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福島原発の最期 [原発]

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 以前から懸念、指摘していた危険が現実となった。福島県の浜通りにある東京電力福島第一原子力発電所の地震事故。いまこの発電所で起きている危機に、日本中どころか世界中が注目している。

 このブログでも以前書いたが、私はその浜通りの出身で、20代の半ばごろには第一、第二原発をはじめ各地の原発で仕事をしたこともある。ただし、私は原発に特別詳しいわけではない。科学的に危険性を証明できるほどの知識を持ち合わせてはいないが、ある時期から原発の建設・運用には反対してきた。

 なぜ、反対なのか。その理由は単純だ。「原子の火」は人間の手に負えるものではないと考えるからだ。まず、この発電所で扱う核燃料棒や生成される放射性廃棄物が人間の手に余る危険物であるということ。原発から出た廃棄物をガラス固化で封入して地中深く埋め、数万年もの間眠らせておくという手法がすでに破綻している。危険物を次世代になすりつける行為はつまり、問題を先送りし今さえよければいいという発想だ。

 また道義的な面でも、核を利用することが許せない。日本は世界で唯一核攻撃を受けた国だ。広島、長崎の十数万人の市民は放射能で亡くなり、いまも苦しんでいる。ビキニ環礁沖で被曝した第五福竜丸も忘れてはならない。その国でなぜ、核を利用するのか。しかも核技術を商売にすらしている。この矜持のなさ。

 次に、私は電力会社が信用できない。安全だと言いながら、電力の消費地ではなく、はるか230kmも離れた地方の自然環境を破壊してそこに施設をつくる(福島原発で発電した電力はすべて東京に送られる)。この時点で相当胡散臭い。人間はミスを犯す。原子の火の場合、ミスはすなわち破滅を意味する。修復や後戻りはできない。原子力発電所は閉鎖社会だ。周知のとおり、事故隠しは長い間常態化してきた。私が以前地元で聞いただけでも、年に1、2度は大きな事故が起き、放射能を含んだ水蒸気を浴びた作業員が救急車で運ばれることなどがあったという。それらはニュースにならず、世間に知れることはない。表沙汰になったのは、東海村の臨界事故くらいなものだ。実際には昨年の6月、福島第一原発の2号機で、原子炉が緊急停止する事故(福島第一原発2号機 原子炉外部電源全喪失事故)が発生している。このときも、実は炉心溶融の一歩手前まで行っていたことを知っている人は少ないだろう。そのうえ、先月に公表された、国内各地にある原発施設でのたくさんの点検漏れ。これは日本の各地域における1社独占による閉じられた電力供給事業の弊害でもある。

 ちなみに以前福島第一、第二原発で仕事をしたとき、私は元請けに見積書を提出した。いつものように値引きを要求されるものと思い(かつ中間業者がいない分)、かなり割り増しした金額を提示してみた。すると、それが満額回答で通ってしまった。当然、元請けはその金額にさらに上乗せして発電所の関連会社に請求したはずだ。原子力事業というのは、世間一般とは違い、予算が潤沢にある緩い世界なのだということを知った。チェックが甘いどころか、チェックがない。

 そして、自然。東京電力やGE、東芝、日立などのメーカー、歴代の福島県知事などは、自然を甘く見て、一方で人間の技術を過信してきた。原子炉には二重三重あるいはそれ以上の安全機構があり、バックアップの体制は万全。たとえ巨大地震が来ようと、そう簡単に制御不能になるものではないと思っていたのだろう。昨日も書いたが、自然というのは人間を生かしもするが、殺しもする。自然とは恐ろしい存在なのだ。例えば、海を知る人間ならば、海の怖さは経験済みだ。小さな波が幾度となく続く中で、突如大きな波が来ることがあり、油断している人間を呑み込む。外洋では、高さ十数mに達する三角波という波が発生する場合があると、元船乗りから聞いたことがある。この三角波に乗ってしまったら、大きな船でも二つに折れるという。今回の地震では、高さ約14mの津波が福島原発を襲った。同原発が想定していた津波の高さは7mだという。私が東京電力に言いたいのは、自然というのは常に「想定外」だということだ。

 福島県沖を震源とする少・中規模の地震が、これまでもときどき発生していた。頻度は年に1、2度程度。そのときの震度は3〜4だった。そのため、この地震を気にとめていたのは少数の人間だけだったろう。一見、福島県の海岸部は地震が少なく安定しているように思える。しかしそれは誤りだ。この日本で地震の心配のない地域は存在しない。今回、東北の太平洋側に長さ500kmにおよぶ震源域があることが明らかになった。ほかの地域の電力会社と原発地域住民は肝に銘じておいたほうがいい。

 「FUKUSHIMA」の名前は不名誉な記録として、世界史に刻まれてしまった。チェルノブイリ、スリーマイル、そしてフクシマ。もちろん、原発を受け入れた県民側にも責任はある。それを思うと脱力感を覚える。私はこの数日間、脱力に加えて、身体の芯から疲労を感じている。福島原発に次々と発生する負の連鎖。いわきにいる両親のことを思うと暗たんたる思いだ。いま現在、この連鎖を止める目途は立っていない。人間の手に負えない「核分裂」という怪物が暴れている。この怪物を退治して事態を収拾し、福島原発の最期を迎えることはできるのか。
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コメント 2

Sanchai

NUMOの地層処分のPRをラジオでさんざん流していた生島ヒロシさんや北野大さんは、今回の事故を受けてどう思われるんでしょうね。
by Sanchai (2011-03-17 21:14) 

yotaka

想定外の津波のせいだと言うでしょうね。地層処分というのも浅はかなアイデアだと思います。地底はそれほど安定しているものでしょうか。地球は動いています。
by yotaka (2011-03-17 22:17) 

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