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自然の涼しさ、そして東京 [生活]

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 ここ数日、夏期休暇をとって帰省していた。実家は福島県いわき市の浜通りにあり、上野から常磐線で2時間少々。海あり、山あり、川ありで自然に囲まれ、気候もいい場所だ。浜通りというだけに、夏は太平洋側から吹いてくる海風が心地いい。もちろん、日中の日向は暑い。しかし、東京ほどの湿気はないうえ、朝夕は天然自然の風が流れてきて、クーラー不要の家が多い。東京からいわきに来ると、自然の風による涼しさを実感する。部屋の窓を開けて風を入れるだけで気持ちよく、すぐにうたた寝ができ、体を休めることができる。すると元気が戻ってきて、根拠のない自信がわいてくるのだ。
 一方の東京の夏は周知のとおり。街にはビルやマンションが建ち並び、その近郊は宅地化が進み、緑地や土のある場所が消え、夏は年々暑くなる一方だ。涼をとる風習などは、とうの昔に失われてしまった。この状況の中で人々は住居やビルの室温を冷房装置で下げ、なんとか生存環境を保っている。もっとも、その冷房装置の排熱により外気温を上げているのだから、本末転倒ではある。
 この冷房という装置ももはやなくてはならないものだが、体には毒にもなる。なぜならば、涼しくしているのではなく、冷やしているからだ。私は以前から思っているが、これではわれわれ人間はスーパーの生鮮食料品と変わらない。鮮度が落ちないようにするのと同じ方法で身体という物体を冷やしているのだ。さらに商業施設などは、単純に人寄せのためにエントランスに冷風を送っている。
 涼しさを「感じる」のと、身体を「冷やす」のとではまるで違う。確かに、日中の気温は35度を超え、室温は時に40度近くにもなる。すでに日本の街や住宅は、強制的に冷やすしか方法がないところまできているように思える。とはいえ、本当にそうなのだろうか。都市であっても、建築物の構造や配置、風通し、日よけ、植物、路面などを工夫すればヒートアイランド現象を防ぐ知恵は出せる気がするのだ。
 涼しさを感じる環境を作りだすことは可能でないか。馬鹿げた話と言われるかもしれないが、たとえば自動の打ち水装置を開発する。夏場の夕方になると自動的に路面に散水する仕組みだ。あるいは、都市近郊の宅地に巨木を植樹することはできないだろうか。都市計画の法律や建築基準法で、一定面積ごとに樹木を植えたり、緑地を設けることを義務づけること。落ち葉や緑地の管理には人を割り当て、働き口を生み出せば一石二鳥だ。遺産相続で手放され、壊された家屋1軒の土地に、建て売り住宅がすき間なく3軒建つなどというやり方は、暑苦しいばかりでなく、実に見苦しい。デベロッパーよ、金儲けもたいがいにしろと言いたい。「すき間なき宅地化」はすぐにでも法律で規制すべきだろう。
 涼をとるテーマで書いていたのが、いつの間にか熱くなってしまった。それもこれも、年々住みにくくなる東京という都市の姿を残念に思う気持ちからだ。太陽光発電など、エネルギーの取得ばかりに目を向ける時代は終わった。これからは、心地よい環境を目ざし、人間が住みやすいまちづくりのためにテクノロジーを開発してほしい。ビジネスパーソンも、仕事とビールの泡のことばかり考えている場合ではないのだ。
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