SSブログ

原子力と核兵器 [原発]

 明日、国内で現在唯一稼働している北海道電力泊原発3号機が止まり、これで国内にある50基の原発がすべて停止することになる。いわば一時休戦だ。残念ながら放射性物質はすでに国土の広い地域に降りそそいでしまったが、その災禍の大元といえる原発がすべて停止するということは市民にとって休戦と言っていいだろう。原子力利用の完全な停止ではない以上中休みにすぎないが、一時的でも事故の危険性が下がり、日本人の生存期間が少しだけ延びる。
 さて政府は、最近まで関西電力大飯原発3、4号機の運転再開を目ざし、今日にいたっては、原発の発電量に応じた交付金を原発が稼働していなくても支払う特例の実施を検討するなど、まだ原子力発電をあきらめていない。多くの市民が原発の安全性に疑問をもち、福島第一原発事故の原因究明も行われていない中、なぜそれほどまでに原発に固執するのか。
 電力供給という巨大な利権を手に入れ、それによって多額の金を得るといった理由もあるだろう。ようやく築き上げた利権構造を手放すことは、多くの政治家や官僚、学者、経団連にはできない相談だ。しかし、固執する理由ははたしてそれだけだろうか。原子力が持つ本当の顔を忘れてはならず、いまいちど原発の成り立ちを考えてみたい。
 本来、原子力は人間を大量に殺戮する核兵器製造のための技術だ。世界でより優位な立場に立つために必要となる強大な武器。この武器に磨きをかける目的で米ソ中は'60年代にたくさんの核実験を行った。それを、ビキニ環礁に象徴される核開発への反対運動の波を押さえ込むために、途中からエネルギー供給すなわち「平和利用」という名目にすり替えたにすぎず、本質は核兵器をつくるためのコア技術である点に変わりはない。高濃縮ウランやプルトニウムなどを抽出する技術を持つということは、すぐに核兵器をつくることができるという威嚇であり、外交上、国家がこのカードを持つことの意味は非常に大きい。米ソ中はもちろん、インドやパキスタン、北朝鮮などがこのカードを持つことに精を出している点からみても明らかだ。
 そうであるならば、疑問符の位置が変わってくる。なぜ原発に固執するのかではなく、なぜ核兵器を持ちたいのか。原発をあきらめるということはすなわち、核兵器を持つことをあきらめるということだ。つまり、自前で核兵器を製造する能力を切り捨てることになる。いかにアメリカといえども、国際的な立場上日本に核兵器を売ることはできないだろう。与党の上層部と官僚は以前から、アメリカの核の傘の下ではなく、自国の傘をさしたいと願ってきたのではないだろうか。核保有によって他国からの脅威を防ぐ。原発を止めると、この願いを断念しなければならない。
 そう考えると、原子力は憲法第九条にかかわってくる。日本の与党はこの点を認識し、原子力の進む道筋を周到に考えているはずだ。すでに明白だが、民主党は第2自民党である。自民党と同様に原子力から核兵器所有へいたるロードマップを官僚から受け取っているだろう。
 原子力は人間の手に負えない現象であり、福島の惨状がそれを示した。これと同義である核は、人類を破滅に導く兵器だ。各国が互いをけん制するために核が必要なのだという考えもあるだろう。しかし国家間のけん制以前に核技術は、必然ともいえる人為的ミスによって大量の放射性物質を漏らし、地球を汚染し続けている。日々生み出される核廃棄物の後始末は数十万年先に繰り延ばし、技術としては当初から破綻しているのだ。いずれにしても、原子力=核はこの地球に生きる市民やすべての生き物を弾圧する存在であることに変わりはない。誤ったはじまりと誤った歩みを止められないほどに、人間はおろかなのだろうか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

引越し業者全原発停止の日 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。