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いわきに建てられた仮設住宅 [原発]

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 遅い夏休みをとり、いわきに帰省した。実家が管理人をしている寺に向かう途中で、原発事故による放射能汚染から避難してきた市民が住む仮設住宅を見た。形こそ狭小の長屋風だが、テレビで見てきたものとは異なり、それらの住宅は木造だった。無機質にならないようにする配慮だろうか。山間の平地にひっそりと建てられたような印象。父によれば、仮設住宅はいわきの各地にあるという。
 いわき市は広いので、建物を建てる土地は潤沢にあるだろう。休耕地になった田畑も多い。帰省している間3つの住宅地を見たが、いずれも休耕地だった場所につくられていたように思う。実際に敷地を歩いたところでは駐車場も十分に確保され、集会所のような建物もあり、入り口に建てられた案内板には「応急仮設住宅」と表記されていた。
 仮設住宅を見て最初に思ったことは、それが原発事故の被害によって出現したものであるという点だ。しごく当たり前の話なのだが、よく考えると私は、避難生活を送る市民と荒廃した町、死に絶えた動物などの映像や記事以外に、原発事故に起因する直接的な影響をまだ実際には目にしていない。しいていえば、ガイガーカウンターが表示する放射線量、つまり数値くらいだ。原子力事故の被害は可視化するのが難しい。
 放射性物質による食品汚染や環境汚染は深刻であり、国内の多くの市民を不安に陥れているが、その被害はいまはまだ具体的には現れていない。しかし仮設住宅は、放射能汚染から逃れてきた人々が住むために建てられたという事実として眼前にあった。表現は悪いが、静まりかえったゴーストタウンのようにたたずんでいた。その事実が、原発事故の悲惨さ、言い換えれば、国と企業による「暴力」の傷跡を改めて感じさせる。
 仮設住宅の間取りはいかにも狭そうだった。一人ならまだしも、家族で住むには相当無理があるだろう。間仕切りや隣家との壁もしっかりしたものではないはずで、そこで長期間暮らしたら、だれだって滅入ってしまう。
 双葉郡からいわきに避難してきた市民は2万3,000人を超え、今後も増える見込みだという。仮設住宅に住む人々は、自分の意思とは関係なく、国と東京電力が起こした事件によって故郷を離れ強制的に移住させられてきたのだ。いわきでは急激な人口増加により、道路の渋滞や店が混雑するといった事態も起きているようだが、それは避難してきた人たちのせいではない。すべて、国と東電、関連組織あるいはそれらがやることを見逃してきた市民の無関心が悪いのだ。そのような混乱を招いた罪は重い。たくさんの避難市民を生み出した元凶の行政や組織はいまだだれも裁かれていない。裁かれるどころか、東電の経営上層部は高額な退職金を受け取り悠々自適の生活を送っているという。そのうえ原発が再稼働し、新規の建設も再開された。人権を軽視した長屋のような仮設住宅と翻弄される人々の姿を見て、空疎な脱力感の後にじりじりと怒りが湧いてきた。
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