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放射能と6号線 [世界]

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 福島県の浜通り地方に住んでいる人にとって最も馴染みの深い道路、それは国道6号線だ。太平洋沿岸に並行して南北に伸びるこの道は、浜通りの要ともいえる重要な交通路であり、生活のうえでも、産業においても欠かせない。

 正確にいうと、6号線の始点は東京・中央区、終点は宮城県仙台市となる。まだ常磐自動車道がなかった時代、東北の太平洋岸の人々は、皆この道を使って関東との間を往復した。私も子供のころは父や親戚のクルマに乗り、6号線を通って東京に行った。また休日には6号線を北上して祖父母の家に行き、夕方になるとこの道沿いの浜辺を散歩したものだ。

 浜通りの南端に位置するいわき市にはその昔、文藝春秋などと同じ判型の「6号線」という名の文化的な地方誌があり、市内の人などが中心になって、郷土にまつわる記事を執筆していた。私の祖父もその一人だ。6号線は、地元の人間にとって、それだけ親しまれた道なのだ。その道も現在、地震被災と原発事故の影響下にある。6号線は福島第一原発から西に約2km離れた場所を通る。

 今日YouTubeで、ビデオジャーナリストの神保哲生氏(videonews.com)が投稿した映像を見た。福島第一原発からおよそ30kmの地点をスタートして6号線をクルマで北上し、避難区域を通って、最終的に第一原発の建物が見える1.5km地点までの区間を捨て身で進む取材だ。クルマには放射線測定器を付け、数値を確認しながら進む。途中に通過した富岡町(第一原発から約8.5km地点)における放射線量は約5マイクロシーベルトだった。

 私も富岡には何度か行ったことがある。ビデオに映る町は、一見通常の風景となんら変わらないように見える。日常と異なるのは、人がいないこと、そして犬たちが群れ、牛が放牧状態になっていること。これが放射能の怖ろしさだ。目に見えず、匂いも刺激もない「なにか」が町をつつむ恐怖。SF映画のような異常事態が実際に私の故郷の近くの町で起きている。福島第一原発周辺の町はもはや日常とはかけ離れた別世界になってしまった。

 神保氏のこの取材を見ると、6号線は現在、福島第二原発付近で地震の影響により崩落し寸断されていることがわかる。そのため彼らは迂回して富岡町に入ったのだ。そして迂回路も瓦礫にはばまれ、最後は徒歩になった。第一原発から1.5km地点で放射線測定器の表示は120マイクロシーベルトを超えた。きわめて危険で、常軌を逸した取材だ。

 この映像を見て、私はいたたまれない気持ちになった。あの6号線が崩落し、原発事故によって閉ざされ、いまなお復旧工事もなされずにある。そして、その周辺の町は見えない危険にさらされている。放射能のせいで、浜通りは完全に分断されてしまったのだ。6号線が開通し、富岡や大熊、双葉などの町が元の姿を取り戻すのは、数十年後か、百年後か、あるいは永久にその時は来ないのかもしれない。亡くなった祖父がこの状況を知ったらどう思っただろう。浜通りの人々はこの未来の見えない状況を祖先にどう報告すればいいのか。津波の被害も大きく、復興は相当厳しい。原発事故による放射能汚染への警鐘はこれまで何度も鳴らされてきただけに、私はいま怒りと同時に深い無力感と喪失感を感じている。

「原発避難区域は犬や牛の群れが闊歩する無法地帯に」
http://www.youtube.com/watch?v=mHWvbisFg0I&feature=youtube_gdata_player
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