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村岡三郎展 [美術]

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 Kenji Taki Galleryで村岡三郎展を見る。
 白く塗られた酸素ボンベにプレートを張った作品「Oxygen」。硬質さと静謐さを併せ持つこのオブジェから作者の強い意識が伝わってきた。それは波動のようなものでもあり、また、失われ行く生物の多様性への惜別のようでもある。酸素ボンベ自体が標本のようにも見え、墓標と置き換えることもできる。プレートには「Mosquito」「Amoeba」「Eath Worm」「Spirogyra」「Colitis Germs」「Moss」と欧文で刻印されている。蚊、アメーバ、ミミズ、アオミドロ、大腸菌、苔。作品の前に立つと、酸素と生命の結びつきに思いが及ぶ。これらの生物のために作者は永遠の酸素を約束したのだろうか。
 もう一つの作品は、鉄の箱に2本の細いパイプが付いた彫刻。台座にはタイルが敷かれ、下側に付いたパイプの下に原形をとどめないハエの死骸が落ちていた。うじを上のパイプから入れ、それが成長し、成虫になって死に、出てくるまでの過程がこの鉄の箱に封じ込められている。こう書くと、少々汚いイメージに思えるが、作品は極めて静的であり、時間が止まったような厳粛な印象を受ける。生命と死をどうとらえるか。
 平面作品「左手を頸動脈に」には、手書きで波形のようなものが反復して書かれている。自分の動脈の拍動を表記したものだとのこと。別の平面作品は、眼底に見えるあの不確かなものを木炭で描いていた。村岡氏の作品は鉄を加工したものが多い。H鋼を重ねて、そこに塩を詰めた巨大な作品。このほか、熱、硫黄、振動、切断などを駆使している。自らの体温の変化を取り入れた作品もある。
 私はこれらの作品から、作家の生身の精神性と厳しさ、芸術作品としての普遍性を感じた。ギャラリーの担当者に尋ねると、村岡氏は今年83歳になるという。作品のよしあしは作家の年齢で推し量れるものではないが、その年齢を聞き納得する部分があった。
 村岡氏は第二次大戦を生き延びた。従軍で一度は命を絶たれる覚悟をし、死線をかいくぐった世代だ。つまり、いったん人生をリセットしたのだ。終戦後、天文学を志すが、国立天文台の所長に芸術への進路をアドバイスされ、それに従ったという。村岡氏の作品と経歴から、ヨゼフ・ボイスを思い出した。彼らの中には同じ水脈が流れている(ボイスの場合はより戦略的だが)。ボイス同様、村岡氏は通常の美術家とは異なる道を歩んで現在に至っている。それは、前述した死や精神性のとらえ方の違いでもある。
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