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上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト「SPARK」 [音楽]

 東京国際フォーラムのホールAにて上原ひろみザ・トリオ・プロジェクトのライブ「SPARK」を聴く。この公演は五大陸にわたる世界ツアーの一環であり、日本国内では各地で計23回行なわれる。そのうち、東京国際フォーラムは3日間。私が行った日は満席だった。三十代くらいの客が多かった気がする。

 上原ひろみの演奏はこれまで、テレビやラジオでときどき聴いており、そのアグレッシブで超絶技巧的なプレイは実を言うとあまり好みではなかった。そのため、「速弾き技巧派」「ラテン系?」「チック・コリアや矢野顕子と共演」程度の認識だった。私はジャズという音楽においては、響き重視で間のある演奏のほうが好きなのだ。

 いちどは聴いておこう、どうせならアンソニー・ジャクソン(Bass)とサイモン・フィリップス(Drums)でのトリオがいいーー。そのくらいの気持ちでチケットを購入して会場に足を運んだ(ただしアンソニー・ジャクソンは健康上の都合で今回は不参加。代役はアドリアン・フェロー)。

 公演は新譜のタイトルであり、本ツアーのテーマ曲ともいえる「SPARK」で始まる。予想どおり、いきなり飛ばす。非常に速いテンポとフレーズ、ダイナミックな展開。それは、たしかにホールAを満席にするのが頷ける演奏だった。曲目が進むにつれ、その感は強くなる。まず、ピアノの音とフレーズが立っている。テクニックは申し分ない。短いフレーズのシーケンスやトレモロが聴衆の意識をぐいぐいと引っ張るのが分かる(上原ひろみの音楽において、繰り返しは非常に重要)。サウンドは明快で、驚きや発見で世界を切り開いていくような高揚感があり、ときに、ジャズというジャンルの存在を忘れさせた。これまで抱いていたイメージとは異なり、高域を弾き鳴らさず、抑制された重心がある。曲の構成や構造自体はフュージョンに近い気もするが、要するに表現として分かりやすい。相当高度なことをしているにもかかわらず、分かりやすく聴こえるのは大切なことだ。そして、3人のインタープレイは新しいひらめきに満ちていた。

 聴衆の感情に変化を与えることができる稀有なジャズミュージシャンの一人だ。現在の多くのジャズミュージシャンやバンドは既成のパターンを並べてジャズ的な演奏してみせるが、多くの聴衆の感情に変化を起こすまでに至らない。5000人の来場者の感情を動かすトリオ演奏というのはそうそうできるものではない。一方で、ジャズの「方言」はあまり含んでいない。それが新しさを感じるともいえるが、この点は好みが分かれるところだろう。

 左右に設置されたスクリーンにアップで映し出される上原ひろみの顔は喜びに満ちていた。彼女の輝く目や表情が、驚きや発見を生み出す演奏を成し遂げていることを物語る。「弾くのが楽しくて仕方ない」という姿勢は以前と変わらず、さらに、聴く人を引き込む力が備わったように思う。それは「Wake Up And Dream」のような静かなソロピアノ曲にも現れている。聴衆は感情の変化を求めて会場を訪れ、上原ひろみのパフォーマンスは終始それに応えた。加えて、サイモン・フィリップスとアドリアン・フェローによる連係は非常に完成度が高く、インタープレイの次元を高く押し上げている。

 幅広い表現力と大きなスケール、パワーを持ったジャズピアニストだ。速弾きラテン系どころではなかった。これは彼女の強靭な腕力と身体性によるところが大きい。なによりも強いのは、彼女はピアノを弾くのがとにかく好きであるということ。それが全身に、演奏に現れている。これほどの身体性をともなったジャズピアニストは私の知るかぎりミシェル・ペトルチアーニ以来ではないだろうか。五大陸ツアーが組まれる事実がそれを証明する。圧倒的な体験だった。

 このライブを見た後、CD「SPARK」を買ってあらためて近作を聴いた。残念ながらCDには、会場で感じた、世界を切り開くような高揚感はあまり含まれていない。感情の変化という体験は同じ場所、同じ空間を共有することで生じるらしい。いま、音楽界においてライブに人気があるのはそれが理由だろう。上原ひろみが目の前でプレイすること。彼女が彼女の身体性を駆使して生み出す偶発性は記録媒体に収めることはできない。ステージでしか生まれないなにかがある。未知の音楽はたしかにそこに存在していた。

上原ひろみトリオ2016.jpg

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