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レイ・ハラカミの音楽 [音楽]

 昨日、音楽家のレイ・ハラカミが亡くなった。突然の訃報にだれもが耳を疑う。享年40歳。死因は脳出血だという。あまりに惜しい。彼の死は現代の音楽界において大きな損失だ。
 私が彼の音楽を知ったのは、NHK BSハイビジョンで放映された番組「20世紀の名住宅物語」においてだった。20世紀を代表する著名な建築を取り上げたこの番組は非常に秀逸な内容で、映像、演出、構成のいずれも素晴らしかった。さらに私の心には番組全編にテーマとして流れた音楽が残った。初めて聴くそのサウンドは、建築の映像に不思議な奥行きを与えていたのだ。
 レイ・ハラカミの音楽には独創性がある。それは、緻密な音の編み込みに裏打ちされた独自の空間構成の妙だ。特殊な機材を使わずに作られた作品は(たしか、制作は主にローランドの音源ユニット「SC-88Pro」と古いシーケンスソフト「EZ Vision」を用いていた)、不思議な普遍性をもって、聴く者を包む。その空間表現は重層的でありながら、軽やか。幾層ものレイヤーに音色が自律的に飛び交う。リバーブだけに頼らない音響的な技法は彼ならではの道を切り開いた。さらにいえば、作品がもつある種の情緒的な感覚にも魅力があり、映像とともに演奏された場合、われわれに絶妙な時間意識を与える。
 近年、独創性のある音楽にはめったに出会わなくなった。それだけに彼の音楽は類がなく、貴重だった。つくられたアルバムはいずれも素晴らしい。私の愛聴盤は「lust」だ。矢野顕子とのユニット「yanokami」の展開も楽しみにしていたが、それもかなわぬこととなった。私は、彼は脳を消耗してしまうほど、作品に生命を注いだのだと思うことにする。もう新作が聴けなくなるのは残念だが、残された作品を大切にしたい。安らかにお眠りください。
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左うでの夢 [音楽]

 '80年代に作られた坂本龍一の音楽は、いま聴いても先鋭の一言に尽きる。'81年に制作されたソロアルバム「左うでの夢」は、シンセサイザーとシーケンサーによるエレクトロニクス・ミュージック創世の時代において異彩を放ち、当時の坂本ファンの予想を超えた内容のアルバムだった。
 彼がそのころ加わっていたイエロー・マジック・オーケストラの音楽も各アルバムごとに大きな変貌を遂げていたのだが、あくまでも最先端の機材と自動演奏によるサウンドが基盤だった。「左うでの夢」で坂本龍一は生楽器を効果的に使い、そのときのYMOやそれまでの音楽のどの路線にも属さない斬新な音楽空間を作り上げている。
 このアルバムでは、シンセサイザーよりも和太鼓などの打楽器音と歌(坂本本人)が主体だ。シンセサイザー・サウンドを過信(多用)せず、一貫してコンセプトを軸とした創作姿勢はきわめて自立しており、それゆえに強い独創性を打ち出している。
 素地となるサウンドは生楽器音とProphet-5(シンセサイザー)、リズムマシンのハイブリッドなのだが、その境はないに等しい。いずれのサウンドも、そして詩も、素材としてまったく同列となっており、この点でも画期的な内容といえる。また、ディレイやコーラスなどのエフェクターによる音響処理は高度な職人技だ。この音楽家は、楽音はもちろん、音響や具体音をつかまえる耳が非常に優れている。作曲家、プレーヤー、アレンジャー、ミキサーとしての、多面的な「耳」を持っているのだ。
 本アルバムを強く特徴づけている曲「ぼくのかけら」「サルとユキとゴミのこども」は糸井重里の、「かちゃくちゃねぇ」は矢野顕子の作詞。これらの曲から感じるのは、本作のコンセプトが坂本龍一が思い描くエキゾチシズムによるものではないかということだ。それを「夢」というタイトルで表現した逆説性が興味深い。「夢」は坂本龍一の音楽からいちばん遠い存在だからだ。さらに4曲目の「The Garden Of Poppies」は、原初的ともいえる太鼓の音の上で、歪んだシンセサイザーサウンドが雲間の竜のように舞う。ここに立ち現れるある種の神話的な音楽空間こそが'80年代における坂本龍一の真骨頂だと私は思う。
 厳密にいえば「神話的」という言葉もまた的確ではないのかもしれない。当時の彼は、「夢」や「神話」といった言葉の縛りをすり抜ける流動性と多様性(あるいは破壊力)をもった音楽家だったからだ。この音世界の感覚は、西洋の古典音楽、ポップス、ロック、日本の伝統音楽、現代音楽、電子音楽などが融合して出来上がった無意識から抽出したものだ。
 参加ミュージシャンは、ギターのエイドリアン・ブリューをはじめ、パーカッションに仙波清彦、サックスにロビン・トンプソン、ドラムに高橋幸宏、ベースに細野晴臣、バイオリンに佐藤薫。当時の前衛的な面々が名を連ねる。仙波清彦が参加したように、本作は打楽器とシンセによるリズム表現においても意欲的なアルバムといえるだろう。
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ジュリアーノ・カルミニョーラ with ヴェニス・バロック・オーケストラ [音楽]

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 三鷹市芸術文化センターで「ジュリアーノ・カルミニョーラ with ヴェニス・バロック・オーケストラ」の演奏を聴く。プログラムはすべてヴィヴァルディ(All-Vivaldi Program)。ヴェニス・バロック・オーケストラは一昨年も同センターで演奏を行っており、それを聴いた妻は絶賛していた。この組み合わせによる今回の日本公演は、兵庫県立文化センターを皮切りに計6回行われ、三鷹はその4日目。また、ジュリアーノ・カルミニョーラはこのほか、東京と京都で別途リサイタルを開いている。
 ヴェニス・バロック・オーケストラの演奏は期待に違わず非常に素晴らしいものだった。美術品のような美しさともいえる、繊細で普遍的な音。13人の楽団員が奏でる音楽は、精巧さと大胆さ、艶やかさと荒さ、弦楽の豊かさとよどみない流れを備え、それでいて、各人の個性が見える。これまでにこのホールで聴いた楽団の中でも、抜きんでた表現力を持っていた。私はこのジャンルの音楽を聴くことは少ないが、同オーケストラの古楽器演奏からは、ヨーロッパ音楽の神髄というようなものを感じた。素人ゆえの感想を加えるなら、これぞ「本場の音」という印象だ。
 最初の3曲はヴェニス・バロック・オーケストラのみの演奏。4曲目の協奏曲からジュリアーノ・カルミニョーラのバロック・ヴァイオリンが加わる。カルミニョーラの演奏がまた見事だった。独特の力強さと躍動感を備え、時として足を踏み鳴らし音楽に打ち込む姿は聴衆をぐいぐい引き込む。同時に表現に多彩な幅があり、ヴィヴァルディならではの高揚感を巧みに表し、ホールを音楽で彩る。ちなみに、カルミニョーラが奏でたバイオリンは、ストラディヴァリが最晩年(1732年)に製作した「バイヨー1732」という名器とのこと。とてもよく響き、私はその力強く多彩な音に魅了された。
 両者の演奏は卓越しており、満員の客席からは曲ごとに盛大な拍手が送られていた。アンコールは「四季」を含む5曲。四季まで聴けたことで私はさらに満足し、ほかの聴衆も同様だっただろう。このような演奏会が地元で聴けることをありがたく思う。日曜の夜、至福の時間を過ごした。

【プログラム】
弦楽と通奏低音のためのシンフォニア イ長調
弦楽と通奏低音のための協奏曲 ホ短調
弦楽と通奏低音のためのシンフォニア 変ロ長調
ヴァイオリンおよび弦楽と通奏低音のための協奏曲 変ロ長調op.8-10《狩り》
ヴァイオリンおよび弦楽と通奏低音のための協奏曲 変ホ長調op.8-5《海の嵐》

ヴァイオリンおよび弦楽と通奏低音のための協奏曲 ハ長調op.8-6《喜び》
ヴァイオリンおよび弦楽と通奏低音のための協奏曲 ト短調op.8-8
ヴァイオリンおよび弦楽と通奏低音のための協奏曲 ニ長調op.8-11

2010.11.28 三鷹市芸術文化センター 風のホール


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渡辺香津美ソロコンサート [音楽]

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 芸術文化センター・風のホールで渡辺香津美のソロコンサート「ギター・ルネッサンス」を聴く。デビュー40周年記念。
 彼のソロコンサートに行くのは実に26年ぶり。以前行ったのは大学生のころ、六本木のPIT INNで行われたライブを友人と二人で聴いた。どのような曲を演奏したかもはや覚えていないが、そのテクニックと表現力に圧倒された記憶がある。なにしろ、YMOやKYLYNで活躍したギタリストだ。演奏もさることながら、当時の学生からすれば雲の上の存在だった。その後、2002年ごろにとある音楽配信会社の発表会で、渡辺香津美が生ギターで「ノルウェーの森」を演奏したのを聴いたことがある。
 今回のプログラムは、ビートルズからジャズ、クラシックまで幅広い曲目で構成されていた。ここに自作曲も含まれる。1曲目はビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」。親しみやすいメロディーラインと、音色の豊かさ、技巧に引き込まれる。2曲目の自作曲「ブルー・スティール」に、この人独特の色彩感覚が表れる。特に黒の表現ともいうべき硬質なイメージは、艶があり渡辺香津美ならではだ。3曲目の「スリー・ビュー・オブ・ア・シークレット」(ジャコ・パストリアス)では、風景が見え、曲想が豊か。幸福感を表現していた。次にスタンダードナンバーが続く。いずれもピッキング・ハーモニクスが美しい。自作曲「パッシー・ホーム」は12弦ギターを使い、それによるエスニックな風味が新鮮。休憩をはさんで第2部の1曲目は、バッハの「無伴奏チェロ組曲第一番」。その後は定番の「マイルストーンズ」。そして、疾走感が見事だったチック・コリアの「スペイン」。スピード感、グルーブ感ともにすごい演奏になった。それを裏打ちしているのが、正確で自在なリズム感だろう。エンディングは12弦ギターによるアグレッシブな自作曲「ジャミング・イベリコ」で締めくくった。
 技術、編曲、解釈、どれをとっても完成度が高く、多彩さがある。職人的といえばそれまでだが、解釈の能力が素晴らしい。さらにこの人は演奏だけではなく、作曲にも秀でており、印象的な曲想と表現を持つ。演奏、作曲とも音の紡ぎ方が独特で、これは天賦の才といえるだろう。

第1部:
「アクロス・ザ・ユニバース」(ジョン・レノン/ポール・マッカートニー)、 「ブルー・スティール」(渡辺香津美)、 「スリー・ビュー・オブ・ア・シークレット」(ジャコ・パストリアス)、 「オーバー・ザ・レインボウ」(ハロルド・アレン)、 「ステラ・バイ・スターライト」(ヴィクター・ヤング)、 「ヌアージュ〜マイナー・スゥイング」(ジャンゴ・ラインハルト)、 「パッシー・ホーム」(渡辺香津美)

第2部:
「無伴奏チェロ組曲第1番“プレリュード”」(J.S.バッハ)、 「新世界 第2楽章 ラルゴより」(ドヴォルザーク)、 「トチカ・アイランド」(渡辺香津美)、 「死刑台のエレベーターへのオマージュ」(渡辺香津美)、 「マイルストーンズ」(マイルス・デイビス)、 「スペイン」(チック・コリア)、 「ジャミング・イベリコ」(渡辺香津美)

アンコール:
「ヘイ・ジュード」

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フィガロの結婚 [音楽]

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 沼尻竜典&トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズによる定期演奏会を聴く。演目はモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」。場所は三鷹市芸術文化センター・風のホール。イタリア語上演で全4幕。ステージ上のホリゾントには、字幕とイメージ画が投影された。
 私はオペラを鑑賞するのは初めてだ。ただし今回は、演奏会形式であり、オペラ形式ではない。ステージ上に指揮者とTMPがいて、その後ろにある一段高い壇上に歌手、さらにその奥に合唱団という配置だった。風のホールのサイズからすれば、このかたちが最善だろう。合唱団は栗友会合唱団。
 歌手のうち10名の若手は、オーディションで120名を超える応募の中から選ばれたという。各人が実力を備えており、聴きごたえがあった。中でも、ケルビーノ役の小林久美子と伯爵夫人役の高橋絵里の声には存在感を感じた。第三幕の伯爵夫人のアリアが印象に残る。なによりも今日の演奏会は、歌手たちの若さがいいかたちで演奏に結実した内容だったと思う。そこには高揚感や生き生きとした感情があり、モーツァルトの音楽にマッチしていた。
 沼尻竜典&トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズの演奏は何度か聴いたが、このオケの真骨頂はやはりモーツァルト。軽やかさと躍動感の表現が見事で、美しくそのうえとても聴きやすい。私はモーツァルトの音楽の楽しさと奥深さを再認識した。地元のオケというひいきを差し引いても、今日の演奏会は特によかったと思う。また、指揮者と歌手たちが対面するかたちであったせいか、オケと歌手の息も合っており、両者の融合がうまくいっていると感じた。満席となった観客席からの多くの拍手がその成功を示していたのではないだろうか。
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トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ [音楽]

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 芸術文化センターで沼尻竜典とトウキョウ・モーツァルトプレーヤーズの第53回定期演奏会を聴く。タイトルは「ロベルト・シューマン生誕200年記念コンサート」、曲目はシューマンの「交響曲第一番変ロ長調」「交響曲第四番ニ短調」。いずれも初めて耳にする曲だ。
 沼尻竜典の指揮は律動的で、楽団と聴衆を機敏にのせる。ときに、弦による叙情的なフレーズが楽団の上を波のように流れたかと思えば、一転して勇壮なホルンが鳴り響き、新鮮さがある。リズム感とセンスのいい楽団員は手練れの印象。モーツァルトプレーヤーズの反応はよく、自在な演奏で音楽をかたちづくっていた。また、人数以上の音の厚みも感じた。アンコールはブラームスの「ハンガリー舞曲第一番」。知っている曲だったため、実を言うと今日の演奏の中でこれがいちばん気に入った。クラシックの初めて聴く曲はなかなか記憶に残らない。
 モーツァルトプレーヤーズはいわき市など東京以外の土地にも公演に行くという。当然沼尻竜典の手腕によるところが大きいが、この楽団の瑞々しい演奏は魅力だ。国内での活動の幅を広げ、若いファンを増やしていくことだろう。
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通崎睦美 マリンバトリオ・コンサート [音楽]

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 三鷹市芸術文化センター・風のホールで、通崎睦美(つうざきむつみ)のマリンバトリオ・コンサートを聴く。メンバーは通崎のほかに、今田香織、後藤ゆり子。2台のマリンバを3人で弾く。私はマリンバのコンサートを聴くのは初めて。目当てはプログラムに含まれる坂本龍一の「グラスホッパーズ」だ。
 演奏はE・シャブリエの「スペイン」で始まった。最初の一音から引き込まれる。木琴特有の硬さと柔らかさ、強弱、豊かな音色。軽快なリズムとスペインの明るさ、豊穣さを感じた。トリオゆえの音の厚みが魅力だ。次にバルトークの「ルーマニアン・フォーク・ダンス」(6曲)。今日の演奏の中では私はこれがいちばんよかった。バルトーク独特の旋律(節回し)にマリンバの響きがとても合う。ダンスと木琴の相性のよさが心に染みた。グラスホッパーズは、イメージしていたとおりの演奏。この曲はトリオのアンサンブル用としてもいい。曲が持つ、ポリフォニーと曲調の斬新さを十分生かした演奏だった。今日のプログラム全体にいえることだが、マリンバトリオ向けの編曲がこなれている。
 このほか、ブルグミューラーの「25の練習曲」や、高橋悠治の「パレスチナの子どもたちの神さまへの手紙」(卓上の木琴で演奏)、林 光の「島こどもうた 2」やサティなどを演奏した。通崎の感覚とテクニックは確かなものだ。演奏の合間の話も聴衆の興味を満足させた。坂本龍一からポップス、クラシック、現代音楽までを安定した音色とリズムで紡ぐ。グラスホッパーズとルーマニアン・フォーク・ダンスはCDでもう一度聴いてみたい。通崎は、戦前戦後の時期、日米で活躍した平岡養一(1907-1981)というマリンバ奏者の後継者だという。マリンバの世界にとっても期待できるプレーヤーだろう。これからいい仕事をしていくに違いない。

第一部 1 スペイン E.シャブリエ 2 ルーマニアン・フォーク・ダンス B.バルトーク 3 モリタート K.ヴァイル 4 パストラーレ I.ストラヴィンスキー 5 グラスホッパーズ 坂本龍一 6 Lapping inYuming's 松任谷由実
第二部 1 竹林 安倍圭子 2 25の練習曲より J.F.ブルグミュラー 3 パレスチナの子どもたちの神さまへの手紙 高橋悠治 4 「島こどもうた 2」より 林 光 5 シネマ E.サティ アンコール 古い手紙 林 光 夕暮れ 林 光

トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ [音楽]

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 芸術文化センター・風のホールでトウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ第52回定期演奏会を聴く。副題は「グスタフ・マーラー生誕150年記念コンサート」。指揮は沼尻竜典。演目は、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」と、マーラーの「交響曲第四番ト長調」(室内楽版)だ。後者の第四楽章では、小林沙羅のソプラノ独唱が入る。
 ジークフリート牧歌は穏やかな曲。ワーグナーが妻のコジマに捧げた曲だという。タイトルどおりの牧歌的な旋律で、風邪を引いているせいもありつい眠くなる。ボヤッとした感覚で聴くのも心地よく、悪くない。マーラーの交響曲第四番は拍子がひんぱんに変化し、曲想も含め一風変わった構成の曲だ。ヤマ場は第三楽章だろう。とはいえ私の頭は、一度聴いただけではなかなか旋律まで記憶できない。やはり耳慣れた曲のほうが楽しめる。
 今晩の演奏では特に、出番の多かったコントラバスが存在感のある低音を奏でていた。このほか、フルートの音色も印象的。弦もよく鳴っていて、TMPは各楽器の音色、粒立ちが明瞭だ。20人ほどの編成だったが、緩急と強弱に曲想の意外な展開があいまって聴きごたえがある。この楽団で、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を聴いてみたいとふと思った。
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ピアノのつどい [音楽]

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「海老原直美門下生によるピアノのつどい」を聴きにいく。場所は、三鷹市芸術文化センター 風のホール。演奏会は朝10時から始まる四部構成で行われ、総勢43名がステージに上がり、私は夕方の第四部を聴いた。無料のコンサートだったが、高度なテクニックを伴ういい演奏が続き、聴きごたえがあった。ほとんどが東京音大の学生か卒業生とのこと。友人や親族が多く、客席が空いていたせいか、演奏者は皆リラックスしているようだった。私の目当ては、卒業生が弾いたラヴェルの「クープランの墓」。曲目は「トッカータ」だった。やはりなかなかの難曲。テンポを保ちながら、あの音の響きを作り出すのは容易ではない。もっとも、ショパン「幻想ポロネーズ」やベートーヴェン「熱情」、プロコフィエフ「ソナタ1番」も相当なものだが。
 門下生の演奏が終了したあと、花束贈呈で海老原氏が壇上に立った。同氏いわく「たとえ短い曲であっても、舞台に立つというのはたいへんなこと。であれば、より多くの人に聴いてもらうよう努力する」そして「自信を持つこと」。指導者らしい言葉で、もっともだと思う。絵画においても、ただ描いて壁に展示すればいいというものではない。壁にかけるまでの葛藤と、自信を保つことは実際には容易ではない。ましてや、音楽は一発勝負。ステージに上がり、自信を持って演奏に臨むレベルまでに自分を高めるのは相当な努力と意識が必要だ。指導者はその意識の自覚を促す。同時に海老原氏は、演奏する喜びも忘れないようにと述べた。
 以前イチローも言っていたが、自分を喜ばせたり、褒めたりすることは重要だ。それがなければ、野球にせよ、音楽にせよ、絵画にせよ、なかなか続けられるものではない。短い挨拶だったが、海老原氏の話は心強かった。この指導者あっての、今回の演奏だったのだと思う。
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ピアノ発表会 [音楽]

 息子が通うピアノ教室の発表会で録音を担当した。数日前から機材を準備し、録音計画を立てる。グランドピアノの録音は初めてだったので、マイクの位置やレベル調整をどうするかがポイントだと思いながら現場に臨む。使用したレコーダーは、コンデンサーマイク付きのZOOM社の「H4」。
 セッティングしてリハーサルで試し録りをすると、最大レベルが-6dB程度であるにも関わらず、ときどき中低低域の和音で歪みが出る。やはりグランドピアノのエネルギー量は大きいなどと思いながら、位置とレベルを調整した。リハーサルの時間は短い。あれこれ試したが結局歪みは取れず、レベルは通常90〜100のところを78に抑え、ピアノから少し離れ、上蓋より上方を狙うことにした。当然、モニタリングしながらの録音は無理なので、レコーダーを録音状態にしてその場を離れる。
 演奏者は6歳児から高校生まで。ほとんどの生徒が初舞台。皆、始めて間もないのにけっこう弾きこなしている。先生の指導がいいのだろう。最近のピアノ教室には珍しく、生徒16人中に男子が6人もいた。息子は同じところを間違えて何度も弾き直し、いつ終わるかと関係者をハラハラさせた。
 帰宅して録音を聴くと、司会の声が意外に大きく入っている。この時点で、マイク感度が高かったのではないかということに気がつく。H4のマイクゲインはL・M・Hの3段階。今日はそのうちのH(High)で設定したのだが、たぶんこれでは高かったのだろう。Mに設定してピアノに近づけ、レベルを90〜100で調整すれば歪まなかったかもしれない。録音や撮影時のミスの原因は、たいていごく初歩的なことだったりする。やはりまだまだ経験不足だ。それにしても、テクニックの有無は抜きにして、子供の演奏というのは愛らしく楽しい。

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