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福島第一原発2号機の憂鬱 [原発]

 子どもの頃、父に連れられて福島県の原子力発電所のPRセンターに行ったことがある。そのときの私は小学校2、3年だったか。今から40年ほど前の話だ。できたばかりのその施設は、地元市民に対し、原子力発電の素晴らしさと安全性を伝えるために造られたものだったのだろう。子どもにとってはちょっと想像できない未来的な技術の説明が、真新しい内照式パネルなどで表示されていた。その中で特に印象に残っているのは、原子炉の断面を示した大きな模型だ。制御棒を中心として、原子炉にはたくさんの配管がつながっていた。少量のウランと蒸気で電気が生まれるのが不思議な気がした。
 それから20年後、仕事で行った福島第一、第二原発。そのときの私はすでに、スリーマイル島やチェルノブイリの事故を知った大人になっていた。クライアントの担当者が広い敷地の中に立てられた四角い建物を指さし、あれが原子炉ですというようなことを言った。あそこに、あの模型で見た原子炉が収められているのか、とクルマの中から眺める。しかし、半分腰が引けていた。発電所にいる間、常に放射能のことが頭を離れなかった。私は原子力発電に疑いの目を向けていたのだ。現場に集まった職人たちに指示を出し、作業の段取りを確認してその場を後にする。敷地内に放射性物質が転がっていることはないのだろうが、そこで1〜2週間ほど仕事をする職人たちを残して立ち去るのはなんだか申し訳ない気がしたのを覚えている。その後は茨城の東海村や原研、新潟県の柏崎刈羽なども回った。後年、東海村において人為的なミスで臨界事故が起きたのは周知のとおりだ。
 故郷の近くに原発があることを考えると憂鬱だ。ときどき福島県沖で地震が発生すると、真っ先に震度を知りたくなる。いまのところは3〜4だが、いつそれ以上の震度になるかはわからない。地震がなくとも、先週は原子炉が自動停止する事故(外部電源喪失事故)が起きた。実は、メルトダウン(炉心溶融)の手前までいっていたらしい。メルトダウンまで行ってしまったら、私の父母の命にかかわる。そして、二度と故郷には帰れない。いまは皆、電子機器や電気自動車に目がいっているが、それらは非常に危険な原子力発電という仕組みのうえで成り立っているのだ。
 先週発生した福島第一原発2号機の外部電源喪失事故について、いわき市議会議員・佐藤かずよし氏が以下のブログで報告している。 http://skazuyoshi.exblog.jp/12828796/

参考:「原発がどんなものか知って欲しい」http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


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