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本多真理子展 [ART]

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 雪が降る中、ぎゃらりー由芽に行き、本多真理子さんの個展を見る。前回の同ギャラリーでの個展「残暑味わう ~赤い糸でつながって~」からほぼ1年半ぶり。前回は、ワイヤフレームのように使われた赤い毛糸とシカのオブジェ、30kgの重りによる鮮烈な展示だったが、今回も強い印象を受けるモチーフが使われた。
 会場に展示されたのは、ヒグマの毛皮だ(顔と手足が付いているので剥製に近い)。細い鉄筋でつくられた四つ足のフレームに毛皮が被せられた作品「無生物たちの共存する空間」。亡きがらとなってもまだその毛並みは、生きていたときの荒々しさを発している。このヒグマはずいぶん昔にモンゴルで獲られたものだという。どう猛な牙と長い爪に見入る。
 熊の口から尻まで1本の赤い毛糸が通されていた。「動物は1本の管です」と作家は言う。血液のような色の赤い毛糸は何らかの関係性を示している。それは生命の継承か。この空間に立ち現れているのはまぎれもない自然の姿であり、死に絶えたものであっても、どこかでわれわれとつながっていることを強く意識させる。あるいは、いまのような時代だからこそこれまで以上にこの熊が生きていたときを感じるのかもしれない。ただしいまのわれわれは、感覚を澄まさなければこの毛皮でさえも容易にフラット化して捉えてしまうだろう。作家は、「通常は接することがない熊と人間が1つの部屋にいる」と語った。
 すでに生物でなくなった者と生物のつながり。この作品を前にして感じるのは、生命そのものよりも、生きていることのあいまいさのほうだ。生命はいまこの瞬間もとらえがたい現象として存在する。その意味で、物体になってしまった「元」生物のほうが、媒介者としてより生々しい。
 今回は、蝉や蛾などの標本も展示された。柿渋が塗られた木箱に入った蝉の抜け殻と成虫。作家は生命の情報を凝縮した「種」についても語っていたが、これらの標本もまた次の生命への継続を示す何者かなのだろう。本多さんは彫刻科の出身。彫刻家は、生物と鉱物の区別なく、生命のつながりを表現し得る者だと私はつねづね思っている。
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