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坂本龍一 [音楽]

 フランス政府が坂本龍一氏に芸術文化勲章を贈ったというニュースが届いた。ドビュッシーから大きな影響を受けたと公言する同氏にすれば、この授与はたいへんに喜ばしいことだろう。記事によると、「芸術家として文化の多様性を豊かにしたこと」などが評価されという。この希代の音楽家を語るときに、鍵となるのがまさしくその「多様性」だ。世界各地のさまざまな音楽はもちろん、芸術や文化、思想、テクノロジーなどを吸収しつつ、自身の仕事を創出してきた。彼本来の感性は、東京という都市で培養され、この都市が世界からの変化を受けて大きく進化するのと並行して育まれたように思う。東京という都市は多様であり、さまざまなものを吸収しつつ一色に染まらない。この都市から出発し、世界に進んだのが坂本氏だ。かくいう私も'79年〜'90年ごろまで、彼の音楽や発言に影響を受けた。
 今回は、同氏の功績、多様性のうちのひとつについて触れてみたい。それは、彼が制作した音楽で使われた「音色」である。いまでは、一般的に使われるようになったシンセサイザーという電子楽器。坂本氏は、このシンセサイザーが持つ能力を最大限に引き出した音楽家だ。日本には富田勲という先駆者がいたが、その時代のシンセサイザーはもっぱら、生楽器や現実音の再現のために利用されていた。もちろん、シンセならではの音色も作られたが、それらはいわゆる「電子音」という範疇にとどまっていたように思う。
 坂本氏のファーストアルバム「千のナイフ」には、電子音の範疇から一歩踏み出した音色が収録されている。ただし、「ムーグIII」などのモジュラーシンセサイザーを使った音色はシミュレートも多く、まだ大きな飛躍には至っていない(楽想の多様性は別だが)。その後のソロアルバム「B-2 UNIT」および大貫妙子や矢野顕子、高橋幸宏などのアルバム、「左うでの夢」などで、それまで耳にしたことがない独自の音色を数多く生み出し、新しい地平を切り開いた。撥弦楽器や擦弦楽器、打弦楽器音に迫る表現の音色、金属音やノイズのようなまったく新しい楽音。しかも、そのほとんどをProphet-5という1台のシンセサイザーでつくりあげた。Prophet-5はアナログシンセサイザーの傑作機として名高いが、私は同機を使ってあれほどの多彩な音色を作成した音楽家を彼以外に知らない。
 彼の繊細な「耳」(あるいは音のイメージ)に対応できたのが、Prophet-5という楽器の優れた点だ。さまざまな音を自在に合成できるとされるシンセサイザーだが、実際にはほとんどの製品において、微細なニュアンスという点での音作りの幅(あるいは深さ)はさほど広くはなかった。Prophet-5は素材としてのオシレーター(サウンドの元波形を生み出す発振器)のよさと、波形の加工の要といえるフィルターの効きが絶妙であり、サウンドに微妙なニュアンスを加えることができた。あの当時、サウンドの独自性の幅を備えたシンセサイザーは、ARP OdesseyかProphet-5だったのではないかと私は思う。また彼の場合、秀逸なアレンジが音の使い方を出色のものとした。この時期は同時に、デジタルディレイやリバーブなどのエフェクターの技術も大きく進歩し、サウンドのマチエールをさらに繊細なものとすることが可能になった。
 以上はアナログシンセサイザーが主流だった時代の話だ。デジタルシンセサイザーやサンプラーの登場以降、状況は変化した。残念ながら私は、近年の坂本氏の音色から特別な感覚を受けることは少ない。彼の近年のサウンドは、環境音や具体音のほか、元波形をベースにしたシンプルな音(あるいはその逆に非常に複雑な合成音)にシフトしたといえる。その意味で今、坂本氏の目は広く「地球」に向いている。
 ドビュッシーのピアノ曲も、優れた音色表現に満ちている。フランスの巨匠は「音楽は、色とリズムを持った時間とでできている」と語ったという。少々強引だが、絵画であれば、色は色彩、リズムはデッサンだろうか。旋律を彩色すること。音楽において、私はいつもその点に注目してきた。
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