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心臓カテーテル手術を受ける(後編) 随時更新 [手術]

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 私たちは普段、風邪などで通院して町の開業医に接する。しかし、大学病院などで働く医者や看護師、医療スタッフにおいては大病でもしないかぎり会うことはない。今回30年ぶりに入院して、彼女ら彼らの仕事に対する姿勢にあらためて感心するとともに、少々大げさに言えば未知の世界をのぞいた気がした。

 長期入院患者は別にして、軽度の容体の患者はルーチンワークのように来院そして退院していく。患者にとってはたいへんな事態であり、初めての経験を重ねるわけだが、医師たちにしてみれば、多くの患者の一人にすぎない。患者がすがるのは医者の裁量や手腕だが、入院から手術、退院まで親身にみてくれるのは看護師たちだ。交代で患者の状態を常時モニターし、定期的にチェック、なにかあればすぐ駆けつける。その献身は、患者にとって日ごろは受けることのない質のものだ。なかには小難しい人間やハラスメントをする不届き者もいるだろう。看護師たちは患者の感情にうまく配慮しながら業務を的確にこなす。私の隣の入院患者は初老の男性で、身寄りがなく、孤独な入院であり、大きな手術を控えていた。看護師の女性は、身の回りや各種の処置を細かくケアし、ときに励ましながら男性の細い心を支え続けた。

 さて、手術を終えて病室に戻り、私はしばらくぼうっとしていた。足の付け根を切り、太い動脈に穴を開けたため、それがふさがるまで8時間ほど安静にしていなければならない。眠くもないので、ベッドの上でスマホをいじっていた。いつまで経っても家族が来ないのでメールすると、すでに2時間前から病棟の休憩室に来ているという。私が手術室から戻ってきたら知らせてくれるようにナースステーションの受付に頼んでいたらしいが、なぜかそれがなされなかったようだ。

 昼食をとったあと、家族が帰り、安静にしていた。担当医師3名が交互に来て、様子を訊かれる。不整脈は術後一発も出ていないとのことで、治療は成功したようだ(現場では不整脈の単位は「発」らしい)。素直にS医師とスタッフに感謝し、安堵する。そのうちに尿意を催し、装着された尿袋に用を足そうとするのだが、出る気配がない。陰茎にコンドーム型のゴムが被せられ、そこからホースを通ってベッド横の尿袋に流れるようになっており、ベッドに仰向けのまま、足を動かせない状態で小便をする。これがなかなか難儀なことだと気がつくまで少々時間がかかった。

 4時をすぎるころ、膀胱が張ってきた。いろいろ工夫して出そうときばったが、禁忌意識が強いのか、まったくだめだった。ゴムをいじっていたらS医師が来てしまい、互いに驚く。術後の様子を見に来たのだ。S医師は同世代の著名な女医である。手術室ではまな板の上の鯉だったので、いまさら恥ずかしがっても仕方がない。名医は同情しつつ「青空の草原で気持ちよく立ち小便をするのを想像すれば出ますよ」と笑顔でアドバイスしてくれた。こちらは苦笑いして、やってみますと答えた。

 青空の草原で立ち小便をする努力も虚しく、一滴も出ない。手術並みの苦行だ。あるいはそれ以上か。膀胱はぱんぱんに張っていてつらい。「手術はうまくいったが、膀胱破裂で再手術」という事態を冗談ではなく危惧しはじめた。人生初のナースコールをし、看護師(女性)に来てもらうと、あとは尿道にカテーテルを通すか、尿瓶になるという。尿道カテーテルは痛いので遠慮した。そしてこの体勢では尿瓶でも出ないだろうと自分で判断。しかも、看護師は若い女性だった(この病院の特徴のひとつに、看護師や医師が若く、美人が多いことがある)。さて、どうする。本来は動かせない状態なのだが、トイレに行けるかどうかを医師の回診時に確認してもらいましょう、と看護師は言う。がまんの限界を超える寸前の5時半ごろ(術後7時間)ようやくインターンらしき医師が2名来たので事情を話す。足の付け根付近の状態を見て、担当医に電話で確認し、了承を得た。女性医師に尿器を外してもらい、心電図計測器や点滴のスタンドを引きずりながらトイレに入って再び生き返った。

 トイレから戻り、ベッドに横になる。すると今度は動いてしまったことに不安を感じはじめる。もしかしたら、動脈の傷が開いてしまったのではないか。定期回診の看護師に尋ねると、テーピングの状態を確認し、血は出ていないので大丈夫ですと言った。今回の入院で感じたことの一つに、医師の説明の物足りなさがある。決して対応は悪くない。患者に不安を与えない配慮も感じた。しかし概要はともかく、細かい説明というか、術前術後に関する予備知識がほしかったと思う。彼らにとってはルーチンワークだが、患者はなにもかもが初体験。特に私のような臆病者には何かにつけて不安が募る。担当医師たちは、回診のあとに「ほかになにか質問はありますか?」と聞いてくれるのだが、患者というものはとっさに質問事項が浮かばないものだ。不安はあとからやってくる。

 手術前の詳細説明にしても、ラフな手描きの図だった。母が受けた土浦の病院では、心臓内部をイラスト化したコピーに描き込んで、成功の確率なども説明し、術後は焼灼個所なども示してくれた。今回、担当チームの一人の医師に、手術の詳細がわかるカルテのコピーを求めたが、テキストがなく、よく分からない3D画像を2点印刷したモノクロプリントを一枚渡されただけだ。データをDVD-Rに焼けるが、請求が発生するとのことだった。今思えば依頼すればよかったと思う。自分の心臓のどこをどのように焼いたのかくらいは資料(明細)として欲しい。最初の焼灼で90%の不整脈が消え、残りの3個所の焼灼で完全に消えたという説明を口頭で受けたが、できれば書面で持っていたい。傷のふさがりについても、切った肉のほうと血管では異なると思うのだが、この点についても具体的な説明はなかった(後日近所のK医師に訊ねると、カテーテルを行なった動脈は圧迫程度でふさがるという)。

 ちなみに、友人のT君がいうとおり、術後の安静状態はなかなかきつかった。寝返りがうてないため腰や腹周りが痛み出したので、電動ベッドの上半分を30度くらいに起こしたりしてしのいだ。この状態が一晩続き、夜中にときどき目が覚めた。翌日は同室の患者が手術の準備をするため6時に照明が点けられ、眠りから覚めた。起き上がってトイレに行き、顔を洗う。7時過ぎに医師が来て、状態をチェックし、安静状態が解かれる。テーピングとガーゼを外し、縫い糸を切った。このとき、切り口が縫ってあったことを知る。傷は塞がっているという。朝食後に看護師が来て、普段着に着替えてもいいと言った。

 心臓カテーテルアブレーションは前述したとおり、陰茎横の足の付け根の動脈から細いケーブル(太さ1-2mm)を心臓に向けて数本通す。そのため、動脈にはなにかしらのダメージが及ぶ。あとでわかったことだが、付け根の皮膚が二カ所、2cmくらいの長さで平行して切ってあった。切り口はさほどでもないが、その周囲、特に腿の内側には長さ8cm、幅5cmくらいの内出血が現れた。これは手術の内容によっても異なるだろうが、多かれ少なかれ内出血は起きるようだ。この内出血は術後数日経つと、長さ幅ともさらに3割ほど大きくなり、その後青紫色から赤紫色に変わる。沈んでいた血液が表面に浮かんでくるためだろう。退院時に、スクワットのようにあまり無理な姿勢をしないようにと看護師にアドバイスされた。ときどき、無理をして腿に大きく内出血してしまう患者がいるという。私の母は術後に電車で帰ったせいか、後日卵大の血腫ができてしまった。これはカテーテルによる短期治療の今後の課題といえるのではないか。

 また、あとで知ったことだが、心臓カテーテルでは手術時に心臓を三次元画像で捉えるために、肺のレントゲンとは比較にならない量の放射線(X線)を使用する。大学病院は最新の優れた機器が入っているとのことだったが、この機器による被曝量はいかほどなのか、少し心配になった(あとで知ったが、被曝量等は術前に受け取った資料に記載されていた)。いずれにしろ、西洋医学に基づく医療には正と負の側面がある。

 腿の内出血は12日目あたりから徐々に薄くなり、小さくなっていく。友人によれば、跡は1カ月ほど残るという。血管にケーブルを通したダメージのせいか、傷の少し上の部分を押すと鈍い痛みを感じる。この点は手技の上手い下手もあるのかもしれないが、いま現在気になる状態だ。また、心臓のアブレーションに関係するのだろうか、肺の上部や中央部から背中にかけてのポイントがいまでも継続して鈍くうずく。関連痛なのか。心筋を焼いたせいではないかと思っているが、これも医師に確認したい点だ。

 さて、肝心の不整脈だが、体感上はほとんど消えた。というのも、1年以上不調が続いたので、術後も数日間はときどきわずかにおかしな動きを感じることがあった。たぶんこれは気のせいなのだと思う。退院して約1カ月後に心電図とレントゲンを撮り、S医師に診察してもらうことになっており、そのときにあらためて状態の確認が行われる。いくつかの質問を投げてみるつもりだ。

 最後に費用について。私は手術日程が決まる前から、市役所に行って国保の「限度額適用認定証」を取得していた。いわゆる「高額医療費の支給」だ。所得によって限度額は異なるが、この制度を利用しないと治療費は相当な額に達する。市役所の窓口で申請すれば数日で送られてくるので必ず利用すべきだ。更新は1年おきで更新月はあらかじめ決まっている。この適用を受けたので、費用は数万円で済んだ。利用しないと数十万円かかることになる(実質の医療費は100万円を超える)。注意すべきなのは、認定証の利用は1カ月単位という点。12月に手術して精算する場合、12月中に提示する必要がある。私は入院前の受診時、入院時、精算時にこの認定証を病院の窓口に提示し、日本の医療制度の恩恵を受けた。

追記1:
術後2周間を経過しても、左胸の疼痛が消えない。近所のK内科(循環器内科)で診てもらったが、血液検査、心電図の結果は正常なので、問題なしとの診断を受ける。「カテーテルアブレーションのあとで痛みが出る人は来たことがない。心配しなくていい」という。痛みとは異なるが、静岡に住む私の友人T君は一回目の治療の後、心臓に異常な動きが症状が現れて、再治療になった。一度のアブレーションで完治しない場合もある。そして、カテーテルアブレーションはノーリスクではない。さらに長引くようなら1カ月後の定期検診まで待たずに大学病院に行く予定だ。

追記2:
スケジュールの都合で1月15日に大学病院の循環器科を受診した。若い男性医師。心電図を測り、聴診などしてもらうが、異常はないとの診断。カテーテル治療の知見がないので、S医師に診てもらったほうがいいのでは、と言われる。スケジュールを調整して、再度17日に受診。S医師に診てもらった。結果として、神経痛ではないか、との診断。アブレーションではそれほど長い時間痛みが残ることはないし、場所が異なるという。痛み止めを処方してもらい、様子見になる。

追記3:
1月31日定期診断。心電図、レントゲンとも異常なし。胸部痛はだいぶ治まったため、やはり様子見となる。CTを撮ってもいいが、余計な被曝は避けたいとの判断。次の診察は3カ月後。

追記4:
2月16日、体調不良。数日前から心臓の影響と思われる倦怠感と息苦しさがあった。午後外出時にだいぶ調子が悪くなり、駅のベンチで休む。少し弱くなったようだが、心臓周囲の疼きは引き続きあり。ただし、心臓か肺なのかよくわからない部分もあり。両背中側にも疼き。脈は正常。不整脈は消えたが、消えただけで、倦怠感や息苦しさ、ときどき起きる心臓付近の重苦しさは施術前と変わらず。この症状は神経痛とは異なる気がする。重篤ではないが、日常生活に支障を来す。

追記5:
3月中は疼きや不調がだいぶ減ったが、4月に入って再度疼きはじめる。同時に足の付根のカテーテル挿入部分の疼きも引き続きある。カテーテル治療を受けたほかの患者に聞いても、そのような症状はないという。

追記6:
4月25日に定期診察。引き続き疼きがあったが、S医師によれば、胸部痛は体が縮こまっていると起きやすいので、手を上に伸ばしたり、胸を意識的に開くようにしたらどうでしょう、とのアドバイスを受ける。そのとおりに、その日以降なるべく背中を伸ばし、胸を張ることを心がけたところ、疼きが和らいだ。5月末時点で8〜9割方治まった。ただし周期的に繰り返していたので、6月まで様子をみたい。それで解消すれば、問題なしということになるかもしれない。

追記7:
7月末時点で胸の疼きはほぼ消えた。疼きや胸部痛は治療による不具合ではなかったらしい。6月中旬の時点でS医師は、病院に通う必要はないとの診断。股(挿入個所)の疼きもほとんど消えた。

追記8:
11月に入り、気温が下がってくるにつれ、再び疼きだした。やはり単なる胸部痛ではないように思う。以前と同様に心臓、その前後(胸と背中)がときどき重く疼く。冬の気候によって古傷が痛むような感覚。自分なりの結論としては、カテーテル治療において心室内になにか傷がついたか、焼灼が強すぎたこと(あるいは間違った焼灼)が推測される。K大学病院での心臓カテーテル治療はおすすめできない。なにより、期待していたS医師ではなく、若い医師が施術を行ったことが原因に思える。これが結論になりそうだ。

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