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映画「ソーシャル・ネットワーク」 [映画]

 先日、吉祥寺のバウスシアターで映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。午前中の回、観客はなぜかほとんどが女性。目当ての男優でもいたのだろうか。あるいは、ソーシャルメディアやIT系の仕事をしている人たちか。この映画は、最近話題になっているソーシャルネットワークサービス「Facebook」を開発・創業したマーク・ザッカーバーグを取り上げている。
 私は昨年、Facebook関連本を発行した。その関係もあり、Facebook創業者に関するこの映画を鑑賞する気になった。日本での公開とほぼ同時期に、この映画はゴールデングローブ賞を受賞している。
 映画自体は、世間で騒ぐほどの内容ではなかったように思う。ストーリー展開が早く、伝記本に近い脚本になってはいるが、発見はあるにせよ、深く心を動かされる場面はない。ストーリーは、ザッカーバーグが彼女に振られるシーンから始まる。その腹いせが元となってFacebookの原型になるプログラムを組み上げ、それが話題になり、ビジネスにつながっていくさまを描いている。物語の時間軸は、主人公が訴えられた2つの訴訟に沿って進む。それがいわゆる理想と現実の体裁になっている。自らの理想を追うあまりに生じる軋轢や誤解。そう考えると、この映画の構造は単純なものに映る。
 実際にザッカーバーグは、大学の同窓生にはアイデアの盗用で、親友には会社の契約上の問題でそれぞれ訴えられたらしい。ただし、それ以外の部分で原作がどの程度事実に基づいているのか疑問だ。女性関係や出世欲の部分で脚色されていることは想像にかたくない。この映画に出てくる女性のほとんどは才能のある男に群がるグルーピーのように描かれている。もちろん、映画としての面白さを保つための色づけは必要だろう。ハーバード大学をはじめとする、米国の大学に存在する社交クラブ。この存在はわれわれ日本人には物珍しい。学歴とは別に存在する、エリート人脈のヒエラルキー。当初のFacebookは、この社交クラブをネットワーク上に実現したものと言われている。
 大学社交クラブの実態や、一人の若い男(彼は現在26歳)が自分の技術だけで作り出したサービスに投資家がつき、幾度かの決断を経ながらとんとん拍子に億万長者になる話。それ自体は興味深いが、どうも心に残らない。人によっては、この映画から実業へのヒントを引き出すことができるだろう。ビル・ゲイツばりのサクセスストーリーだ。
 ある意味において、米国は第二のビル・ゲイツを求めている。ザッカーバーグは、ビル・ゲイツの残した椅子にすっぽりと座ることができる資質を備える。ひたすらにキーボードを叩いてつくったプログラムが一人歩きし、今では6億人を超える人々に利用されているのだから。時代は、OSからネットワークのプラットフォームサービスへと飛躍を遂げた。その点で、ザッカーバーグが既成の枠組みを壊し、新しい仕組みを生み出したことは間違いない。
 この映画を観てあらためて気づくのは、一人の青年が作ったプログラムの上で、世界中の多くの人々が日々交流している事実だ。そこで気になるのが、ザッカーバーグが何のためにFacebookを作り、広めたのかということ。自己顕示や金、単なる偶然の積み重ねだけではないと私は思うのだ。彼には、インターネットを構築・開放した人たちやガレージメーカーの創業者たちと同じような思いがあったのだろうか。あるいはそれらとはまったく異なる気持ちだったか。初動はどうあれ、サービスが拡大していく中で心の変化はあったのか。とりたてて崇高な理想を求めているわけではないが、「ソーシャル・ネットワーク」の監督にはその視点を持ってほしかった。
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