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水浴の男たち [美術]

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 「オルセー美術館展2010」でセザンヌの「水浴の男たち」を見る。先日、絵画においては人間と自然のとらえ方が日本人とヨーロッパ人で異なると書いたが、この絵をじっくりと見てあらためて感じたことがあった。それは、人間と自然の調和だ。大地と池と草木、雲、空、そしてさまざまなポーズをとる男達。彼方の雲には陽光があたり、黄金色に輝いている。この画面で彼が試みたのは、人間と自然の精神的な調和を表すことだったのではないだろうか。リンゴや静物、風景を描くといった、セザンヌが追求を続けていた対象の本質を実現する仕事とは別の仕事。あるいは水浴のシリーズは、もはや「仕事」ではないのかもしれない。

 「水浴の男たち」は実際のモデルや風景を基にせずに想像で描かれている。彼は少年時代、友人達と南仏の自然の中で貴重な時間を過ごした。そこで語らい、詩を読み、絵を描いたという。水浴シリーズの一部はその体験がベースになっていることは確かだろう。しかしそれ以上に、画家が求め続けた調和という主題を、絵画の手法を超えて人体によって描き表そうとしたように思う。

 構造を見れば、前景の4人とその間に置かれた2人、垂直を強調した木々や人体、三角形の構図など、着目すべき点もある。重要なのは、非常に単純な三角構図による安定感か。中央の木と立ちポーズの2人、斜めをかたちづくる左右の2人、その間に見える遠景の2人。これらの配置は、それまでの西洋絵画にはない構造によるものといえる。非常にグラフィカルであり、現代に通じる感覚だ。

 私は「水浴の男たち」や大作「大水浴」のテーマの深いところを捉えきれないでいる。前述したように、人間と自然の調和が重要であるという点は間違っていないと思う。しかし、それ以上のことは静物や風景画のようには読み取ることができない。宗教からはじまる西洋絵画の歴史を深く学ばなければ、この群像絵画の真髄を理解することは難しいだろう。画家が自分の中に積み上げてきた技法を使いつつ、静物や風景画とはまったく別の次元で描いた作品。ここに描かれた人間たちは生命力にあふれていることだけは確かだ。自然と人間の存在を賛美し、絵画における新しい神話を創造する試みのように思える。
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