切れの弁当を捨てているらしい。
 余ったら捨てて、そのぶん価格に上乗せすればいいなどというのんきな資本主義は、じきに足元から崩れ出すことだろう。人間以外の生物の生息域が急激に縮小していることが明らかである以上、そんな時代は早晩終わる気がするのだ。人間世界を動かしている「貨幣」は煮ても焼いても食えない。金をかかえて年寄りはどこへ行くのか。食料が潤沢に行き渡ることが当たり前の時代から、食料が入手できて幸運だと感じる時代にシフトする。それは世間がいう「食料危機」ではなく、本来は人類の共有資産であるはずの食料を廃棄するような偏りが、当然の姿に揺り戻る予兆に過ぎない。このことは、社会的・経済的な要因や環境問題を語る以前に、食料品の生産者や製造者、漁師などが今まさに実感しているはずだ。そば饅頭も、今のサイズが現状に即した大きさなのだと思えばいい。
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ケーブルテレビで地上デジタル受信 [生活]

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 大家の配慮で、私の住むアパートに地上デジタル放送を受信するためのケーブルテレビが引き込まれた。午前中に作業員が2名来て、1時間半ほどで工事は完了したという。帰宅して確認すると、液晶テレビやハードディスクDVDレコーダーすべてにケーブルが接続されていた。アパートでは2部屋にテレビのアンテナ端子があったが、いずれもパネルが交換され、2基のコネクターが取り付けられている。これで、入居者は地上デジタル放送を無料で視聴できる。地上波アナログ放送では近年はゴーストがひどかったので、ありがたい。といっても、観るのはNHKとNHK教育くらいだが。
 地上デジタルの画質に関しては以前書いたとおりだ。画面横縦比16:9で高精細な映像を楽しめる(SD画質の番組もまだ多い)。早速ケーブルテレビ経由での放送を視聴してみると、民放のほかに放送大学や武蔵野・三鷹地域の情報チャンネルも見ることができた。放送大学の講義には、建築やプログラミング言語の学習など面白いものがある。情報チャンネルでは、鉄道の運行状況や休日夜間診療などを知ることができる。地上デジタルの番組表も表示でき、ハードディスクDVDレコーダーでの予約録画が可能だ。
 地上デジタルを見るためだけにケーブルを引き込んだので、ケーブルテレビの利用に必要なセットトップボックスはない。ケーブルテレビのセットトップボックスというのはくせ者だ。この機器のせいで、通常は予約録画ができない。予約録画を行うためには、ケーブルテレビ専用のハードディスクDVDレコーダーが別途必要になる。JCN武蔵野三鷹の営業にケーブルテレビ本来のサービスの加入を勧められたが、利用方法が限定されるので断った。
 アナログ方式のハードディスクDVDレコーダーにもケーブルは接続されており、この場合は従来の地上波アナログ放送を受信し画面横縦比は4:3、画面の右上に「アナログ」と表示される。こちらはチューナーを付けないと、2011年7月以降はただのDVDプレーヤーになってしまう。

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