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東京藝大の美術館 [ART]

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「異界の風景」というタイトルの展覧会に行く。場所は東京藝術大学大学美術館。副題に「東京藝大油画科の現在と美術資料」とあり、油絵科の現職教員14名の作品約70点と東京藝大美術館収蔵の作品約100点で構成する。そのため、展示品の制作年代や画法はさまざまで、北斎から藤島武二、山崎博まで幅広く取り上げていた。ちなみに藝大では、油絵科といわずに油画科と表記するらしい。
 印象に残った作品を順に挙げていく。まず、藤島武二の「浜辺の朝」と岡田三郎助の「矢口村の朝」。いずれの作品も中間調で淡い。これまでも目にした、日本の古典の油彩に多い色調だが、なにか、色つきのフィルター越しに見る風景のように思える。あるいは、昔の日本は本当にこのような淡い色彩でつつまれた国だったのか。もちろん、欧州と日本では光線が違う。そうであっても、やはり色味が日本画的だ。例えば、フランスの画家の油彩とはどこか質的に異なっている。明治時代ごろの日本の画家は、油彩画を実現するために、独自の色変換を行っていたのかもしれない。
 佐伯祐三の「セーヌ河の見える風景」(1924)。空も街も暗く、河にかかる橋のみが白い。左手前に樹木。この人は、当時のヨーロッパ人と同等の構図感覚を持っている。絵画空間をつくるために、最短距離で絵の具を置く。
 熊谷守一の「風景」(1953)。単純化して構成された独自の画面。輪郭を棒状のもので削って表し、モチーフは色面で表される。中間調の色面が効いている。グレーと朱色、柔らかいかたちが精神の平衡を保つ。
 野田哲也の「Diary:April 22nd '70,in New York(d)」(1970)。この作家には高校時代から注目している。Diaryシリーズはこれまでも見てきた。版画と写真の融合。双方の共通項をとった手法による、日常の標本化とでもいえばいいだろうか。そして、そこに立ち現れる新しい視覚体験。
 山崎博の「水平線採集 III」(1988)。写真美術館などでも見たことがある、海原と空をモノクロで撮影した作品。長時間露光のせいか、波は写っていない。ところどころにかすかな変化はあるが、海は半調で平坦なグレーになっている。大海の水平線と空。遙か太古から続く時間の集積にしばし見入る。現実の海を見るときと同じように、ゼラチン・シルバープリントの前で足が止まった。
 画家の目を通って頭で処理され、表現された「風景」は確かに異界だが、本展が提示する古典と現代との接点がわからなかった。会場全体を横断的に見て「異界の風景」はかろうじて浮かび上がるものの、補助的に掲示されているパネルに記された作家(教員)の言葉の意味は不明だ。東京藝大は日本の油彩画の本流を標榜する大学。それにしては、古典の風景や視点の変遷をアカデミックに解析するわけでもなく、技法や素材の研究過程も説明していない。それならばいっそのこと教員ではなく、最近活躍している卒業生の作品を展示してもよかったのではないだろうか。

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美術学部絵画棟は改築中

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