SSブログ

新製品はいらない [生活]

100219_casio.jpg

 カシオ計算機の「DQ-500」という目覚まし時計を使っている。この時計を買ったのはおよそ27年前。大学時代、鷹の台駅前の商店街にあった質屋で購入し、当時はまさかこれほど長持ちするとは思っていなかった。一人暮らしを始めて新しい目覚まし時計が必要になったため、ショーウインドウに展示してあったこの品を何気なく買ったのだ。それ以来この時計のおかげで、私もとりあえず人間社会に毎日参加できている。
 この製品を長く使い続けた理由は、やはり故障しなかった点が大きい。私は、壊れなければずっと使い続けるし、気に入った製品であれば修理してできる限り使う。それにしても、現在の製品では成しえない長寿命だ。そしてなにより、この時計のデザインが気に入っている。とは言っても、とりたてて優れたデザインではない。三角形の筐体は適度に扱いやすく、安定しており、三角構造ゆえ、間違って踏みつけても壊れない丈夫さを備えている(床に置いた際、ときどき踏んでしまう)。操作ボタンはシンプルで、時刻とアラームの設定、スヌーズとアラームの切り替え以外に余分な機能はない。このシンプルさも最近の製品にはないポイントだ。
 できることなら、この製品が壊れたとき、同じものを購入したいと思う。しかし、現代ではそんな要望はかなわない。とうの昔に新製品に入れ替わり、いまでは似ても似つかぬ時計が売られている。いまどきの目覚まし時計はどうしたことか、安っぽいアクリル板にシルバーのパネルが張り付いたようなデザインのものばかり。そのうえ操作ボタンが背面にあり、かなり使いにくい。時計が持つ基本的な形はどこへ行ったのか。どうにもセンスがなく、昔の時計のほうがデザインがよかった。
 これは時計に限らない。クルマでもそうだ。90年代以降、新車のデザインがみるみるつまらなくなっていった。なんだかずんぐりむっくりとしてスマートやシャープさが失われ、皆同じようなデザインの方向に向かっている。きっと、デザイナーの描いたレンダリングに営業やマーケティング、役員の面々があれこれ口出しして、デザインをダメにしているのだろう。一見差別化を図っているようでいて、実際には似たようなデザインが市場にあふれている。その点、欧州車はいい。最近のベンツのフロントデザインなどはぐっと低くなり、引き締まった印象だ。新しい古いなど無縁のかっこよさがある。
 新製品でなければ売れない、買わない——、そんな時代はもうすぐ終わる。新しいから買う人ももちろんいるし、新機能や性能が重要な分野も確かにあるだろう。しかしそれとは別に、新旧に関係なく、自分が気に入った色かたちのものを長く使いたいと思う私のような人間も少なからずいるはずだし、きっと今後は増える。次々に登場する、魅力がなく、寿命の短い「新製品」にしらける。古くても息の長い製品のほうが、成熟して完成度が高い事実にも皆気づいているはずだ。なんでもかんでも新しいもののほうがいいなどという発想には、もはや付き合う必要はない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

望月厚介氏の黒サーバー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。