SSブログ

体とわたし [生活]

 メロンを食べれば甘く、新緑を見れば美しく、新鮮な空気を吸えば清々しい。食べ物を消化し、新陳代謝を行う。ケガをしても治る——。さまざまな感覚を伝え、日々をつないでくれるのが私たちの「体」だ。体は「私」を生かすために活動している。あらためて考えれば、これほど健気な存在はない。私のために生きている。それが私の体なのだから。私たちは、日常のほとんどの時間でそのことを意識していない。体があることが当たり前だと思っている。体が感覚を提供し、内臓や筋肉、神経が活動することはしごく当然のこと。私という頭脳がそれらをコントロールしていると。しかし体はそれほど単純なものでも、従属的なものでもない。私たちは人の死を前にするときようやく、その奇跡的な均衡に気がつく。体がひとつの独立した存在であることに。
 多くの人は、自分の体を無造作に痛めつける。世間では、そうしないと生きてはいけず、それが当然のように求められる。感覚を抑圧し、体を痛めつけて初めて社会の一員。しかし、それに流されてはいけない。世間などというのは、基本的に人間の感覚や体のことなど考えてはいないきわめて無責任なものだからだ。
 今日もまた、鉄道で人身事故があった。「私」が体を道連れにして鋼鉄の車輪に飛び込む。私を生かすために働いている体を私が奪う。これは悲しいことだ。そうせざるを得ないところに追い込まれてしまった人の心の闇を推し量ることはできない。自死に至るまでさまざまな困難があり、体自体の病気が原因かもしれず、その行為は責められないだろう。だが、もし私という意識の傷で悩むのならば、できれば体のことをもういちど考えてみてほしいと思うのだ。私という意識と、遠大な時間の末にある体という無意識の関係について。意識をはるかに超えた役割を果たしている体という存在を。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

40代スケッチ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。