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循環型社会 [世界]

 常日頃考えていることに、地球の生態系と人間とのつながりについての懸念がある。いうまでもなく、生態系は循環しており、すべてがつながった輪の上で成り立っている(生態系ばかりではなく、気候も同様)。生物である人間も、本来はその連鎖を構成するひとつであるはずだ。ところが私たちの暮らしや社会活動を見ると、実際には大きく逸脱している。
 たとえば、果物を食べ、その皮や種をゴミ箱に捨てるとき、その行為はすでに連鎖の輪から外れているではないかと思う。同じように、料理したときに出る野菜くずや残った魚の骨はどこに行くのか。生ゴミとして捨てるそれらは、間違いなく大地には戻らない。たぶん、通常の廃棄物と同様にゴミ処理場で焼却される。本当は大地(農業)に戻すべきものだ。「ゴミ」ではない。
 あるいは、われわれが毎日排泄する大小便はどこに行くのか。昔のように、肥料として利用されることはもはやない。下水道を通り、どこぞの処理場に集められてこれもまた燃やされ、灰になるのだろう。そして、その灰はまたどこぞの土地に埋めて葬られる。大地に戻されず、そこで打ち止めだ。
 無から有が生じるはずはなく、人間が循環の連鎖を断ち切り続けていけば、いつか食料は枯渇するだろう。報道されているとおり、地球上にある農作物や動物を生み出す肥沃な土壌は減る一方だ。自明のことなのに、われわれ人間は日々、地球上にある連鎖の輪を切断し続けている。そのぶんを化学やテクノロジーで補えると思うのは幻想にすぎず、これらに頼れば将来必ず破綻する。遺伝子を解明すればすべてがわかると思うのは間違いだ。自然はわれわれの想像を超えた厳格さと謎を持っている。
 地球上に存在する連鎖に加わる方策を考えなければならないことは明らかだ。資源のリサイクルと同時に、生態系のリサイクルに参加する道筋をつくりたい。子供たちにも、小学生のうちから循環と持続性について学ばせたほうがいい。ネットワークやデジタル機器の使い道を考えるのと同時に、種や大便の利用先を見つけて輪をつなぐ。それがまっとうな進歩というものだ。
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