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軽自動車 [生活]

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 先日帰郷した際、実家が所有する軽自動車を運転した。クルマはホンダの「Today ハミング」(3速AT)。2年ぶりの運転には手ごろなサイズだ。私は自家用車を持った経験がない。以前は、仕事で会社のシビックやコロナに乗っていた。最近は運転する機会がなく、免許証は身分証明書と化している。これまでも何度か軽自動車に乗る経験はあったが、今回自分で運転してあらためてそのよさを知った。
 まず、外観から感じるほど、車内が狭くない。さすがに後部座席は別だが、フロントパネル周辺はゆとりがあり、後部座席の背後には荷室も確保されている。排気量の割には加速も良好。旧型のクルマでもそうなのだから、最近の軽はさらに快適なのだろうと想像する。Todayの走行中の振動は普通車よりも大きいが、適度な操縦感覚につながるようで、慣れると気にならなくなった。乗り心地に楽しささえ感じ、最近は年に1度運転するかどうかという自分に向いている。ボディーデザインは、最近のやぼったい形の軽よりスマートで潔い。
 走りながら沿道に目をやると、中古車販売店の展示スペースに並ぶクルマの多くは軽だということに気がつく。地方は東京よりも軽自動車の利用率が高いのではないだろうか。周知のとおり、普通車に比べて税金や車検費用も安い。ワゴンタイプを中心に、中古車の品揃えは充実しているようだった。価格は20万円台から。
 軽では、追突された場合など、事故に遭った際の安全性は普通車よりも低い。とはいえその利便性には捨てがたいものがある。この手軽さと楽しさを知れば、フォルクスワーゲンのLupoといった欧州の小型車なども十分選択肢に入り、ローバーminiの中古を見る目も変わる。
 東京の生活では自家用車の必要性をほとんど感じない。移動は自転車や電車、バスで事足りる。維持費や駐車場代は大きな負担だ。しかしもし購入の機会があれば、経費の安さや手軽さの点で軽でもいいのではないかと思った。狭い都市部でこそ、当然そのサイズは重宝するはずだ。将来、EVの軽が販売されればより人気が出るだろう。
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帰郷 [生活]

 正月、久しぶりに帰郷した。常磐線特急で北に向かう。東京を離れるにつれ、大気が変わっていくのが分かった。空が空らしくなり、景色に色彩が増す。日が傾いて紺色になった山に赤みがある。車窓から見える風景の広さ。遠くの山なみに目をやると、以前は見えていなかったものが見えることに気がつく。
 短い時間だったが山と海に行った。父が管理する、山間の村落の寺。味がある風合いの山門と背後の竹林がいい。冷えた本堂で線香を焚いた。父が椿を一輪挿す。大晦日に少し吹雪いたとのことで、道に雪が残っていた。
 次に、友人が運転するクルマで、海に面した高台の公園に向かう。太平洋は青い。元日の波は穏やかだった。海は単純な存在だが、その魅力的な青い水面の下には豊富な生態系と想像を超えた広く深い世界がある。
 山でも海でも、その空気を吸うだけで眠っていた感覚が徐々に戻ってくる。自然から得られる感覚は以前よりも強くなった。容易なことではないのだが、それをキャンバスに表したいと思う。どうやって実現するか。空想に終わらせないためには、具体的な方策が必要だ。

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セレックによるハートフル歯科の治療 [生活]

 鈍い痛みを感じて虫歯の進行に気づき、2年にいっぺんほどの割で歯医者の世話になる。ほとんどが昔治療したところだ。今回も、奥歯に少々気になる感覚が続いたので、三鷹駅南口のハートフル歯科に行った。これまで数年間通っていた歯科医院の治療に疑問が残り、この歯科に変えてみた。
 歯医者には、地道に保険内治療をするところと、保険外治療を積極的に勧めるところがある。ハートフル歯科は後者だった。院内は美容院のような内装で、新しい治療方法を取り入れ、最新機材をそろえている。その最たる物が「CEREC 3」(セレック3)という、セラミック製の修復物を制作するマシン(CAD=コンピューター設計・CAM=機械製作)だ。ドイツ製のこのマシンを使うと、低価格でセラミックの歯を付けることができるという。「現在キャンペーン中につき、インレーの治療で1本2万円。セラミックは10年以上長持ちし、金属の修復物は体によくない」という勧め方だった。キャンペーンというのがどうも胡散臭かったが、安くセラミックが利用できるならと思い、奥歯2本をCERECで治療することにした。
 CERECでは、削った歯を小型の光学カメラで撮影し、CAD上で修復物の3Dデータを作成。その3Dデータを元に、セラミックのブロックをCAMのルーターで削り出してインレーやアンレー、クラウンを製作する。従来の手作りに比べ相当な時間短縮ができ、最短で、歯を削った90分後には修復物の装着ができるという。
 歯の上面と側面を削って撮影し、1週間後に女医(理事長の妻)がCEREC製のセラミックを被せた。ところが家に帰って鏡で見ると、側面の造作が合っておらず、歯とセラミックの間に0.7mmほどのすき間ができている。歯には縦に割れたような線まで入っていた。どうも粗雑だ。数日後にそれを女医に指摘したところ、原因も言わずに早速作り替えることになった。被せた不良品のセラミックを削り取り、歯もさらに削る。販売代理店も立ち会いの元、再び撮影。その際、どの程度の精度なのかを販売代理店の営業マンに聞いたが、具体的な回答はなく、いわく「私自身もCERECで治療していますから、大丈夫です!」。
 待つこと8日間。2度目の装着となったが、ここでさらに思わぬ事態に。出来上がったセラミックを女医が付けようとしたらまったく合わない(治療は北口の分院で行われた)。見ると、最初に付けた不良品と同じ形だった。衛生士が間違って最初のデータで作ってしまったという。信じられない衛生士のミスが続いた。ただし、本当に衛生士のミスなのかは分からない。女医は平謝りで、再々治療になる。
 1週間後の再々治療は理事長が行った。このときも、2本のうち1本は調整してなんとかはまったが、1本はきつくて入らず。CAD・CAMの精度を心配していたが、予想よりもひどいと実感。どうも怪しい。翌日に持ち越しとなり、5回目でようやく収まった。聞けば、理事長が昨日の診療時間終了後、時間をかけてCADの「設計」を行ったとのこと。
 CAD・CAMによる全自動で歯が作れるなら苦労はない。歯科技工士いらずだ。しかし、それはあくまでも理想。ハイテクパーツの製造機といえども人の手による調整は必須。理事長は、撮影後のCADでの設計をきちんとしなければならないと反省していた。これまで50人ほどCERECで治療したが、私のようなケースは初めてだという。運が悪かったのか。いや、そうではないだろう。ハートフル歯科は導入した機材を使いたいがため、きちんとした実証や実用性を得ないまま、不確実な治療を無理強いした。歯科医はマシンによる治療を甘くみており、利潤の追及に走っている。私としては実例50件は少なすぎ、これを聞いていたら同意しなかった。
 どの業種でも、CAD・CAMの導入においては、たいていの場合導入側と販売代理店との間に認識のズレがある。導入側は高額な機材を買ったのだから(CERECは「高級外車2台ぶん」らしい)、黙っていても人件費を切り詰めつつ相応の仕事をしてくれると思ってしまう。販売代理店は最新機種を売りたいがために、いいことばかりの営業文句を説く。実際には、使いこなすために導入側がそれなりの専任担当を割り当て、十分なスキルを習得する必要がある。ちなみに、販売代理店は治療現場の知識・経験がほとんどない様子。今回私はこの両者のすき間に落とされた。本来であれば訴訟ものだ。
 これからの歯科治療において、CERECの有効性はあるかもしれない。しかし現在のところ、削った90分後に装着というのは、治療が軽度の場合に限られる。それ以外のケースでの当日装着というのは時期尚早で、販売代理店の営業文句にすぎない。そもそも、本当にCERECに実用性があるのかという大きな疑問が残る。前述の小型カメラだけで歯の形状を精確にトレースできるのだろうか。レンズを通せば、画像は歪む。実際にはCTスキャンのようなスキャナー装置が必要なのではないか。いちど削ってしまった歯は元には戻らない。患者データの管理も含めて不審であり、私はハートフル歯科には二度と行かない。
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道草 [生活]

 「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」。夏目漱石が小説「道草」の中で主人公・健三に語らせた言葉だ。私は10年ほど前まで、人間は諸問題を一つひとつ片付けながら生きていくものだと漠然と思っていた。しかし、年を経るにつれ、身の回りに解決する術のなさそうな事柄が増え始め、どうやらそううまくはいかないらしいという思いが強くなる。人間や金、健康など、片付かずに残っているものはさまざま。ひとつの問題がようやく片付いたと思えば、すぐに次の問題がやってくる。あるいは、解決したと思っていたものごとが、別のすき間からじわりと顔を出す。そうしていつからか、前述の台詞が頭の中を去来するようになった。
 田舎の家族の問題など、現時点では方策が立たないため、ひとまず何もせずにいるということもある。本当は相当深刻な問題になっているのか、まだバッファーがあるのか、それすらも分からずに。私は事前に手を打つほど積極的な人間ではない。将来事態が切羽詰まったときに考える。
 少々観点が違うが、おおもとに目をやれば、世の中というのは物事がこじれるようにできている。黙っていても、必然的にこんがらがる。例えば、電化製品やオーディオなどのコードのように。いつの間に、どうやったらそうなるのかと思うほど複雑に絡み合っていたりする。また、世の中の歩き方もよくよく気をつける必要があるのは周知のとおりだ。めったに人が通らない狭い裏道の十字路。そこになぜか、東西南北方向から4人の人間がやってきて互いに迷惑そうに交差する。それは単なる偶然ではない。
 「いっぺん起こった事はいつまでも続くのさ」。健三の話はこう続く。断ち切れない問題に取り巻かれながら生きる。そのうちに、そういうものだと思って高をくくって諦める。諦めたふりをする。その半面、もどかしさが残る。本当は諦めてなどいないのだ。じくじくと心の底で考えている。

米国 [生活]

 今朝の新聞にマイクロソフト株式会社の社長の話が掲載されていた。「仕事力」という連載コーナーで、「激変を感じていますか」という見出し。いわく、世界はいま劇的に変動し、日本も終戦時と同じくらいの激変の中にある。そこで淘汰されずに生き残るためには、次々に新しいことを考え手を打たなければならない。世界の多様性を学び、終身雇用に甘んじることなく激変に対応せよ——という内容だ。
 確かに、近年の変化は尋常ではない。ぼうっとしていると後ろから蹴落とされそうな雰囲気だ。しかし最近、「新しいことを考え手を打たなければならない」がどういうことなのか、皆うすうす気づいてきた。だれにも止められない市場原理主義とやらの中で打つ新しい手。それは要するに、より早くより安く物を作ったり、売ったり、サービスを提供することに帰着する。本当ならば、「適度な時間と適切な価格で」といきたいところだが、人々の欲望を扇動する性質があるグローバル化では、それは許されない。要求されるのは、相手よりもさらに早くさらに安い商売をすることであり、とどのつまりは「消耗戦」に突入することとなる。それは、わずかな大きいものが台頭し、多数の小さいものが消えていく世界だ。
 米国発のグローバル化という大車輪。これがいま世界中で猛威をふるっている。「改革!」と叫び、大車輪に全日本人を巻き込んだ首相もいた。その結果、国内には大きな矛盾が生まれ、生きにくく、仕事をしたくてもできない事態になってしまった。もはや、この消耗戦には参加せずに別の道を探そうと思う人も多いはずだ。それを、民主党や自民党の政治家に伝えたら、彼らは口をそろえて「グローバル化に乗らないと日本は生き残れない!」とでも言うだろう。冗談ではない。すでに大変なことになっている。

 マイクロソフトの社長も否定し、消耗戦の中で目の敵にされている終身雇用。それが日本社会の一側面にすぎないにせよ、そのまま日本固有の民俗・文化に置き換えて考えたほうがいい。このような、それぞれの地域固有の民俗に生きる人々の営みを、一部の米国人は理解できない(開拓民にとっての先住民族のように)。確かに、終身雇用に悪い側面はあるだろう。だが、社員がころころと変わるような組織は信頼性がなく、責任の所在があいまいになる危険性も高い。
 古来からの器の中でぬくぬくとして変わらぬ者がいると指摘するその裏で、米国の富裕層は物を右から左に流すだけで、他国の市民の労働力を使って莫大な利益を上げている。自分たちの理想を通すために、終身雇用の生ぬるさを逆手にとり、民俗や文化を無化してしまうつもりだ。そのロジックは、テロ撲滅をスローガンにして、他国を継続的に攻撃する手法と同じ。壊した後の更地に、自分たちの作法による自分たちに都合がいい仕組みを打ち建てる。彼らが構築したいのは、自動的に富が集まる「システム」という名の終身雇用だ。
 マイクロソフト社を現在の地位に押し上げたOS「Windows」は、コンピューターソフト業界の特権的な「富裕層」とも言える。黙っていても、パソコンが1台売れるたびに金が入る仕組み。日本の官僚は、国産OSの芽をつみ、MS-DOS(Windowsの前身)という舶来物にすり寄った。おかげで現在、日本のソフトウェア業界はすきま風が吹く状況だ。
 日本はこの先も、自らが生み出した消耗戦を生き残れると信じている米国に隷属する姿勢でいくつもりなのか。日本の持ち味をこれ以上捨て去っていいものだろうか。米国は近い将来、同国の金融会社や自動車会社同様に破綻するだろう。過去の歴史に照らしても、ひとにぎりの富裕層が動かす国家がそう長く続くはずはない。
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体とわたし [生活]

 メロンを食べれば甘く、新緑を見れば美しく、新鮮な空気を吸えば清々しい。食べ物を消化し、新陳代謝を行う。ケガをしても治る——。さまざまな感覚を伝え、日々をつないでくれるのが私たちの「体」だ。体は「私」を生かすために活動している。あらためて考えれば、これほど健気な存在はない。私のために生きている。それが私の体なのだから。私たちは、日常のほとんどの時間でそのことを意識していない。体があることが当たり前だと思っている。体が感覚を提供し、内臓や筋肉、神経が活動することはしごく当然のこと。私という頭脳がそれらをコントロールしていると。しかし体はそれほど単純なものでも、従属的なものでもない。私たちは人の死を前にするときようやく、その奇跡的な均衡に気がつく。体がひとつの独立した存在であることに。
 多くの人は、自分の体を無造作に痛めつける。世間では、そうしないと生きてはいけず、それが当然のように求められる。感覚を抑圧し、体を痛めつけて初めて社会の一員。しかし、それに流されてはいけない。世間などというのは、基本的に人間の感覚や体のことなど考えてはいないきわめて無責任なものだからだ。
 今日もまた、鉄道で人身事故があった。「私」が体を道連れにして鋼鉄の車輪に飛び込む。私を生かすために働いている体を私が奪う。これは悲しいことだ。そうせざるを得ないところに追い込まれてしまった人の心の闇を推し量ることはできない。自死に至るまでさまざまな困難があり、体自体の病気が原因かもしれず、その行為は責められないだろう。だが、もし私という意識の傷で悩むのならば、できれば体のことをもういちど考えてみてほしいと思うのだ。私という意識と、遠大な時間の末にある体という無意識の関係について。意識をはるかに超えた役割を果たしている体という存在を。

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40代 [生活]

 我が家の新型インフルエンザ感染は、結局息子と妻にとどまり、私は無事だった。妻子はすでに回復している。その代わり私はここ2週間ほど、風邪の症状が抜けない。熱は出ないが、喉と鼻に残り、気分がすぐれず。熱がどっと出てすっきり回復するほうがよほどいい。すでに年齢的にそのような「瞬発力」はないのだろうか。心療内科の医者によれば、「風邪うつ」というのがあるらしい。それでなくても、いろいろ不調が現れてくる年代。なんとか保っている均衡が風邪程度でぐらつく。
 世間では40代は働き盛りなどと言うが、体と相談せずに仕事に集中できるのは、20〜30代だろう。仕事は体力だけではないにせよ、40代イコール働き盛りという認識はもはや昔の話ではないだろうか。仕事の環境や精神的な負荷を含め、近年その常識は変化している。私は30代に徹夜三昧の仕事を長く続けていた。パソコンの画面に向かう時間は膨大。そのせいもあって、40歳を過ぎたころから心身ともにガタが出始めた。さらに会社の業績不振に伴い、仕事のストレスもたまるようになる。昨年の夏は、とうとう不安神経症に陥った。以前にくらべて、夏の暑さや冬の寒さに弱くなり、いろいろな症状に季節的な要因も加わる。
 30代の気分で自分の不調に抗っていると、立ちゆかなくなってゆく。ではどうするのか。具合の悪さに迎合する術を覚えるのだ。40年以上も使ってきたのだからガタがきて当然と思うようになり、自分の感覚をどこか意図的に鈍らせて現実を受け入れる。もっとも、始終不調を気にかけているわけではない。それを忘れる時間をつくれるようになるのも、年齢というものだ。
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遺産相続 [生活]

 世の中に遺産相続ほどこわいものはない。昨日の親族は今日の敵。遺産の分配を巡って、世の中でどれほどの血族同士が関係を破綻させてきたことだろう。十年ほど前の話だが、私の父親は、信頼していた兄夫婦からある日突然寝耳に水の罵詈雑言を浴びせられた。
 発端は祖父の遺言。そこには、あとに残す祖母を大切にした者に遺産を分けるというような曖昧なくだりがあったらしい。祖母は後妻で、はるか昔から家族間の感情のもつれがあった。父は兄弟姉妹の末弟でありながら、以前から祖母の面倒をよくみた。それを、遺産目当てと耳打ちした親族がいたのだ。その助言を、真偽も確かめずに真に受けた伯父の行為が悲しい。
 遺産目当ての介護をしたとして、私の母も巻き添えをくった。まるで、三流テレビドラマの脚本である。それまでの数十年間のつきあいがいとも簡単に崩れ、両親と私は精神的にかなり疲弊した。父と伯父は、兄弟ゆえ互いに話し合いの場を持とうとはしない。伯父は長男で、いわゆる「本家」だ。私は伯父に会い、誤解を解くように説得したが進展は見られず、結局父は伯父と縁を切った。もとより父は、遺産を巡って争うような人間ではない(狩猟が趣味の野生人)。申告すればそれなりの遺産は受け取れただろう。その後、祖母も亡くなり、山や土地などの遺産はすべて伯父の手に渡った。
 遺産とはなにか? 先代から引き継ぎ、守るべきものである半面、金として見れば棚からぼた餅だ。相続税が必要とはいえ、労せずして数千万円ぶんの財産が手に入るのならば、誰でも目の色が変わるだろう。これを前にして、兄弟のつながりなど吹き飛ばしてしまうのも無理からぬこと。それにしても、失ったのは親族のつながりだけではない。子供のころから慣れ親しんだ田舎の家や自然がどこよりも遠い場所になってしまった。私はそれがいちばん残念だ。

新型インフルエンザその後 [生活]

 昨日39度台の熱が出た妻だが、今朝は熱も下がり回復した。咳以外に目立った症状は出ていない。しかし念のため医者へ行くと、検査キットで新型インフルエンザの陽性反応が出たという。やはり息子から染ったのだ。息子は、学級閉鎖の日から2〜3日後、妻は息子の発症からおよそ3日後に発熱。新型インフルエンザの潜伏期間は、中2日はあるようだ。それにしても、1日だけの熱で済むというのはだいぶ軽いほうだろう。医者から妻は、「若いんですね」と言われたとのこと。40代の新型インフルエンザの罹患は少ないようだ。妻のほうはタミフルを処方された。タミフルは、カプセル型の錠剤。
 先に発症した息子のほうも、今はときどき咳をするくらいでほぼ回復した。朝、学校の担任から電話があり、インフルエンザで欠席する生徒が増加し学級閉鎖が多いので、木曜日まで学校閉鎖になるという連絡だった。現在、若年層の間で相当流行っているらしい。それにしても、家の中にインフルエンザにかかったのが2人もいたら、感染するのは時間の問題か。こちらは、1週間ほど前から風邪で具合がよくない。それなのに体温はなぜか35度台が続く(平熱は36度4分)。体調不良とインフルエンザのダブルは避けたい。ひとまず夕方医者に行くことにする。
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リレンザ [生活]

 息子が新型インフルエンザを発症してから2日が経った。インフルエンザ治療薬「リレンザ」の効果は大きく、当初40度以上あった熱も、服用を始めた翌日の朝には37度台、昼には36度台まで下がった。また、ほかに気になる症状は出ていない。ウイルスの増殖を防いでいるのだろう。リレンザは白い粉末で、専用の器具を使って吸入する(メーカーはグラクソ・スミスクライン)。息子は食欲がないとのことで食事はヨーグルトのみ、水分補給はポカリスエット。しかし快方に向かっている。回復しても、リレンザは所定(5日間)の服用を続けなければならないという。
 私は一昨日の夜半、胃の調子が悪くなり体もだるくなったが、ひどくはならずに済んだ。新型インフルエンザの発症は14歳以下の子供に多いという報道があった。学校などでも、30代以上の教員は罹らず、20代前半の教員に新型感染が多いとも聞く。もしかしたら、新型ではなく「旧型」インフルエンザなのだろうか——などと思っていたら、午後になって妻が39度台の熱を出した。とうとう感染してしまったのかもしれない。明日の朝、医者に行く。
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