SSブログ

食料危機 [生活]

 深大寺の門前で売られているそば饅頭が小さくなったと妻が言った。箱詰めを見ると、饅頭と箱の間にすき間があるという。しかし値段は変わらず。些末だが、これは暗示的な話だ。同じことは最近、多くの食料品で起きている。
 2年ほど前だったか、バターやチーズなどの乳製品が品不足になり、値上がりしたことがあった。その騒動が収まりかけたある日、雪印の6Pチーズ1個のサイズが小さくなっていることに気がつく。具体的にいえば、25gが20gになった。このときも値段は据え置きであり、実質的な値上げだった。それから現在まで、ほかの食品に目を向けてみると、かなりの割合で商品の内容量が減ってきていることがわかる。食品メーカーは増量のときは大きく宣伝するが、減量はこっそりと行う。
 東京に来て、初めて一人でデパートに行ったとき、パン屋の品揃えと量の多さに驚いた。いかにたくさんの人がいるとはいえ、あれだけのパンがすべて売れるはずはない。売れ残ったらどうするのか、といぶかしく思ったものだ。あれから二十数年がたち、パン屋の店頭の品揃えも少しは現実的になった。それでも、三鷹駅の駅ビルのケーキ屋や総菜屋、弁当屋などを見ると、夜10時を過ぎて相当な数の商品が並んでいる。いずれも作りすぎだ。コンビニでは相変わらず期限切れの弁当を捨てているらしい。
 余ったら捨てて、そのぶん価格に上乗せすればいいなどというのんきな資本主義は、じきに足元から崩れ出すことだろう。人間以外の生物の生息域が急激に縮小していることが明らかである以上、そんな時代は早晩終わる気がするのだ。人間世界を動かしている「貨幣」は煮ても焼いても食えない。金をかかえて年寄りはどこへ行くのか。食料が潤沢に行き渡ることが当たり前の時代から、食料が入手できて幸運だと感じる時代にシフトする。それは世間がいう「食料危機」ではなく、本来は人類の共有資産であるはずの食料を廃棄するような偏りが、当然の姿に揺り戻る予兆に過ぎない。このことは、社会的・経済的な要因や環境問題を語る以前に、食料品の生産者や製造者、漁師などが今まさに実感しているはずだ。そば饅頭も、今のサイズが現状に即した大きさなのだと思えばいい。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。