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現代出版事情——ドジョウ狙い [本]

 先日、元A新聞出版社の編集者Nさんとメールでやり取りをしていたら、現在の出版社におけるある共通の傾向に話が及んだ。私もNさんも文芸関係の編集者ではなく、扱うのは実用書の類が多い。その傾向はこのジャンルに顕著といえるだろう。それはいわゆる「二匹目のドジョウ狙い」のことだ。この言葉を目にし、本好きの人はこれから書く内容についておよそ察しがつくかもしれない。
 世に出ずまだ具体的な言葉になっていない考えや思い、さまざまなことがらを文字にし、本というかたちで人々に届けるのが編集者の仕事だ(現在では電子書籍やWebページというメディアもあるが)。その始まりはもちろん、著者に出会うことだが、さらに次の手順は、その著作を具体化するために企画書を書き、編集会議に提出し、さらに営業や社長の承認(企画会議)を得ることとなる。
 このプロセスにおいて常々私の気を重くしているのは、具体化の最初の関門といえる、営業との折衝だ。「これ、本にしたいのですが」、「そうですか。では説明を」というやり取りからして、打ち合わせというよりはやはり折衝あるいは交渉という言葉が妥当だろう。編集者は、著者のアイデアや力量、その企画にまつわる動向やいろいろな条件を鑑みて、この本を必要とする人は多い、ぜひ出すべきだ、しかも売れると判断して営業に提案する。私の会社において、その際に営業がまず口にするのは、類書があるかどうかという点だ。気が重くなる原因はここにある。彼らは、「どんな本にも類書はあります。類書がなければ置く棚がありません」などという。裏を返せば、類書がないような本は作らないぜ——という姿勢なのだ。前述のNさんによれば、彼の会社の営業もまったく同じだったという。もちろん類書の有無だけではなく、「類書が売れていること」が前提になる。
 編集者は前例のある内容ばかりを手がけるわけではない。新しいアイデアや思考、ことがらを発見し、それを理解したうえで出版に結びつけなければならないこともある。特にITやデジタル関連の分野はこれまでのどのジャンルにも属さないテーマを取り扱うケースが多いのだ。いや、それに限らず、出版においてはほとんどのジャンルでいつも新しいテーマが求められている。一方の営業は、ものをたくさん売るのが仕事なので、本を投下するに足りるだけの市場があるかどうかは重要な条件となる。その理屈はわからないではない。需要がないところに本を供給しても、商売にはならないからだ。
 周知のとおり、ここ10年以上出版不況が続いている。全体の販売部数は'90年代半ばをピークに下り坂である。平均返本率40%。そんな状況でリスクを取りたくないという営業の気持ちもわかる。しかし、何をおいてもまず類書の売れゆきを見るという姿勢は、どうにも後ろ向きすぎるのではないだろうか。それならば、売れている本を探してきて、同じような内容の本をつくってその隣に置いてもらえばいい。
 偉いのは新しいジャンルを開拓した出版社だ。このご時世で、賭けにでる気概がある。もっとも、そのほとんどはきちんと調査をし、売れる見込みを周到に計算している。いずれにせよ、書店でよく目にするたくさんの類書の「群れ」が生まれる背景には前述したような出版社側の事情がある。編集者の目利きなどさほど信用していない二匹目のドジョウ狙い。なんだか情けない話なのだ。
 
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