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伝説巨神イデオン [制作]

 高校2年の秋だったか、同じ美術部に所属するNさんという女生徒が来て、アニメーターのアルバイトをしませんかという。彼女はアニメーションの制作プロダクションでガンダムの動画を描いているとのこと。当時は、未来少年コナンや機動戦士ガンダム、ルパン三世の映画に興味があったので、二つ返事で承諾した。
 休日、Nさんに連れられて、とあるマンションの1階の仕事場に行った。サンライズから独立したという男性がいて、面接を受ける。もはやその人の名前もうろ覚えで、なにがしかのテストを受けたように思う。それで合格となり、翌週から通うことになった。
 すでにガンダムの制作は終わりに近づいており、しばらくして「伝説巨神イデオン」という新番組の制作がスタートした。とはいえ、すぐには実戦に参加させてはもらえない。ガンダムやディズニーアニメのキャラクターを模写したり、キャラクター作画の教科書(円を基本にした技法)を基にその描き方を勉強する日が続く。アニメの基本を覚えるとともに、自分の手癖をとって、素の状態から作画監督の画風に合わせるための訓練だったのだろう。
 そのうち、実際に動画を担当することになり、タップに付けた作画用紙と鉛筆での格闘が始まる。動画とは要するに、原画と原画の間を埋める仕事。たしか、単価は1枚100円だった。イデオンのキャラクターやメカのデザインは当時としては斬新で、原画のレベルはガンダムよりも高かった。敵の女性キャラクターはアメコミ風だった。学校が終わってから仕事場に向かったり、土日に通ったことを思い出す。
 地方なので、当時イデオンを放送した東京12チャンネルはよく受信できず、ときどき内容を把握できなかった。そのうえ、打ち切りのような形で番組は終わる。難解なアニメーションで、最後には登場人物が皆死んでしまった。あのころはいまほどアニメーション作品自体に理解がなく、スポンサーはロボットのオモチャが売れなければ冷淡な対応をした。私はこのほか、「トライダーG7」という作品でも動画を描いた。
 もともとアニメーションが好きだったため、動画の仕事にははまった。そのせいで、本来の目標である美大受験の勉強がおろそかになる。制作プロダクションからは、就職の誘いがあった。私の行動に怒った父親にアルバイトを止めるよう言われ、逆らっていたらある晩とっ組みあいの喧嘩になり、首を強く絞められた。それでしぶしぶアニメーターから足を洗ったのだ。その後、私は美大に進んだ。
 もしあのままアニメーションの仕事を続けていたら、どうなっていただろう。いっぱしのアニメーターになれたかどうか。当時はいまほどアニメーションの認知度や評価が上がるとは思わなかった。首を絞めてくれた父には感謝すべきか否か。Nさんは確か卒業後もアニメーターの仕事を続けていた。たぶん優れたアニメーターになったと思う。いまごろどうしているだろう。

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Sanchai

当時私は田舎の高校生でしたが、『イデオン』は『ガンダム』以上に気合を入れて見てましたよ。ストーリーが難しくなり過ぎてCMスポンサーに受けが悪くて放映期間短縮されてしまいましたが。

『イデオン』放映されていた頃のサンライズの作品は背景シーンに遊びが多く、イデオンが宇宙で戦闘しているシーンでパロが飛んでいたりとか、それを必死に探して翌日の教室で「あれ見た?」と話題にしていました。
by Sanchai (2010-06-17 01:31) 

yotaka

イデオンは大人向けのアニメでしたね。「イデ」とはなにか? それが未だに記憶に残っています。田舎だったので、放送の受信状態が悪く、後半のストーリーが把握できないまま終了してしまいました(笑)。われわれの世代は、手放しでアニメを楽しめた世代だと思います。制作の現場も割とのんびりしていました。
by yotaka (2010-06-17 10:33) 

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