あそび [街]
以前、息子と一緒に中央線の跨線橋に散歩に出かけたことがある。その昔の太宰治の写真はどの辺で撮ったのだろうなどと思いながらあたりを見回していると、息子が下り電車に向かって大きく手を振っている。理由を尋ねると、時々手を動かして応えてくれる運転手がいるのだという。「それはすごいね」と私は言った。子どもというのは面白い発見をする。こんな話をすると、「勤務中の危険行為だ!」などと声高に叫ぶ人物が現れ、運転手の応答全面禁止などとなるのが近年の日本の常だ。人間をがちがちに縛ることで、世の中がうまく運ぶと思っている。その考えが、関西の脱線事故の大きな要因だったのではないだろうか。時間的、精神的にゆとりがない社会で、さらに人間を規律・効率で締め上げる。実はそのほうがよほど危ない。物事が複雑になりすぎて、規律や効率だけではやっていけないのがいまの時代だ。中央線を例にとってみても、信号機故障などのトラブルは20年前に比べていまのほうが圧倒的に多い。
われわれの生活には、いたるところに緩衝材ともいえるあそびが存在する。木造建築はあそびがあるから、地震でも折れず、倒れない。また、昔の住宅には縁側というほどよい空間があった。日本人はあそびをうまく使い、それによって社会をうまく回してきた。あそびはゆとりとなり、心の余裕が生まれる。その余裕が事故を未然に防ぐことにもなるだろう。「電車の運転士になりたい」と思う子供も育つ。気持ちの余裕を取り戻したいものだ。
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