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ガイガーカウンター [原発]

 連休中にいわきに行った話を先日書いた。その際、小名浜などの海岸沿いにおける津波の傷跡を見たわけだが、同時に、友人から借りたガイガーカウンターを携帯して各地の放射線量も計測した。その結果は以下のとおりだ。ただし素人の計測なので値は厳密なものではない。
 上野から湯本駅までの常磐線車中での線量は、ほとんど三鷹と変わりなかった。最も高い値で、水戸駅と東海駅0.13、日立駅0.15、高萩駅と大津港駅0.14、勿来駅0.15(単位はいずれもμSv/h=マイクロシーベルト毎時)。湯本駅や小名浜港近辺での数値は0.05-0.17程度で、平均すると0.11くらいだろうか。これも三鷹と同じだ。計測はすべて立った状態で行った。
 小名浜の実家や町で、海岸付近で、ときどきポケットからガイガーカウンターを取り出して、大気中の放射線量を計るとはとんだ時代になったものだ。この計測器は中国製で、どの程度の信頼性があるのかは、ほかの機種を使ったことがないのでわからない。電源を入れて数秒すると、カウンターの数字は0.05〜0.10あたりを行き来することが多い。場所によっては0.18まで振れる。使ってみて感じたのは、定位置で30秒以上計ったほうが精度が高くなりそうだということ。ガイガーミュラー管というものがどのように放射線をとらえ、また放射性物質がどのような動きをするのかを理解していないため、あくまで想像しながらカウンターの数字を見た。ただし、極端な振れ幅は示さないので、ある程度は信用していいだろう。
 植え込みやコンクリートのたたき、ベランダなど、郷里の各所での数値が三鷹と同じ程度だったため安心していたところ、とある地域で突然数値が上昇したので驚いた。クルマに乗りながら、窓を開けてなにげなくスイッチを入れると、数値が0.2を超え、最高で0.36に達したのだ。初めて目にする値に私は危険を感じた。具体的には小名浜上神白と平豊間付近。海岸線から西の方向に山になってトンネルを抜けたあたり、つまりじゃっかん標高が高い地域だ。後日この近くにあるカントリークラブの裏手を通ったが、ここも0.2を超えた。
 さらに翌日、建築家の友人の助言に従って実家の雨といの排水口の下を計ってみた。すると、30秒を過ぎたころから数字が上がり始め、ついには0.5に達した。ガイガーカウンターのアラーム値を0.5に設定してあったので、警告音が鳴り、液晶パネルが光る。同時にこちらの心臓もどきどきした。母が何してるの? と声をかけてきたので、ここの数値が高いと答える。なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気分になり、申し訳ない気持ちにもなった。この数字がもっと高かったとしても、両親はこの家を離れるわけにはいかない。せいぜい、排水口に触らないよう注意するくらいのことしかできないのだ。それでも、知らないよりはいいだろう。
 もっとも、今年70歳になる母は、「どうせこの先は長くないから」と放射能を怖がるそぶりがない。今年採れた筍も平気で食べている。この筍をおすそわけしようしたところ、遠慮した家もあったという。とらえ方は人それぞれ。食べ物の近所づきあいさえ分断してしまうのが原発事故だ。
 周知のとおり、放射線が特異なのは、臭いも、痛みも、色もなにもない点だ。ガイガーカウンターの数値が高くなっても、身体はなにも感じない。あくまでも想像しているにすぎず、その数字だけで対応を考える必要がある。そして被曝量が多ければ、後日その影響が現れ、あらためてその存在を知ることになる。かなり手強い敵なのだ
 前述の数値は福島市などに比べれば低いが、私は相対的には判断したくない。バックグランドを超えている場合、放射線は決して相対的に捉えてはいけないように思う。放射性物質が降った以上、数値がほかより低いから安全ということはないのだ。まして、地表面はさらに高い可能性がある。相手は物質なので、地形や風によってまだらに溜まるだろう。また放射性物質はさまざまな種類(放射性核種)が存在する。携帯型の機器ですべての核種の放射線を計測できるわけでもない。
 いまガイガーカウンターの価格は高騰している。その多くが中国製か、ロシア製だ。たぶん、売価は以前の5倍以上。製造元が値上げしているのか、部材が不足しているのかどうかはわからない。必要とされている時期に高額になっているのはまったく残念だ。しかも日本製は皆無。とはいえ、子供を持つ家庭にとっては有用な道具であるように思う。子供たちの活動範囲における数値を知ることは重要であり、たとえ避難できない事情があるとしても、少しでも放射性物質を避ける努力をすべきだろう。
 TwitterやWebなどで知った情報によれば、東京では北からの風が吹いた3月15日や3月22日の数値が非常に高かったという。そのときの大気をガイガーカウンターで計っていたら、卒倒してしまったかもしれない。知ればたぶん外出しなかった。いまだ数値が高い地域に住む人々はどのような気持ちで生活しているのか。もし私ならデパス1錠ではいられない。もはや、開き直るか。
 実際には、開き直れず、萎縮せず、ぎりぎりの線上を歩くことになる。もし借家住まいの一人暮らしであれば、佐賀県などが用意した避難市民の受け入れ先に向かうことも考えるだろう(当地では住居や生活用品のほか、仕事も紹介するとのこと)。しかし家庭を持つ多くの人にとって、そのような飛躍を実行することは容易ではない。もし移住する場合、国の補助は必須だ。私としては、チェルノブイリやドイツの例を知った以上、子供の将来を優先する選択肢が最も重要だと思う気持ちが強い。それにしても、この状況はいったいいつまで続くのか。チェルノブイリの例では、放射能の身体への影響が現れるのはおよそ4年後だ。

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