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ボストン美術館展 [美術]

 森アーツセンターギャラリーで開催中のボストン美術館展に行く。いろいろな点で見どころのある展覧会だった。
 展示はまず、ベラスケスの肖像画「ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテ」(1622年)から始まる。堅牢な構図と色彩。肖像画として非の打ち所がない。これに比べると、レンブラントの全身肖像画の色調が単調に見えた。そして今回モネの風景画が10点来ており、1室にずらりと並べられ、いずれも見応えがあった。特に「ジベルニー近郊のセーヌ川の朝」。この絵は文句なく美しい。ここまで見えるのかと思うほど、素晴らしい視覚。モネは明るい色調ほど厚く盛っている。
 ゴッホの「オーヴェールの家々」(1890年)を見ているとき、なにかを思い出した。それは浮世絵だ。彼が浮世絵好きだったという先入観は確かにある。しかしそれを抜きにしても、ゴッホの絵に特有の平面性が浮世絵に共通するものであることは間違いない。西洋画が本来持つ奥行き、立体とは異なる手法でモチーフを表している。均質なタッチによる、遠近法とは無縁の絵画空間。さらに様式(これがもっとも顕著なのは「ひまわり」か)。とはいえ私は、この画家の感覚が狂気に触れている部分をどうしても感じてしまう。
 セザンヌの「池」は、何を表しているのか。緑の土手から池の船に、円弧上に配置された2組の男女と2人の男。奥行きを無視したそれらの人物の大きさ。静物画や風景画、人物画と明らかに異なる、水浴図と共通する仕事。モチーフなしに想像で描く。ここにあるのは詩か、あるいは新たな絵画空間か。この画家は2つの世界を持っている。
 ピサロの絵の色調は、遠目に見るとセザンヌと同じだ。いや、セザンヌがピサロからその色調を吸収したのだろう。そして後輩は、ピサロよりも高い地平に登っていった。ピサロにないもの。それは、対象から読み取るべき構造あるいは断層。
 ルノワールは一時期、セザンヌと一緒に風景画を描いていた。そのときの作品「レスタックの険しい山」。この風景画には、ルノワールとは思えないほどの「構造」がある。あのふわふわで毛羽だった女の絵画にはない構造が追求され、組み込まれていた。セザンヌの影響か。少々驚きつつ、この仕事をルノワールが続けていたら……などと想像した。
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瑛九の版画 [美術]

 画廊に行き、先日購入した瑛九の銅版画を受け取った。自宅であらためて作品を間近に見る。展示されて見た際よりも画面が強く感じられるのは気のせいだろうか。いや、確かに線や調子が明瞭に見える。画面にある力強さが増した。これが、作品を所有するということか。私は作品を購入したのは初めてだ。友人の作品は何点か持っていて、それらもなかなかいいが、購入したものはまた違う感慨がある。
 1951年に制作されて、1983年に刷られた版画は、時間を超えて私の元にやってきた。手元で見ると、この絵に埋め込まれたさまざまな秘密に気がつく。気がつくが、それがなにを示しているのかはわからない。ここにあるのは画家の精神性だろうか。精神性がいろいろなエレメントになって、刻み込まれているように思えた。瑛九の版画の線は動いており、意外ににぎやかだ。不思議な生命力を感じる。作品を買うというのは、ひとつの世界を手に入れることなのだと思った。
タグ:銅版画 瑛九
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立体 [美術]

 「日本のわれわれの造型と西洋の造型とは自ずから異なる。日本の造型は平面的で味わいの芸術であり西洋のそれは立体的である。民族の性格である」。

 1952年の日記に47歳の三岸節子はこう書いた。私も近年同じことを感じている。日本人の油彩画は、風景や静物画に限らずみな平面的に見える。空間や奥行きは描かれているが、それは能舞台のような日本的な空間表現だ。モチーフは記号的であり、線や構成、色面で味わいを出す。現代美術でもその傾向は顕著だ。

 自分の仕事がうまくいかない理由をあれこれ考えるが、いまもっとも難しいのは、立体であり、奥行きをどう描くかだ。私は、平面的な造型を探求せずにいる。たぶん、できないのだ。かといって、立体や奥行きがつくれているかというと、そうでもない。色彩で立体や奥行きを出すのは容易ではなく、それを成し遂げた日本人画家がはたしてこれまでいただろうか。卓越したデッサン力をもった大家でさえ、ヨーロッパからの帰国後はこの問題に直面し苦しんだ。立体であればこそ、色調が大いに関係してくる。

 民族の性格であると同時に、この土地のせいでもある。太陽の光線が違い、空気や土が違うのだ。82歳の三岸節子がアルカディア・デ・グアディスで描いた風景画「赤い屋根」にはその答えが埋め込まれている。
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三岸節子展 [美術]

 日本橋高島屋で三岸節子展を見る。初期の自画像から欧州で描いた風景画、遺作となる花に至るたくさんの作品が展示され、見応えがあるどころか、しまいには疲れを感じるほどだった。それは当然だろう。94歳で亡くなるまで精力的に描き続けた人の、長い画業をいっぺんに見るのだから。いずれの絵も、試行の跡が厚みになり、迫力となって表れている。
 芸術家に必要なのは、感覚と思考、技術だが、私はそれを支える「気質」が最も重要だと思う。もとより、絵画の仕事は5年、10年でどうにかなるものではない。自分が思う高みに近づくのに何十年もかかる。その実感がつかめたとすれば、それだけで幸運だ。感覚と思考、技術があったとしても、気質を持っていなければ94歳まで描くことはできない。
 では気質とはなにかと問われれば、答えることは難しい。制作意欲という単純なものではないからだ。映像の中の三岸節子はそれを「業」と呼んでいた。生まれ持ったものでもあり、その後に得たものでもある。また、得たものばかりとは限らない。三岸節子の絵を見るとき、技術に頼る自分の錯覚に気がつく。
タグ:三岸節子
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作品購入 [美術]

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 先週、ギャラリー由芽に瑛九の版画展を見に行き、同展企画者のM氏に会った。瑛九の名前だけは知っていて、作品は記憶に残っていなかったので、M氏に画集などを見せてもらいながら、この作家の画歴などを教えてもらう。
 1934年にエスペラント語の勉強を始めたり、印画紙に直接物の姿を焼き付けるフォトデッサンの画集を出すなど、先駆的な人だったらしい。フォトデッサンの仕事はマン・レイよりも進んでいたように思う。エッチングやリトグラフ、油彩などでもたくさんの作品を残した。一時期、有名になる前の若い池田満寿夫が瑛九の版画を刷っていたというエピソードも面白い。
 1911年生まれの画家は、享年49歳で亡くなった。本展では霊前のように遺影が飾られており、そこに写っているのは特徴的な丸めがねをかけた黒目の目線が強い顔だ。M氏によれば、今年が生誕99年になり、9をかけて「幻の白寿展」という題名にしたという。展示作品は'50年代に制作されたエッチングが中心で、テーマはさまざまだ。その当時の人間がもっていた柔軟な精神性や夢想が赴くままに引かれた線に現れていて面白い。
 たくさんの版画を見るうちに、ふとその中にあるひとつの作品を入手してみたい気になった。それは「労働者」というタイトルで、二人の男がテーブルで向き合って腕を組んでいる、線が強い印象の絵だ。テーブルにグラスは1つしかなく、もしかしたら、二人ではなく、一人なのかもしれない。画面全体が装飾的ですらある。
 友人からもらったことは何度かあるが、私は美術作品を購入するのは初めてだ。購入し、所有するというのはどういう感じなのかを常々味わってみたいと思っていた。また、芸術家の作品が放つ光を電灯のように受け、その精神の一部からなにかを得たいという気持ちもある。
 後摺りの小さな版画なので、値段はさほど高くない。ギャラリーのオーナーに前金を払って帰路についた。自宅で手にとって見る日が待ち遠しい。
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猪熊弦一郎展 [美術]

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 東京オペラシティ・アートギャラリーで、開催前の猪熊弦一郎展を見る。今日はまだ展示物や照明などの調整中。ビデオ作品の展示に少々協力したので、その合間に会場をざっと見て回る。
 猪熊弦一郎の名前は高校生のころから知っていた。いきつけの地元のギャラリーがよくこの作家の作品を展示していたからだ。そのいきさつは不明だが、独特の作風と名前は記憶に残った。
 猪熊弦一郎といえば、まずは顔。今回の展覧会でも、「顔80」などの作品が数点展示された。いずれも、裏表がなく余計な感情が入っていない純粋な造形。実にいろいろな顔があるが根はひとつだ。
 このほか、大作がよかった。特に「宇宙都市休日」の開放感。青空のような背景。想像の世界だからこそ、すがすがしいイマジネーションがわく。都市をテーマにした作品も、コンポジションや色が明るい気分を誘う。この人の作品には、深刻さや様式、社会問題、風俗などが含まれていない。気持ちよく見ることができる。「おおらかさ」や「開放感」といった言葉すらすうっと吸い込まれてしまうような自由があるのだ。それでいて、なにかしっかりとした意志のようなものに裏打ちされている。時代背景は大きく異なるが、いまどきの多くの現代美術が抱える不安感や粘着性など皆無だ。マチスに共通する感覚。
 この人は90歳まで生きた。こうやって通してみると、ドローイングやアクリル画のほかに、壁画から百貨店の紙バッグまで、平面以外にもさまざまな場所で表現してきたことがわかる。しかもそのいずれの場面でも、本来の姿勢を崩していない。
 本展の企画の基になっているのは、画家と谷川俊太郎による1冊の絵本だという。そのため会場には谷川俊太郎の言葉が大きな字で掲示されている。とはいえ、それを読む必要は特にないだろう。言葉はいらない仕事だから。アートギャラリーは天井が高い。この春おすすめの展覧会だ。
タグ:猪熊弦一郎
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