SSブログ

電子書籍待望論 [本]

 KindleやiPadの登場で電子書籍のリーダーに話題が集まっている。これと同時に、作り手側にとっても電子書籍の配信には期待できる点が多い。編集者にとって電子書籍は、営業との部数交渉や、取次の配本調整、平均40%といわれる書店からの返本(ムックなどはほとんど断裁される運命)の心配などを一足飛びにして、直接読者に本を届け、在庫の心配もいらないという点で、もろもろの手続きと問題から解放される。もちろん、インターネット配信で利益を上げるようにする方策も併せて考えなければならない。電子書籍が日本で受け入れられるかどうかは未知数だ。また、出版社も自主制作の作家も同列の世界となり、書籍の玉石混交が進む可能性も否定できない。

 現在のように、新刊が置かれる時間が短く、初速で売れないという理由だけで多くの本をすぐに倉庫に返本するような状況はあらためるべきだ。確かにそこには、需要に対して本を過剰に作りすぎるという問題もあるだろう。しかし短期的な判断のオペレーションは、本の多様性を阻害することにもなる。

 このほか作り手の都合になるが、何らかのミスがあった場合、電子書籍ならすぐに訂正が可能だ(通常は回収して断裁)。ジャンルによっては内容のアップデートも可能。さらには、希少本や復刻本の提供も容易になる。また、紙を無駄に使わなくて済む点も重要だ。

 もっとも、すべて電子書籍にすべきとまではいわない。紙のニーズが高い分野や、「物」としての存在を重視する書籍(装丁や紙質などの質感を含め)は従来どおり紙でいいだろう。あるいは、読者が紙を望むなら、オンデマンドで印刷し提供する手法もある。音楽におけるCDやレコードのように存続するのはアリだ。

 すでに音楽の分野では、iTunes Storeや着うたで楽曲の配信が日常的に利用されている。出版よりも早くデジタル化とバラ売り配信が実現した。著作権問題もどうにかクリアしているようだ。一方でCDの需要は減っているという。それを聞くと、あの透明プラスチックのケースとポリカーボネート製の円盤はどうも物としての魅力がなく、レコードほどの愛着を感じることがなかった。部屋にCDがたまって、扱いに悩む今日このごろ。「物」として所有するのはいいのだが、ショップのようにジャンルで棚を分けて整理するなどということは、狭小の住まいでは不可能だ。同じことは書籍にもあてはまる。部屋にあふれる書籍(古本含む)の行き場に難儀しているのは、私だけではないだろう。収納場所的限界を考えたとき、デジタル配信は有効な手段になる。

 話を出版に戻すと、近年の出版不況に一筋の光を照らすのは、書籍配信だ。村上春樹作品のような売れ方をするのはごく一部であり、大した宣伝もしてもらえないほとんどの書物は自転車操業のように入れ替えられ、倉庫で眠るか絶版ということになる。売れる本をつくればいいだけの話のように思えるが、前述したとおり、初速売れ行きが目覚ましい本だけがいい本とは限らない。書き手にとっては、日の目を見なければ執筆した意味がない。なるべく人の目にふれるようにして、ロングテールで売ることのほうが重要なのだ。この点でもネットによる書籍配信は利点が多い。

 米国では、電子書籍の登録冊数が日々増えていると聞く。KindleでもiPadでもSony Readerでもいい、日本でも早く扉が開かれることを願うが、まだ課題も多い。まず、電子書籍が浸透したとき、既存の書店はどうなるか? これまでは出版社と書店は持ちつ持たれつの関係だった。出版営業は書店に足繁く通い、自社本の売上向上に協力していただいた。その関係が根底から崩れていく。つまり、ネット配信になれば、書店が不要になる。はたしてそれでいいのか? 新しい売り方を考えなければならないはずだ。
これは難しい問題だろう。

 そして、電子化の恒久性。周知のとおり、デジタルコンテンツは一瞬で使い物にならなくなる性質のものだ。電子データがすべてローカルに残ったとしても、手元のリーダーの開発が終了したり、電子書籍のフォーマットが変更になった場合、コンテンツ喪失の可能性は否定できない(以前のCD-ROMコンテンツにおけるQuickTimeやDirectorのように)。はたして、これからの日本の出版界がそのような恒久的なインフラ的保証を担保できるのか。期待半分、懸念半分が正直なところだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

iPhone作品購入 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。