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国家は必要悪? [世界]

 いまだに、国民の安全を守るのが国の役目だという人がいる。国家は必要悪であり、そこに住む人々ではなく、国という器を守るためだけに在ることを忘れてはいけない。この器は、他国からの侵略を防ぐ役割こそ果たすが、それ以上のものではない。市民から税金を搾取して政治家や官僚らの蓄財を増やし、大企業と癒着し、法を呑み込み、一握りの富裕層を優遇する。市民生活に災害以上の害悪を及ぼすのがその正体だ。特別な能力は持っていない。

 例えば、今回の原子力事故。その原子力事故の際に活用されるべく、国が百億円以上の費用をかけてつくった「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」がある。このシステムは、地形や風の影響による放射性物質の不規則な拡散を予測できる。福島第一原発が爆発した際、同原発に近い浪江町の住民は政府と自治体から必要な情報を与えられず、放射性物質が流れた北西方向に避難してしまった。本来なら、適切な情報を受けて北西以外の方角に逃げていれば、人々は無駄な被曝をせずに済んだ。

 事故後、政府は非常に大雑把な同心円での避難区域設定を行った。後日わかったことだが、当時の首相とそのブレーンはSPEEDIの存在を知らなかったのだという。火事が起きたとき、現場の近くに消防車と水があるのにそれを知らなかったのと同じである。さほどに、近代の国家とは用をなさぬ間抜けな存在なのだ。

 その愚かさは太平洋戦争を始めて310万の日本人を無駄死にさせたことでも明らかだ。要するに国家がなにかをやるとロクなことがない。それが国民の総意だという人もいるだろう。はたしてそうなのだろうか。私は国民という言葉が嫌いなので「市民」を使うが、市民はそれほど馬鹿ではない。そう信じたい。問題なのはその市民を欺いて税金と利権を懐に入れる一部の人間たちだ。もっとも、いまの日本人が「市民」に値するかどうかは疑問が残るが。

 国家を運営する政治家は票を集め、官僚たちは試験勉強の点数を得ることはしてきた、それを元手にして自分の利益のための研鑽は積むが、それ以外の能力はない。重要なのは、票田の取り込みや試験の点数をかせぐための記憶力よりも、想像力だ。周知のとおり、政治家や官僚たちの想像力は乏しい。要するに、他者の利益と幸福を守る仕事や、災害などを予防する仕事には向いていない。その自覚なしに、自分を偉いと思っているから始末が悪い。

 では、他国の侵略を防ぐために国家という器さえあればいいのだろうか。3.11以降の政府の行動を見るにつけ、もはや器の役割すら彼らに任せていては危険すぎることが明らかになった。この器は、不測の事態があると突然背中を向けて市民を置き去りにする。他国の侵略以前の話だ。仮に今回の福島第一原発が格納容器や圧力容器の爆発に至っていたら、SPEEDIさえ知らない政府の対応のまずさによって大勢の市民の生命が奪われたことは想像にかたくない。事故を引き起こした原因と無責任さは東電だけでなく国家にもあった。今後、大事故や戦争のような不幸は思わぬかたちに姿を変えてわれわれに迫ってくるだろう。そのときにいまの国家の在り方や仕組みではまったく心許なく、危ない。省庁などの縦割構造によって情報の共有がなされず、信じられないことが容易に起きる。

 災害や戦争(のようなもの)は完全に防ぐことはできないにせよ、その被害を最小限に食い止める計画は立てるべきだ。計画を立案・実行するにあたってはいまの国家の仕組みや人材では力不足。市民やNPO、企業、あるいは外国からの人材などが参加した新しい枠組みやルールが必要となる。政治家や官僚に任せて、文句だけ言っていればいい時代は終わったのだと思う。
 
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