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文化とモノ [生活]

 不景気とは、モノが売れない状況のことを言うらしい。商品の数は棚に十分あるのだが、人々は買わずに通り過ぎる。資本主義が引く「風邪」のような現象。もちろん、不景気であっても、衣食住にかかわる基本的なものは日々買われ続けている。景気を良くするにはそれ以上の買い物をしなければならないという。いまどきは、必要でもないのに買うといった行為を想像すると、不自然でどうも腑に落ちない気分になる。
 思い返せば、'80年代の前半は、「必要でもないのに」という意識を持たずにモノを買っていた記憶がある。なぜだか、ある種の高揚感を覚えながら品定めをしていた。「おいしい生活」を「不自然」とは思わず、豊かさを当たり前のように享受した。もっとも、そのころの私は金がなくて、欲しくても買えないもののほうが多かったのだが。それが'90年代に入ると、「高揚感」もないままに分割払いで「新製品」を所有するようになる。購入の喜びも大してなく。
 '80年前後は西武百貨店が全盛だった時代だ。西武は、それまでの国内の百貨店が考えもしなかった手法で人々の注目を集めた。例えば美術展。有名な芸術家を始め、国内では無名の作家、抽象的なデザイン、現代美術なども大胆に紹介。店内に美術館を併設し、実験映画の上映やイベントのための斬新なスペース「スタジオ200」も提供していた。同店が立案・実行したさまざまな企画は、ある時期において多くの人々を巻き込んだ「文化」を形成するに至ったように思う。文化を創出し、結果として商品が売れる。イメージが増大する。そんな構図が確かに存在した。
 では、「いまからでも遅くはないから、景気を良くするために文化をつくりあげればいいのではないか」というと、もはやそう単純な社会ではなくなってしまったように思う。大量生産と大量消費の社会に、'90年代は「速度」が加わった。広告代理店が理念とする「新しいものを買わせる」「古くさせる」「捨てさせる」という循環型の加速器が付いて。この「速度」を押さえて、新たな文化を築くのは容易ではない。「速度」は、広告代理店の仕掛けのみならず、人々の欲求に因ることでもあるからだ。スピードオーバーの後遺症で、われわれの目はモノに対してかなり冷静になった。めったなことでは高揚などしない。とはいえ、この冷静さの中から次の文化が生まれる可能性はある。
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