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マイナートランキライザー [生活]

 2年前の夏に神経がおかしくなった際、心療内科を受診して処方された薬をずっと服用している。毎朝2錠365日。処方箋には朝・昼・晩に飲むように書かれているが、副作用や依存状態になるのが怖いので、1回にとどめている。とはいえ、365日服用していたらすでに依存のようなものかもしれない。

 ネットで調べると、「デパス」というこの薬は代表的なマイナートランキライザー(抗不安薬)として紹介されている。吉富製薬が開発した純国産薬なのだという。私が飲んでいるのはそのうちでいちばん成分が少なく、軽いものだ。それでも、効果はおよそ6時間持続する。このほかにもう1錠同種の「アビリット」も併用し、体調のよしあしにかかわらず毎朝飲む。どんな薬にも副作用はあるものだが、両者はそれが少ないとのこと。私の場合いまのところ何も不具合はないが、信用しているわけではない。長期間の服用は身体になにがしかの影響があると思っている。

 日々の平衡が薬によって保たれているのは、なんとも不健康ではある。本当はすでにさほど必要がないことはわかっている。この点は心療内科の医師も認識しているだろう。休日は飲まないこともある。しかしこれまで、神経的な閉塞感は休日にやってくることが多かった。なにもしていない時間があなどれない。医師は、さほど深刻に考えずに気軽に薬を利用していい、と言った。2年服用したせいか、状態はかなり改善した。それでも、たまに崩れることがあるので、予防的服用の意味合いが強い。

 薬(クスリ)といえば、その昔のジャズプレーヤーや作家などが頭に浮かぶ。種類は異なるが、クスリとアルコールで死んでしまった人は多い。原因の違いこそあれ、同じ苦しみがあったかもしれないと思う。例えるなら、神経が精神をともなって解放されずに、四角い箱の中に閉じ込められた状態。クスリはその箱のふたを少し開けてくれる。それで息抜きができる。本当はふたなど簡単に自分で開けられるのはわかっているのだが、それがどうしてもできない。

 依存症。ある人にとっては、煙草や酒がそうだろう。人間は、なにかしらに依存している。それは病気ではない。特に年をとれば身体か神経のどこかにガタがくるので、20代のように軽やかに自立することはなかなか難しい。自分の身体あるいは神経のゆれとうまく付き合う方法を見つけなければならない。1粒の薬品がそれを補助するのなら、それもいいだろう。問題はそれがいつまで続くのかということだ。ずっと服用すると考えると、やはり気が重い。私は、いつかはこの状態から抜け出せると、根拠のない希望を持っている。箱から抜け出して、どこか別の土地に行ってのびのび暮らすのだ。ずいぶん月並みな望みかもしれない。しかし、ささいなことであれ、誇大であれ、望みをつなぐことは最も大切だ。

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自然の涼しさ、そして東京 [生活]

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 ここ数日、夏期休暇をとって帰省していた。実家は福島県いわき市の浜通りにあり、上野から常磐線で2時間少々。海あり、山あり、川ありで自然に囲まれ、気候もいい場所だ。浜通りというだけに、夏は太平洋側から吹いてくる海風が心地いい。もちろん、日中の日向は暑い。しかし、東京ほどの湿気はないうえ、朝夕は天然自然の風が流れてきて、クーラー不要の家が多い。東京からいわきに来ると、自然の風による涼しさを実感する。部屋の窓を開けて風を入れるだけで気持ちよく、すぐにうたた寝ができ、体を休めることができる。すると元気が戻ってきて、根拠のない自信がわいてくるのだ。
 一方の東京の夏は周知のとおり。街にはビルやマンションが建ち並び、その近郊は宅地化が進み、緑地や土のある場所が消え、夏は年々暑くなる一方だ。涼をとる風習などは、とうの昔に失われてしまった。この状況の中で人々は住居やビルの室温を冷房装置で下げ、なんとか生存環境を保っている。もっとも、その冷房装置の排熱により外気温を上げているのだから、本末転倒ではある。
 この冷房という装置ももはやなくてはならないものだが、体には毒にもなる。なぜならば、涼しくしているのではなく、冷やしているからだ。私は以前から思っているが、これではわれわれ人間はスーパーの生鮮食料品と変わらない。鮮度が落ちないようにするのと同じ方法で身体という物体を冷やしているのだ。さらに商業施設などは、単純に人寄せのためにエントランスに冷風を送っている。
 涼しさを「感じる」のと、身体を「冷やす」のとではまるで違う。確かに、日中の気温は35度を超え、室温は時に40度近くにもなる。すでに日本の街や住宅は、強制的に冷やすしか方法がないところまできているように思える。とはいえ、本当にそうなのだろうか。都市であっても、建築物の構造や配置、風通し、日よけ、植物、路面などを工夫すればヒートアイランド現象を防ぐ知恵は出せる気がするのだ。
 涼しさを感じる環境を作りだすことは可能でないか。馬鹿げた話と言われるかもしれないが、たとえば自動の打ち水装置を開発する。夏場の夕方になると自動的に路面に散水する仕組みだ。あるいは、都市近郊の宅地に巨木を植樹することはできないだろうか。都市計画の法律や建築基準法で、一定面積ごとに樹木を植えたり、緑地を設けることを義務づけること。落ち葉や緑地の管理には人を割り当て、働き口を生み出せば一石二鳥だ。遺産相続で手放され、壊された家屋1軒の土地に、建て売り住宅がすき間なく3軒建つなどというやり方は、暑苦しいばかりでなく、実に見苦しい。デベロッパーよ、金儲けもたいがいにしろと言いたい。「すき間なき宅地化」はすぐにでも法律で規制すべきだろう。
 涼をとるテーマで書いていたのが、いつの間にか熱くなってしまった。それもこれも、年々住みにくくなる東京という都市の姿を残念に思う気持ちからだ。太陽光発電など、エネルギーの取得ばかりに目を向ける時代は終わった。これからは、心地よい環境を目ざし、人間が住みやすいまちづくりのためにテクノロジーを開発してほしい。ビジネスパーソンも、仕事とビールの泡のことばかり考えている場合ではないのだ。
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帽子 [生活]

 昨夏から、外出時に帽子をかぶるようにした。使っているのは、周囲につばのついたハット型。当初は紫外線から目を守るのが目的だったが、常用しているうちにそれ以外の理由ができた。とはいえ、趣味で帽子を頭に載せるほどのファッションセンスはない。帽子をかぶり始める動機はいろいろあるだろうが、私が気づいたのは世の中を素で見なくて済む効果だ。これはなかなか捨てがたい。いまどきの世間は、深くかぶった帽子のつば越しに見るくらいがちょうどいい。
 帽子に加えて、サングラスでもかけたいほどに今の日本の姿は痛い。通勤の往復で、会社で、隣近所で、腹立たしいことに日々遭遇する。ときどき、日本にやって来た他国の人が、日本人は礼儀正しく整然とルールを守り、素晴らしいなどと感心する姿をテレビで見ることがある。そのたびに私は、外国の世相はよほどひどいのかと想像してしまう。確かに、他国のほうが針の振れは大きいかもしれない。激しい人種差別などはその国に行ってみなければわからず、その点で私とは見るポイントが違うのだろう。しかし、近ごろの日本も引けを取らない。不気味な悪意に満ちている。駅員への暴行が多発しているのはその一例だ。いいようのないすさみ。
 以前、ニューヨークに行った際、帰宅する人々で混雑した夕方の電車に乗ったことがある。そのとき感じたのは、彼らが他人の体にふれないように気を配っていたことだ。込んでいたにもかかわらず、私の体に触れる人はいなかった。前述した日本の外国人とはまったく逆の話だが、さまざまな人種が集まって成り立っている都市だけのことはあると感じた。
 街中や車中のうるさいノイズをカットするのに適しているのはイヤホンだ。さらに、荒れた世間を少し奥から見る効果がある帽子の利用をおすすめする。その日の気分で選べるようにいくつか持つのもいいだろう。私の場合、センスがないといいながら、手持ちの帽子の数は徐々に増える傾向にある。
タグ:ハット 帽子
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ハエトリグモの質問 [生活]

 1匹のハエトリグモが畳の上に降りてじっとこちらを見ている。先日、洗面台の蛍光灯の近くを元気に歩き回っていたクモだ。この春にでも生まれたうちの1匹だろう。しかし今日はあまり動かない。顔を近づけて話を聞くと、こういうことだった。
 獲物を得るために蛍光灯の周りに数日待機していたが、小バエ1匹やってこず。仕方なくいろいろ部屋の中を移動して獲物を待ってみたものの、収穫はゼロ。親からは、ここで生きるのはたいへんだとは聞いていたが、生まれてこの方この家で虫を見たことがない。腹が減って仕方がないとのこと。それで、その理由を知りたいのだという。
 三鷹では以前あった緑地や林、畑が減り、道や宅地ばかりが増えて、虫が激減していること、最近の家はサッシで密閉されてしまっているので虫が入ってきにくいことなどを説明した。彼だか彼女だかわからないが、そのクモは私の話をときおり首を傾けながらじっと聞いていた。ただしどうにも納得できない様子でやはりじっとしている。
 それはそうだろう。さあ一生懸命生きるぞと飛び出た世の中が、人間の都合で自分の存在を否定するような状況に変わり果てていたのだから。私はその生態を知らないが、ハエトリグモだって人間と共存するように進化してきたのだろう。人間の家に一緒に住み着いて、そこにやってくる虫たちを捕獲し、生命をつないできたに違いない。
 申し訳ないので、部屋の窓を全開にし、少しでも虫が入ってくるようにしてみた。しかし入ってきたのは、クルマの騒音と排気ガスだけだった。
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「原発がどんなものか知ってほしい」 [生活]

 先日、一人の技師が書いた原発に関する文章をWebで見つけた。タイトルは「原発がどんなものか知ってほしい」。平井憲夫さんという、原発の施工に長年かかわってきた現場の人間からの警告だ。原発という産業は地元と密接に結びついており、現場の人間の声が表に出ることはまずない。その点で重要な文章と言えるだろう。
 わずかな期間だったが、私が以前福島や茨城、新潟の原発で経験し、聞いた話と合致する内容が書かれている。この話が重要なのは、現場の人間の声である点だ。設計や管理の側から伝える原発ではなく、現場の人間にしか知り得ない現実が語られている。私も以前、建築現場で働いていた経験があり、建築物の施工時には現場監督や職人だけが知ることが多いのは事実。さまざまな要因による悪い面が、地震や経年劣化で露呈するのは周知のとおりだ。
 Web上には、平井氏の話を打ち消そうとする意見もいくつか存在する。それらはやはり原発推進に立つ管理側の見解が多い。「原発がどんなものか知ってほしい」は現場の人間による偏った視点の話であり、正確さがないと理詰めで批判し、無化しようとしている。しかし平井氏が指摘したのは、職人の技術力の低下や机上の設計と施工とのズレ、検査側の意識の問題、放射能作業の実態であり、いくら理論や数値で反論しようと、原発という構造物に横たわる大きな亀裂は隠しようがない。
 この文章を読んで私は本当にぞっとした。故郷の福島県では東京電力の10基の原発がいまも稼働している。しかも今後、さらに強力な毒性を持つMOX(ウランとプルトニウムの混合酸化物)という燃料を老朽原子炉で燃やすプルサーマルの計画が進む。現地では現在、プルサーマル稼働の反対運動、署名運動が起きている。これは沖縄の米軍基地問題と同様の大きな問題だ。危険性という点ではそれを上回る。平井氏はすでに亡くなっている。彼の思いと警告を埋もれさせてはいけないと思うのだ。
 http://members.at.infoseek.co.jp/genpatsu_shinsai/
 転載サイト http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

病院口コミサイトの信頼度 [生活]

 以前、三鷹市のHF歯科医院で「セレック」という最新機器を用いた治療を受け、度々のミスがあったことを書いた。私がこの医院を選ぶ際に参考にしたWebサイトに、「口コミ病院検索サイト QLife」がある。病院で実際に治療を受けた患者のコメントが掲載されており、ここでのHF歯科の評価コメントはいずれも好評だった。私はそれとは逆の経験をしたので、このサイトに書き込みをしたところ、意外な事実がわかった。歯科医の評価を記入する段階になって、ある注意書きが表示されたのだ。そこには、「当Webサイトの評価欄には批判は掲載しない」とある。つまり、いい評価は掲載するが、悪い評価は載せないということだ。なんとも唖然としてしまうポリシーだ。試しに、私の体験を正確に記入したところ、注意書きどおり、私の評価文は掲載されなかった。
 このサイトには歯科以外にも内科や外科をはじめさまざまな診療科目の評価が掲載されている。閲覧した人の中にはその評価を鵜呑みにする人もいるはずだ。少々古い表現だが「藪医者」であっても、10人治療して、すべてを失敗することはないだろう。10のうち、7は成功するかもしれない。しかし残り3に当たれば不幸である。この残り3について記載できないというのでは、口コミサイトの意味がない。もしそのようなサイトを運営するならば、「当サイトは批判は掲載しておりません」と明記すべきだ。
 業務妨害目的で書き込みを行う者への懸念があるのは確かだ。それを考慮したとしても、口コミとはいえ患者の生の声を載せているのだから、医者にとって不利になる情報はまったく掲載せずという姿勢は疑問。それでは患者にとって不利となる、単なる提灯記事にすぎない。QLifeのページ自体はしごく健全なイメージでデザインされているが、まったく不健全な話。いい評価しか並んでいない評価サイトはそのまま信用してはいけない。「半値八掛け」をおすすめする。
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福島瑞穂さんの表明 [生活]

 社民党の福島瑞穂党首が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を前提とした内閣の心変わりに異議を申し立てている。反対を表明したのならば、筋を通して連立から離脱すればいいと思う。民主党とは結局のところ「第2自民党」なのだから、もとより相容れるはずはない。
 私は以前議員会館で福島さんに会って1時間ほどインタビューをしたことがある。その当時、法案が審議されていた盗聴法に関して聞いたのだった。まだ、土井たか子さんの存在感が残っていたころの話だ。
 福島さんは権力に対抗する側に立つ人であり、市民目線でしごくまっすぐな気質。その点でプロの政治家には向いていない。政治家とは結局、権力をどう使うかに終始する人間だからだ。しかし利権と金がすべての判断基準になりつつあるこの日本において、人権を軸にして行動するタイプの政治家は必要だ。
 沖縄に日本の大きな矛盾を押しつける考え方は、毎年3万人を超す自殺者を出す社会の在り方につながっている。本土のために沖縄の人々の生活と自然を犠牲にするのならば、それは日本人全体の生活と自然をつぶすこととイコールだ。この価値観をよしとする限り、不況という穴から這い上がることはできない。もっとも「不況」は詭弁であり、実際には人間本来が持つ精神の喪失だ。経済ではなく、人間性や自然環境の不況なのだと思う。
 社民党が連立与党から抜け出せば、参院選でその心意気に票を投じる人も増えるだろう。「経済不況」や「他国からの侵略を米国に防いでもらう」ではない視点を提示する。それに気づき、同調する人はきっといる。社民党はそうやって支持を集めていけばいい。

twitter [生活]

 昨年来twitterの話題が続き、利用者が増加しているらしい。インターネットにおける「つぶやき」の連鎖はリアルタイム性がウリ。この勢いはチャットの比ではないようだ。Googleのように、ここから広告モデルや、ほかのサービスとの連携・取り込みなどが起きてくるのだろうか。インターネットを使った新技術というものは思わぬ発展をとげたりする。10年ほど前にGoogleを使い始めた頃は、「検索」がこれほど重要なサービスになるとは思わなかった。ましてや、検索サービス会社がアプリケーションやOSを提供するなどとはだれが予想できたろう。「つぶやき」ですら、あなどれない。
 とはいえ、私はいまだにtwitterの使い方がよくわからない。自分でつぶやいたり返信したことがないからだ。なかなかプールに飛び込めない子どものように。登録したのは昨年だが専用ソフトなどを使い始めたのは最近で、もっぱら著名人などのつぶやきを読む(フォローする)にとどまっている。ほとんどの場合まだらに読むため、ときとして、どういうテーマでつぶやき合っているのかがわからないことも多い。twitterはもちろんパソコンでも読めるが、やはりそのメリットは、iPhoneなどのモバイルツールを介した際に発揮されるのかもしれない。要するに、多対多でやり取りできる携帯メールのようなものだ。
 著名人と書いたが、twitterではそういう人がいま考えていることやその人の状況がわかり、返信ややり取りもできる。ブログよりもさらに時間や関係性に変化が起きているわけだ(ここ数日は、横尾忠則さんの体調が心配である)。コンサートなども、終演後数時間以内にiTunes Music Storeで音源として購入し、聴ける時代になった。この点で出版などは、いちばん遅いメディアになりつつある。
 時間軸でみて先端のつぶやきと末端の出版。これを否定的にとらえることはなく、それぞれを使い分ければいいだけなのだが、どうもtwitterにはいまひとつ乗り気ではない。まだしばらくは様子見といきたいと思う。もっとも、家の中ではひとりでつぶやいていることが多いのだが。
タグ:Twitter

鳥見塚の花見 [生活]

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 今年も横浜の鳥見塚に花見に行った。4月だというのに肌寒く、曇り空。さすがに花見客は少ない。鳥見塚は富岡総合公園の入り口。桜はすでに少し散り始めていた。人の姿よりも、桜並木の道を通るクルマのほうが多い。私はどちらかというと、桜そのものよりも、それを眺めている人々を観察するほうに興味がある。例えば、一昨年行った北の丸公園などは、サラリーマンや学生、家族連れなど多くの人々が芝生の上で思い思いの花見をし、さながら花見群像といった光景だった。人間が集まって花を愛でる。その様子を見るのはいいものだ。

 友人宅の屋上で富岡総合公園に咲く桜を見た。植物だから当然育ち、枝が年々こちらに近づいてきているようだ。私は、大勢の人が集まった昨日の宴に参加できず、1日遅れで友人宅を訪れた。茶室から庭を眺めるように、増築した部屋で茶を飲みながら桜を見て、友人としばし話をした。米松や米杉、檜、桐。木造の新しい部屋は木の匂いと木肌の色に満ちていて、リラックスできる。ビニールクロス張りの部屋とはえらい違いだ。木材の柔らかさが精神や神経に与える影響は大きい。心配事を忘れ、穏やかに過ごせる。昔は、そんな時間の過ごし方が日々の生活の中にあった。いまは花見という行事がどうにかその時間を作ってくれる。

 桜は樹木だ。花と同時に、この黒々とした樹皮の木に人々は集まり、空間を味わう。樹木は人を守るかのよう。花を仰ぎ、大きく伸びて広がった枝の下にいる時間こそが大切なのだと思う。
タグ:花見

エコポイント発行のお知らせ [生活]

 グリーン家電エコポイント事務局というところから「エコポイント発行のお知らせ」がメールで届く。今年1月に液晶テレビを購入した際に出した申請書が受理され、エコポイントが発行されたという。メールには個人IDとパスコードが記載されていた。詳しくは、エコポイントのホームページにアクセスして「マイページ」で確認できると書かれている。早速Webサイトにアクセスし、個人IDとパスコードを入力した。すると、メールアドレスが登録されていないので登録するようにとの赤字のメッセージが表示され、マイページに進むことができない。メールアドレスが登録してあるから前述のメールが届いたわけで、まったく矛盾した話だ。そのうえ、メールアドレスを登録するためのボタンや入力欄はどこにもない。仕方なく、マイページへ進むボタンを2、3度押してみたら、マイページが表示された。いい加減なインターフェースだ。
 マイページとは、エコポイントの利用状況や交換履歴が表示される詳細ページだった。ここでもうひとつ落とし穴があり、エコポイントを「nanaco」などの電子マネーに交換する申請をした場合、所定(交換希望商品登録)の欄にメールアドレスとパスコードを再度入力する必要がある。それを行わなければ、申請が受理されたことにはならないらしい。そのこと自体がわかりにくいうえ、入力欄がどこなのかが気づきにくい。Webでの入力に慣れていない人は見つけられないだろう。交換商品がいつ届くといった告知もなく、電子マネー以外の商品の場合はなにもせずにいいのかも不明で、手続きを時系列で提示できていないWebページの典型的な悪い例だ。期待はしていないが、政治が行うオペレーションの手際とは、やはりこの程度のものなのだろう。

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