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脱中央 [原発]

 国内ではいま、東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原子力発電を容認する人と反対する人の意見のせめぎ合いが続いている。もちろん、推進と反対それぞれの声を上げる人は以前からいた。しかし放射能汚染が現実化し、底知れぬ健康被害、生活と産業破壊が懸念される中において、その対立が世間一般の知るところとなった。私が長年購読している朝日新聞も最近ようやく重い腰を上げ、原発に対する懐疑的あるいは否定的な記事を掲載しはじめている。
 原発を容認する人の意見は大方次のようなものだ。
「原子力はうまく使えば安定した電力供給源になる。クリーンであり、CO2削減にもつながる。この技術を使わなければ日本の経済は成り立たない」
これに対して反対の意見は、
「原子力はあまりに危険。いったん事故が起きれば取り返しがつかない。すぐに停止すべき。代替エネルギーはある」
というもの。原発推進は政府と官庁、産業界、学者、メディアが主導し、反対は主に市民団体とジャーナリスト、学者のほか、共産党や社民党が主体だ。さらにここにきて、「原発の危険性を鑑みて停止すべきだが、現実的にはすぐに止めるわけにはいかない。徐々に減らす方向で検討すべき」という段階的な縮小を目指す意見も出てきた。あるいは「ストレステスト」という新手の手法を持ち出して、それに合格すれば継続して原発を稼働させたいという動きもある。菅総理以外の民主党議員は、ストレステストで原発の延命を試みているように見える。
 私は以前から書いてきたとおり、「原発即停止」しかないと考えている。どんな理由があっても、原発は使ってはいけない技術(人間がコントロールできない化学反応)であることには変わりがない。すでに3基の原子炉が崩壊し、放射性物質に汚染されたこの国はいま半死半生の状態である。そのうえまだ原子炉を稼働させ、そこで第二の事故が発生したとき、日本という国の営みに終止符が打たれるのは明白だ。
 原発即停止に異論を持つ人もいるだろう。特に産業界では、国内電力供給の3割を担う原発が即時停止した場合その経済的影響は大きさゆえ現実的ではなく、確実な地震対策を施せば原発はまだまだ行ける——との考えが根強い。
 経団連会長を頂点とする産業界は、たった3基の原発の崩壊で国が大きく傾いている事実がわかっていない。つまり、ことの重大さがのみ込めずにいるのだ。現状認識という点で、いま日本は大きく立ち後れている。韓国や中国に追い抜かれた産業分野しかり、教育分野や外交しかり。放射能汚染の情報隠蔽や、汚染基準のいい加減な決め方もそこに起因している。ただしこれは市民についても言えることだ。自らが立たずに、政府や官僚、経団連などの「中央」がなんとかしてくれるだろうという意識がいまもってある。思えばそれは江戸時代から続く「庶民」感覚であり、われわれはまだ「市民」にはなりえていない。
 中央が判断を誤れば、あるいは保身や金儲けに走れば、多くの人々の生死にかかわる。これだけは肝に銘じておきたい。広瀬隆氏と明石昇二郎氏が行った刑事告発は、その中央の病巣に楔を打つ行動だ。
 先日福島県の市民グループが、あてにならない自治体に頼らず、自主的に放射線測定調査やホールボディーカウンター(体内の放射線量を測定する機器)の導入を行ったという。同県では、信頼できるジャーナリストや学者を呼んでの汚染状況認識と放射線の内部被曝に関する講演会もたびたび開かれている。自治体はいまも中央からの指示を待っているだけの存在であり、もはや現状認識うんぬん以前の問題だ。ガイガーカウンターを持って自ら測定し、判断する。このあたりから、われわれの意識が変わってくることに期待したい。脱原発は脱中央への足がかりとなる。
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