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米国 [生活]

 今朝の新聞にマイクロソフト株式会社の社長の話が掲載されていた。「仕事力」という連載コーナーで、「激変を感じていますか」という見出し。いわく、世界はいま劇的に変動し、日本も終戦時と同じくらいの激変の中にある。そこで淘汰されずに生き残るためには、次々に新しいことを考え手を打たなければならない。世界の多様性を学び、終身雇用に甘んじることなく激変に対応せよ——という内容だ。
 確かに、近年の変化は尋常ではない。ぼうっとしていると後ろから蹴落とされそうな雰囲気だ。しかし最近、「新しいことを考え手を打たなければならない」がどういうことなのか、皆うすうす気づいてきた。だれにも止められない市場原理主義とやらの中で打つ新しい手。それは要するに、より早くより安く物を作ったり、売ったり、サービスを提供することに帰着する。本当ならば、「適度な時間と適切な価格で」といきたいところだが、人々の欲望を扇動する性質があるグローバル化では、それは許されない。要求されるのは、相手よりもさらに早くさらに安い商売をすることであり、とどのつまりは「消耗戦」に突入することとなる。それは、わずかな大きいものが台頭し、多数の小さいものが消えていく世界だ。
 米国発のグローバル化という大車輪。これがいま世界中で猛威をふるっている。「改革!」と叫び、大車輪に全日本人を巻き込んだ首相もいた。その結果、国内には大きな矛盾が生まれ、生きにくく、仕事をしたくてもできない事態になってしまった。もはや、この消耗戦には参加せずに別の道を探そうと思う人も多いはずだ。それを、民主党や自民党の政治家に伝えたら、彼らは口をそろえて「グローバル化に乗らないと日本は生き残れない!」とでも言うだろう。冗談ではない。すでに大変なことになっている。

 マイクロソフトの社長も否定し、消耗戦の中で目の敵にされている終身雇用。それが日本社会の一側面にすぎないにせよ、そのまま日本固有の民俗・文化に置き換えて考えたほうがいい。このような、それぞれの地域固有の民俗に生きる人々の営みを、一部の米国人は理解できない(開拓民にとっての先住民族のように)。確かに、終身雇用に悪い側面はあるだろう。だが、社員がころころと変わるような組織は信頼性がなく、責任の所在があいまいになる危険性も高い。
 古来からの器の中でぬくぬくとして変わらぬ者がいると指摘するその裏で、米国の富裕層は物を右から左に流すだけで、他国の市民の労働力を使って莫大な利益を上げている。自分たちの理想を通すために、終身雇用の生ぬるさを逆手にとり、民俗や文化を無化してしまうつもりだ。そのロジックは、テロ撲滅をスローガンにして、他国を継続的に攻撃する手法と同じ。壊した後の更地に、自分たちの作法による自分たちに都合がいい仕組みを打ち建てる。彼らが構築したいのは、自動的に富が集まる「システム」という名の終身雇用だ。
 マイクロソフト社を現在の地位に押し上げたOS「Windows」は、コンピューターソフト業界の特権的な「富裕層」とも言える。黙っていても、パソコンが1台売れるたびに金が入る仕組み。日本の官僚は、国産OSの芽をつみ、MS-DOS(Windowsの前身)という舶来物にすり寄った。おかげで現在、日本のソフトウェア業界はすきま風が吹く状況だ。
 日本はこの先も、自らが生み出した消耗戦を生き残れると信じている米国に隷属する姿勢でいくつもりなのか。日本の持ち味をこれ以上捨て去っていいものだろうか。米国は近い将来、同国の金融会社や自動車会社同様に破綻するだろう。過去の歴史に照らしても、ひとにぎりの富裕層が動かす国家がそう長く続くはずはない。
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