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宮崎駿監督の「風立ちぬ」 [映画]

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 宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見た。私は公開して間もない8月初旬の雷雨の日にレイトショーに行ったが、売り切れでチケットが買えなかった。ジブリおそるべし、だ。そろそろ空いているだろうと思い、劇場に足を運んだ。
 本作を観た人の評価は賛否あるが、私はおおよその予想をつけていた。宮崎監督が飛行機をテーマにするのであれば当然のことながら風を描く。そこで表される浮遊感や飛行感覚は心地よいだろう。「風の谷のナウシカ」しかり、これは期待できるという読みだ。飛行機乗りが主人公の作品「紅の豚」もなかなか楽しめた。ジブリ作品における風や飛行の動画はお家芸だ。
 私は宮崎監督の本領は躍動感にあると思っている。これまで見てきた作品において、特に心躍るのは活劇的な要素をもつシーンだった。最初の劇場作品「ルパン三世 カリオストロの城」などがその好例だろう。躍動的な描写にこそ、アニメーションの本質である、命をふきこまれた絵という手法が生きる。同監督はこの盛り上がりの作り方が非常にうまい。そこに、監督得意の清廉なロマンチックさが花を添える。一方で、啓蒙的な匂いのするストーリーに載せた作品の未消化さや、人間の矛盾や得体の知れなさをドロドロで表現した作品は生理的に好きになれない。私の中での宮崎アニメの基準はあくまで「カリオストロの城」だ。高校生だった私は、劇場で観たこの作品から強い印象を受けた。アニメーションはここまでやれるという驚きと、この先があるという感触をつかんだ。
 「風立ちぬ」は、零戦を設計した堀越二郎と作家・堀辰雄という実在した二人の人物の人生を混ぜ合わせてつくられており、これまでのジブリ作品の中では異質の類といっていいだろう。物語は関東大震災から太平洋戦争の敗戦までを通して描いている。戦争という苛酷な時代に巻き込まれながら飛行機設計技師としての道を実直に歩む堀越二郎という人物の生き方と、結核で妻を亡くした堀辰雄の人生あるいは作品を織り込むようにしてストーリーが展開する。その要素を、主人公が見る夢でスムーズにつなぎ合わせている点が特徴だ。
 本作は、宮崎監督にとって長編最後の作品だという。それにふさわしく、動きとしてのアニメーションの質は高い。そして、古い日本の自然や家屋などの背景が美しい。人物よりも背景に目がいってしまうことがときどきあった。全体をとおして色彩設計も練られ、いい色を出していた。鑑賞前は、飛行機が空をぐいぐい飛び回って風を存分に感じることを想像していたのだが、実際にはもっと身近な情景や帽子や日傘が飛ぶシーンにおいて表される風の印象が清々しかった。また、音響が聴きごたえがあり、雑踏の人々の足音などがさりげなくうまい。さらには、一部の効果音は人の声を加工してつくられている。
 少し走ってしまったところはあるが、話の筋、アニメーション、音響、色彩設計を総合的にみて、よくできた映画だと思う。走ったというよりは、戦争の具体的描写を避けたということなのだろう。しかし、堀越が兵器を設計したという事実に変わりはない。希望を途中で絶たれることになる妻が自ら去っていく姿、終盤の別れのシーンはいい。菜穂子の最期の言葉が画面から浮かび上がった。惜しいのは脚本が弱い点か。なにか最初から最後まで淡々と進み、心にひっかかるものがない。きれいな要素だけで出来ている。
 この映画で監督が押し出したのは、主人公二郎の実直な生き方だ。小さいころ、設計技師になることが夢だった私としては、その歩みにもう一人の自分を重ね合わせた。主人公のまっすぐな姿勢は宮崎作品において常に一貫している。それがスタジオジブリの制作の柱といっていいだろう。
 傑作「カリオストロの城」から三十数年。カリオストロの城では水の表現が際立って美しかった。そして本作では風。水も風も生きることのメタファーだ。水が流れ、風が吹くところに命が宿る。その風を鉛筆一本で表現するのがアニメーションだ。さて動画としての「風立ちぬ」は「カリオストロの城」を超えたかといえば、残念ながらそうは思わなかった。「質」が緻密に高まることと、絵に命を吹き込むことは別なのだ。ジブリにはその原点にもういちど立ち返ってほしいと思う。青空を飛ぶ飛行機が描く軌跡のように、宮崎監督の長編映画は最後に一本の直線を描いて幕を閉じた。
 
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