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道草 [生活]

 「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」。夏目漱石が小説「道草」の中で主人公・健三に語らせた言葉だ。私は10年ほど前まで、人間は諸問題を一つひとつ片付けながら生きていくものだと漠然と思っていた。しかし、年を経るにつれ、身の回りに解決する術のなさそうな事柄が増え始め、どうやらそううまくはいかないらしいという思いが強くなる。人間や金、健康など、片付かずに残っているものはさまざま。ひとつの問題がようやく片付いたと思えば、すぐに次の問題がやってくる。あるいは、解決したと思っていたものごとが、別のすき間からじわりと顔を出す。そうしていつからか、前述の台詞が頭の中を去来するようになった。
 田舎の家族の問題など、現時点では方策が立たないため、ひとまず何もせずにいるということもある。本当は相当深刻な問題になっているのか、まだバッファーがあるのか、それすらも分からずに。私は事前に手を打つほど積極的な人間ではない。将来事態が切羽詰まったときに考える。
 少々観点が違うが、おおもとに目をやれば、世の中というのは物事がこじれるようにできている。黙っていても、必然的にこんがらがる。例えば、電化製品やオーディオなどのコードのように。いつの間に、どうやったらそうなるのかと思うほど複雑に絡み合っていたりする。また、世の中の歩き方もよくよく気をつける必要があるのは周知のとおりだ。めったに人が通らない狭い裏道の十字路。そこになぜか、東西南北方向から4人の人間がやってきて互いに迷惑そうに交差する。それは単なる偶然ではない。
 「いっぺん起こった事はいつまでも続くのさ」。健三の話はこう続く。断ち切れない問題に取り巻かれながら生きる。そのうちに、そういうものだと思って高をくくって諦める。諦めたふりをする。その半面、もどかしさが残る。本当は諦めてなどいないのだ。じくじくと心の底で考えている。
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