立体 [美術]
「日本のわれわれの造型と西洋の造型とは自ずから異なる。日本の造型は平面的で味わいの芸術であり西洋のそれは立体的である。民族の性格である」。
1952年の日記に47歳の三岸節子はこう書いた。私も近年同じことを感じている。日本人の油彩画は、風景や静物画に限らずみな平面的に見える。空間や奥行きは描かれているが、それは能舞台のような日本的な空間表現だ。モチーフは記号的であり、線や構成、色面で味わいを出す。現代美術でもその傾向は顕著だ。
自分の仕事がうまくいかない理由をあれこれ考えるが、いまもっとも難しいのは、立体であり、奥行きをどう描くかだ。私は、平面的な造型を探求せずにいる。たぶん、できないのだ。かといって、立体や奥行きがつくれているかというと、そうでもない。色彩で立体や奥行きを出すのは容易ではなく、それを成し遂げた日本人画家がはたしてこれまでいただろうか。卓越したデッサン力をもった大家でさえ、ヨーロッパからの帰国後はこの問題に直面し苦しんだ。立体であればこそ、色調が大いに関係してくる。
民族の性格であると同時に、この土地のせいでもある。太陽の光線が違い、空気や土が違うのだ。82歳の三岸節子がアルカディア・デ・グアディスで描いた風景画「赤い屋根」にはその答えが埋め込まれている。
1952年の日記に47歳の三岸節子はこう書いた。私も近年同じことを感じている。日本人の油彩画は、風景や静物画に限らずみな平面的に見える。空間や奥行きは描かれているが、それは能舞台のような日本的な空間表現だ。モチーフは記号的であり、線や構成、色面で味わいを出す。現代美術でもその傾向は顕著だ。
自分の仕事がうまくいかない理由をあれこれ考えるが、いまもっとも難しいのは、立体であり、奥行きをどう描くかだ。私は、平面的な造型を探求せずにいる。たぶん、できないのだ。かといって、立体や奥行きがつくれているかというと、そうでもない。色彩で立体や奥行きを出すのは容易ではなく、それを成し遂げた日本人画家がはたしてこれまでいただろうか。卓越したデッサン力をもった大家でさえ、ヨーロッパからの帰国後はこの問題に直面し苦しんだ。立体であればこそ、色調が大いに関係してくる。
民族の性格であると同時に、この土地のせいでもある。太陽の光線が違い、空気や土が違うのだ。82歳の三岸節子がアルカディア・デ・グアディスで描いた風景画「赤い屋根」にはその答えが埋め込まれている。
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