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左うでの夢 [音楽]

 '80年代に作られた坂本龍一の音楽は、いま聴いても先鋭の一言に尽きる。'81年に制作されたソロアルバム「左うでの夢」は、シンセサイザーとシーケンサーによるエレクトロニクス・ミュージック創世の時代において異彩を放ち、当時の坂本ファンの予想を超えた内容のアルバムだった。
 彼がそのころ加わっていたイエロー・マジック・オーケストラの音楽も各アルバムごとに大きな変貌を遂げていたのだが、あくまでも最先端の機材と自動演奏によるサウンドが基盤だった。「左うでの夢」で坂本龍一は生楽器を効果的に使い、そのときのYMOやそれまでの音楽のどの路線にも属さない斬新な音楽空間を作り上げている。
 このアルバムでは、シンセサイザーよりも和太鼓などの打楽器音と歌(坂本本人)が主体だ。シンセサイザー・サウンドを過信(多用)せず、一貫してコンセプトを軸とした創作姿勢はきわめて自立しており、それゆえに強い独創性を打ち出している。
 素地となるサウンドは生楽器音とProphet-5(シンセサイザー)、リズムマシンのハイブリッドなのだが、その境はないに等しい。いずれのサウンドも、そして詩も、素材としてまったく同列となっており、この点でも画期的な内容といえる。また、ディレイやコーラスなどのエフェクターによる音響処理は高度な職人技だ。この音楽家は、楽音はもちろん、音響や具体音をつかまえる耳が非常に優れている。作曲家、プレーヤー、アレンジャー、ミキサーとしての、多面的な「耳」を持っているのだ。
 本アルバムを強く特徴づけている曲「ぼくのかけら」「サルとユキとゴミのこども」は糸井重里の、「かちゃくちゃねぇ」は矢野顕子の作詞。これらの曲から感じるのは、本作のコンセプトが坂本龍一が思い描くエキゾチシズムによるものではないかということだ。それを「夢」というタイトルで表現した逆説性が興味深い。「夢」は坂本龍一の音楽からいちばん遠い存在だからだ。さらに4曲目の「The Garden Of Poppies」は、原初的ともいえる太鼓の音の上で、歪んだシンセサイザーサウンドが雲間の竜のように舞う。ここに立ち現れるある種の神話的な音楽空間こそが'80年代における坂本龍一の真骨頂だと私は思う。
 厳密にいえば「神話的」という言葉もまた的確ではないのかもしれない。当時の彼は、「夢」や「神話」といった言葉の縛りをすり抜ける流動性と多様性(あるいは破壊力)をもった音楽家だったからだ。この音世界の感覚は、西洋の古典音楽、ポップス、ロック、日本の伝統音楽、現代音楽、電子音楽などが融合して出来上がった無意識から抽出したものだ。
 参加ミュージシャンは、ギターのエイドリアン・ブリューをはじめ、パーカッションに仙波清彦、サックスにロビン・トンプソン、ドラムに高橋幸宏、ベースに細野晴臣、バイオリンに佐藤薫。当時の前衛的な面々が名を連ねる。仙波清彦が参加したように、本作は打楽器とシンセによるリズム表現においても意欲的なアルバムといえるだろう。
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