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小名浜港の津波 [津波]

 5月1日、原発事故や地震被害のただ中にあった実家の様子を確かめるために、郷里のいわき市に行った。同時に、小名浜港などの津波被害の様子も知りたかったので、沿岸沿いを見て回った。
 父のクルマで湯本駅からまっすぐ小名浜港に向かう。地震発生から2カ月近く経った小名浜の町だが、港に近い住宅地では、壊れた建物の残骸や浸水した家電品、家具などがいまだ道沿いに集められていた。実際に見たところ、津波は岸壁から港付近の住宅地や歓楽街のあたりおよそ100〜150mまでで止まったようだ。
 湾岸地帯には、壊れたクルマが数台被災したままの状態で置かれ、フェンスや各種の設備などがなぎ倒されていた。パイロット合同事務所が傾いている。日曜のせいもあってか、人影はほとんどない。臨海鉄道の駅や線路も被害を受け、信号機の鉄柱が根本から折れている。肉厚4mmほどの角柱が切断されているのを見て、あらためて津波の威力を知る。駐車場にある直径10cmほどのステンレス製のパイプも完全に曲がっていた。たぶん、流された船が当たったのだろう。また、岸壁に建つ倉庫の側壁が人の高さほどはぎ取られ、波の圧力と進み具合が想像できる。
 水族館「アクアマリン・ふくしま」周辺は立ち入り禁止になっており、その近くのデッキは8mほどにわたってえぐられていた。打ち寄せる波の高さを見ると、この一帯が数十cm程度沈下していることがわかる。大潮や満潮になれば海面が上がってくるだろう。商業施設「いわき・ら・ら・ミュウ」も1階部分が津波に襲われ、ベニヤ板で補強されていた。同館では亡くなった人もいるというが、定かではない。
 小名浜港にある魚市場やその建物の周囲も、数人の漁師と見物人以外はだれもいなかった。建物周囲には網や浮きに机、椅子、電化製品などいろいろなものが混ざった残骸が積まれ、一方で1階の事務所内には物がなにもなく、がらんとしている。漁港としての機能は完全に停止していた。漁師たちは船の様子を見に来ていたようだった。港の敷地もところどころ沈下して波打っている。港と道一本隔てた区画には鮮魚店や土産物店、レストランが並ぶが、いずれも1階部分が波にのまれ、現在は閉店している。
 市場の前の湾に、大型の漁船が1隻半分沈没していた。その横の岸壁にも同じくらいの大きさの船が打ち上げられている。津波のエネルギーは相当強い。油も浮かんでいない静かな湾の中に放置されたように沈んでいたため、この光景を見てもさほど驚きを感じず、眼前に映る事態が、なぜか遠く感じられた。津波で押し流された船や残骸はだいぶ片付けたのだろうが、この2隻が残った状態だ。ほかにも1隻の小型船が、少し離れた堤防に打ち上げられていた。無事だった漁船も多く、湾の東側にあるいつもの埠頭に停泊している。この漁船の風景をテーマに描いていた私の師を思い出す。
 港の機能が止まるということは、その関連産業も動いていないということだ。父によれば、製氷工場や冷凍工場もいまでは廃業状態だという。各工場には入り口にロープが張られ、閑散としていた。夕月かまぼこの本社も同様だった。津波被害に加え、今後は原発からの放射性物質廃棄による海洋汚染への対処に迫られる小名浜。この先どうなるのか、まったく想像がつかない。貿易港としての機能を回復するなど、震災からの復興は可能に思える。しかし、放射能による海洋汚染の拡大は人類史上前例がない事態だ。小名浜港は沿岸漁業と遠洋漁業が行われている。サンマや名産のメヒカリのほか、暖流と寒流が交わる好条件の漁場でマグロ、カツオが獲れる。いまはただ、その自然が保全され、市民の営みが以前のように続くことを願う。

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被災したクルマと傾いたパイロット事務所

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切断された臨海鉄道の信号機

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臨海鉄道の線路

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折れ曲がったステンレス製のパイプ

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彼方の防波堤を越えて津波はやって来た

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えぐられた岸壁。地盤は沈下している

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津波の進んだ跡

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小名浜魚市場

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小名浜港の湾内に沈む漁船。打ち上がった漁船

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被災した店

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市場周囲の残骸

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削られた岸壁

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打ち上げられた漁船
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