SSブログ

ドビュッシーと筆致 [音楽]

 三鷹市芸術文化センターで横山幸雄によるピアノリサイタル、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」を聴く。演目はドビュッシーがメインで、休憩をはさみ、スクリャービン、ラフマニノフそれぞれの前奏曲と続いた。横山幸雄が演奏前に舞台で語ったところでは、このようなプログラムは珍しいのだという。やはり日本の聴衆向けとしては、ショパンやベートーベン、モーツアルトが演目の主流であり、ドビュッシーそれも前奏曲集第2巻がメインというのは、クラシックの本流というか、主な聴衆の嗜好から外れるということなのだろう。今年はドビュッシーの生誕150年とのこと。それを記念して実現したのが今回のプログラムらしい。
 前回のこのホールでのリサイタルで横山幸雄は前奏曲集第1巻を弾いた。私はそれがよかったので、今回のコンサートにも足を運んだ。本人もいちどぜひ取り組みたいプログラムだったらしく、演奏は最初から気持ちの入ったものとなった。1曲目の「霧」からドビュッシー独自の音楽空間をつくりだし、私はその世界に包まれた。
 ドビュッシーの音楽は、和音が絵画の色彩のようであり、セザンヌの筆致を連想させる。この場合は油彩ではなく、水彩のほうだろうか。国内でセザンヌの水彩を見る機会はかなり希少だが、実は油彩に匹敵する仕事をしている。いくつもの淡い色斑による重なりや響きあいが霊感を感じさせるような世界をつくり、見る者は一つひとつの筆致と対話ができる。それは印象派のような単純なタッチの反復ではなく、ダイナミックかつ緻密な構造を含んでいる。ドビュッシーの音楽も同様だ。
 横山幸雄は、音をていねいに置いていた。彼がドビュッシーを好きなのはよくわかった。それには共感を覚える。欲を言えば、響きにさらに深みがほしい。これはホールの残響のせいもあるだろう。私には、芸文の「風のホール」は演奏者の意図を無視して音が安易に響いてしまうように感じられる。あれをコントロールするのは相当な技術が必要になるはずだ。その点で、特徴的なメロディーが少なく、技巧的な側面の強い第2巻をここで弾くのは難しいことだと思う。それでも、同ホールでの演奏経験が豊富な横山幸雄だからこそできることも多い。また、ドビュッシーはいまよりもわずかにテンポを落とし、ためがあってもいいかもしれない。あくまでも、私の勝手な感想だが。
 いずれにせよ、地元のホールで優れた演奏家によるドビュッシーのピアノ曲が聴けるのはありがたい。横山幸雄にはいつか、オールドビュッシープログラムを組んでほしい。もっとも、それでは客が集まらないか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。