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ゲルハルト・リヒター展 [ART]

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 WAKO WORKS OF ARTでゲルハルト・リヒター展を見る。ポストカードサイズの写真に、いろいろな色が混ざった油絵の具を擦りつけた作品。写真に写っているのは海や林の風景、家族、犬などさまざま。絵の具で描くのではなく、ときにべったりと、ときにこするように付着させている。そこに見えるのは、油彩を描く人ならばよく知る、パレットの絵の具をナイフでこすり取るときにできる偶然の模様と厚みだ。
 写真に絵の具を付けるとはどういうことなのか。対象を完全に写し取る手法という面で考えると、写真は「写実」だ。絵画は本来それと最も遠い行為といえる。この2つの相反するものを重ね合わせて、浮かび上がってくるもの。写真には写真の深さがあり、油彩には油彩(画家)が感じる深さがある。リヒターの作品を見ていると、写真のほうに思考を向けている気がしてくる。絵の具をいかに厚く塗り、表面にマチエールを付けても、写真という写実の表面に付着しているようにしか見えない。浮かび上がるのは、あくまで写真の世界だ。対象を「描いていない」のだから、当然ではあるが。
 私もよく写真を撮る。絵描きにとって写真とはなんなのだろう。ファインダーをのぞき、シャッターボタンを押すだけで、世界の一瞬を切り取る。そこになにもないかといえばそうではなく、絵画とは別の「感覚」が存在する。撮影者はその感覚を受信するゆえ、シャッターを切る。もちろん、絵画と感覚のほうにこそ深いつながりがあると私は思う。リヒターの作品はそれを揺さぶる。そんなことを考えさせられる展示だった。
 ちなみに、WAKO WORKS OF ARTのRoom2では、彼の油彩画を数点展示していた。赤い板塀のようなイメージに青い色を載せている作品(基材はキャンバス)。灰色の写真を思わせるフォルムのない作品。アルミパネルに、物質感たっぷりに絵の具を厚塗りしてナイフで延ばした作品。「感覚」が見えず、自然から遠い。この作家の手法はリバウンドだ。それをいったら、多くの現代美術がそうなのだろうけれど。見る者に直接表現することはなく、なにかに当てて返す。視覚よりも思考。それは、予備知識を必要とする。
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