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次は東京 [世界]

 毎日、マイクロシーベルトだのベクレルだのと放射線量の心配を続けていると、徐々に感覚がついていけなくなり、「慣れ」が出てくる。心のどこかに投げやりな鈍い気分が湧いてきて、よほどのことがない限り動じなくなってくる。本当はよほどの事態なのだが、それをあえて忘れて、日常生活の営みで包んでしまう。
 実際のところは、放射能に関する情報が錯綜しすぎて、市民皆なにがなんだかわからない状態だ。以前から原子力の危険性を指摘してきた人や海外のメディアは、恐ろしい現状認識を述べる。かたや一部の放射線や原子力の学者、政府をはじめ推進派は、安全だと繰り返す。市民に正確な情報を伝えるべきマスメディア自身が混乱している。本当に必要な情報を伝えてくれる人はいるはずなのだが、NHKや民放テレビには登場せず、そういう話にはUstreamやYouTubeにたどり着かなければ出会うことができない。
 危ないと指摘してきた人の言うとおりに事故が起きて収拾がつかなくなってしまったのだから、その人たちの言葉に真実があるだろう。私がいままで見聞きした感じでは、原子力や地震の専門家よりも、民間の人たちのほうが、現実をリアルに把握しているように思える。その現実はなにも複雑なことではない。ちょっと考えればわかることばかりだ。今回の事故に関して防災の甘さをかろうじて反省した東電だが、原子力村が考えていることは予想がつく。「ここで廃止したら、推進してきたわれわれが責任を取らされる」。
 広瀬隆氏が警鐘を鳴らすとおり、地震において危ないのは次は関東や東海だ。小田原を震源とする直下型の関東地震(小田原地震)、駿河湾を震源とするこれも直下型の東海地震。前者は73年周期で見当をつけると、1998年に起きて不思議はないという。すでにそれから13年も過ぎており、いまこの瞬間にでも発生する可能性がある。いうなれば、われわれが現在暮らすこの時間と空間は、砂上の楼閣だ。太平洋プレートという砂上。いずれにせよ、太平洋プレートの自然エネルギーのひずみは相当たまっている。
 直下型の東海地震が起きれば、その真上に建設されている静岡の浜岡原発はただちに破壊されるだろうとの見立てが一般的だ。それこそ自明の理だろう。同原発の即時停止を求める声が日増しに高まっている。以前から指摘されているように、浜岡原発が壊れれば、その放射性物質は風に乗って関東を覆う。地震で甚大な被害を受けた一帯をさらに放射性物質が襲う。そうなると東海と関東に住む市民は、自分や家族の命、あるいはいままで積み上げてきたあらゆる物や価値を喪う。
 ここで話が飛躍するが、私は絵を描く。次世代に残るような絵を描くために悪戦苦闘している。絵を描くことはすなわち自分の作品を残す仕事だ。前述の話でいくと、仮にここでこつこつと作品を残したとしても、いったん大地震が起きれば、それらはがれきの山に埋もれることになる。そして万が一作品が無事だったとしても、放射性物質が降ればだれもその絵を手にとって見ようとはしないだろう。無人の荒れ野に、見る人のない絵が晒される。それは悲しいことだ。

「Summer Time Blues」 http://www.youtube.com/watch?v=MIbrxhv_s_M
参考(4/17追加):原発の製造技術者の訴え http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o&feature=youtu.be
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