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大友克洋GENGA展(2) [マンガ]

 ここからは、大友克洋の仕事における革新性に焦点を当ててみたい。私が今回の原画展で注目していたことの一つは、オリジナルで見た場合細部の描き込みがどうなのかということだった。もっともそれは印刷物とさほど変わらないものであったため、特別な驚きはなかった(変わらないという点での驚きはあったが)。原画ならではの発見としては、均質感・ベタにむらがある・ホワイトの使用が少ない・スクリーントーンの使い方が絶妙、コマの枠線が粗いーーなどの点が挙げられる。
 細部の描き込みというのは、この作家の漫画を知る人なら皆知っている物体表面のディテール表現だ。例えば、コンクリートの壁を描く場合、大友以前の漫画家は、コンクリートの表面のざらつきを表現するために、細かいドットを置いたりした。かたや大友はそこに、「欠け」あるいは「ゴミ」や「チリ」を描いた。些末なことのようだが、これを最初に目にした私は驚いた。そこから感じられるリアリティーが強烈だったからだ。彼はテクスチャーを描く際、石や粒状感のある物体はドット、ガラスや鏡面は斜線、金属はキラリと光る反射ーーといったような古典的な表現手法を用いていない。独自の視点と手法によって、かなり踏み込んだテクスチャー表現を実現した。
 これと似たような手法はたとえば松本零士の漫画に見ることができる。松本零士の描くメカの表面に多く描かれるのが、通気口のスリットのような線だ。たいていは3〜4本の線で描かれ、それによってある種のメカニカルな物体のテクスチャー表現を成立させている。さらに古くは、手塚治虫や小澤さとる(青の六号)の描く宇宙船や潜水艦に加えられた区画線のようなものだろうか。ただしこれらの表現はいずれも、テクスチャーを描くという意識が希薄であったように思う。材質や表面の仕上げを感じるまでには至っていなかった。かれらの漫画においては大地の土も建物の壁もあまり変わりない。つまり、物体すなわち物質を描く意識がさほど強くなかったのだ。
 これらの先達の手法に対して、前述した大友克洋の細部の表現はまさに革新だった。欠けやチリなどを加えることで、読者に材質や硬度、表面を十分に意識させた。さらにいえば、その革新の本質は、漫画に「面」の表現を持ち込んだ点にあるといっていいだろう。細部を描き込むことによって、大地や建物、人間や動植物など、あらゆるものの表面とその材質を面(平面、曲面)で表した。面を描くということはエッジ(空間との境界線)の存在も明確にし、それによって空気感や空間を感じさせ、物体の構造や位置関係を緻密に描き分けられることになる。画面上のあらゆるモチーフの存在感を際立たせたのが、大友克洋という漫画家だ。不思議なことは、これだけディテールを表現している一方で、彼の漫画世界に登場するすべてのものが、均質に見えることだ。いうなれば、大友克洋製の粘土を用いて、物語をつくっている。「粘土」にするためには前述した丸ペンが欠かせない。しかもこの均質さを変化させることで、物語の焦点を変えている。あるいは「彼女の想いで…」「Sound of Sand」「Minor Swing」のように、均質をテーマにさえした、
 話を面に戻す。面を表すことで、画中のあらゆるモチーフのリアリティーが向上した。特にビルなどの構造物の表現が飛躍的に進化したのはいうまでもない。これによって、背景がキャラクターを描くための単なるバックではなく、巨大な「世界」になったのだ。画面の中に密度を持った世界がつくられ、そこを舞台にすることでキャラクターの存在が際立つ。さまざまな面でつくられた世界のリアリティーは従来の漫画とは一線を画し、触れられるほどだ。実際に読者は眼で彼の漫画世界に触れている。例えば、「童夢」の団地のように。大友は漫画に触覚を持ち込んだというよりも、読者の頭の中にある物体感を最高度に引き出す技術をもっている。均一な線描とスクリーントーン、そしてライティングやカメラといった映画の手法を取り入れることにより、その背後にあるリアリティーを想像させる。大友はそれを徹底した。この点でも彼は、後進に大きな影響を与えた。
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