SSブログ

福島県への風評 [原発]

 今日読んだTwitterのつぶやきの中に、福島県に関する風評の話が3つあった。物資を積んだ輸送トラックがいわき市に入るのを拒んだ件や、福島からの製造品(製材)を使わない話など。これは原発という存在の危険性(有事)を考える過程で予想されていたことだ。ひとたび原発事故が起きれば、放射性物質という見えない毒物が拡散する。当然人々はそれを恐れ、国や県外の市民は「自粛」などという言葉を使って、事故が起きた土地に対し出荷品などを制限させるだろう。あるいは市場が受け付けない。たとえ放射性物質の心配がまったくなかったとしても。それが世間というものだ。念を押すが、福島原発で発電した電力はすべて東京を中心とした関東圏に送られ、関東の人々が消費してきた(地元の福島には1Wも供給されず)。東京都民をはじめとする関東圏の市民は原発事故を他人事と思ってはならない。
 今回の原発事故による大きな被害に関して、福島県は東京電力・国に損害賠償を請求することになる(福島県は原子力事業を容認してきたので、原告は周辺の市町村になるだろうか)。それは正当な要求だ。東京電力・国は絶対安全というふれ込みで、反対派住民の指摘を無視ながら、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町に原子力発電所を建設したのだから(一方でこれらの町の町民が原発で働いていた事実も物事を複雑にさせる)。地元住民は将来にわたる損害に関して補償を求めるべきだ。風評被害も含めて、経済的には大きな打撃を受けるだろう。長い戦いになるかもしれない。
 東京電力らに対する賠償請求をする段階では、被害を明確化するために放射性物質の存在を明らかにする必要が出てくる。それは、一方で風評被害を招く行為にもなる。賠償問題が世間の話題に上るたびに、県内の放射能被害状況がクローズアップされるため、地元からすれば、できれば表沙汰にしたくないということになるかもしれない。放射線量に関して県外の人々は敏感に反応するはずだからだ(とはいえ、世界各地で原水爆実験が行われていた1960年代のほうが、われわれは放射能汚染を受けていたらしい)。この点で福島県は茨城県や新潟県を始めとする原発立地地域とともにネットワークをつくるべきだ。
 東京電力・国・保安院は、今回の事故の原因を大津波のせいにするだろう。しかし、いかなる理由にせよ、「安全神話」(どんなことがあっても原子炉をコントロールできるという考え)は崩れ、多大な犠牲を生んだ事故は起きた。これまでも幾度となく問題点・危険性を指摘されてきた施設であるだけに、これは天災ではなく、あくまで人災だ。ちなみに昨年6月17日、第一原発の2号機が今回と同様の外部電源全喪失事故(http://skazuyoshi.exblog.jp/12974707/)を起こしたことを忘れてはならない。東電は今回その教訓を生かしていなかったことになる。
 東電の自滅した原発4基はいまだ危機を脱していない。もはやここまで事態が悪化してしまったら、ただただ好転を願うのみだ。最悪のシナリオはいくらでも描ける。なにがなんでもここで食い止めなければ、東北地方全体が人の住めない土地になってしまうだろう。それを成し遂げるには、作業員や自衛隊員、消防団員たちの生命の危険を引き替えにしなければならない。これまでも原発は、多くの作業員の被曝によって成り立ってきたのだが。
 東京電力は自らの過信とおごりによって原発を廃炉に追い込んだ。事態が収束したならば、地元は原発施設と放射性廃棄物の撤去を東京電力に要請せよ。原子力発電のあらゆる痕跡を残さないように。石棺は許さず。撤収は海路を使い、部材は東京が引き取る。福島県は放射線測定機器をそろえ、同県の生産物や地域の安全性を示すステッカーやサインを貼付・表示できるよう、いまのうちから方策を準備すべきだろう。風評の芽を摘むのは早いほうがいい。困難なことではあるが、福島県からいまわしい核の影をすべて払拭しなければならない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。